総身に回りかね
たしか、朝の連続テレビ小説『つばさ』だったと思う。
ヒロインは「20歳のオカン」。奔放な母親が家庭を放棄して女優の夢に邁進し、かわりにヒロインが母役割を担っている。夢破れた母が突如帰郷し、家族は再出発することに。初めはぎくしゃくしていた家族。しかし多部未華子演じる"おかんヒロイン"の恋に、母役の高畑淳子が誰よりも早く気づく——という場面。
高畑淳子はドラマの中でこう言うのだ。
女は、恋をすると、先っちょに気をつかうようになるのよ。
正確ではないけれど、そんな台詞だったと記憶している。
先っちょ、とは、爪・髪の先・まつげなど、ひとの先端のことだ。切っても痛くないし、手入れしなくとも日常生活にはそう困らない。
ネイルは好きな女性が多いが、わたしはつらい。爪呼吸というものがあるかどうか知らないが、塗ったとたん爪が息苦しくなり、どうにも我慢がならないのだ。
縦に長い爪なら似合う。施し甲斐もある。しかしわたしの爪はおとなになっても赤児のように丸く、指によっては横長だ。深爪とは少し違った、スイカを切ったような形。爪の先から指の先までの距離が長い。5ミリはある。
伸ばせばいいよ、というひとは、大抵は爪が縦長だ。伸ばすうちに形が変わったという。わたしの爪が縦長になるためには、あと7〜8ミリは必要だ。メリットより、その間の不自由が大きいではないかと思ってしまう。
なんといっても医療機関勤めには「ネイル禁止」という大義名分があり、内心おおいに助かっていた。所詮、それを助かったと思う程度であり、お洒落心はせいぜいメイクか服まで、爪や髪などの先っちょまで回りかねている。
個別の申し開きや諸事情は百も承知で——わたしは自身を斬らなければならない。
実用を云々するのは、まったくエレガントではないのだ。
美と羨望を売るセレブ女優が、公衆の面前でネイルをしない、というシチュエーションは考えにくい。そう考えると、美におけるネイルは、基本装備だ。
美の追求がハイウェイとするなら、実用に供するというのは一般道だ。
それほどに、交わらぬように作られた、あきらかにちがう道であるとわたしは思う。
そのひとが、美のハイウェイに乗っているか、一般道を走っているか。
あからさまに聞かなくても、普段の服装やメイク、髪型、持ち物、話の内容などでかなりは判別可能だ。
男性においても同様だろう。お洒落に興味のある人の服装やもの選びに、佇まいが滲み出ないわけがない。
一般道を走行していると、ふしぎなほど化粧品や、普段どこで買い物をしているか、などの話題はほとんど振られない。あきらかに興味がないと見做されているとともに、有益な情報は持っていないと見限られている。ハイウェイを知らずとも、一般道に分類される瞬間のスイッチ音は、当人にバッチリ聞こえるものである。
ぼんやりと、ずっと、ハイウェイに乗りたかった。
娘十八、番茶も出花——という言い回しがあるが、年頃になれば一般道の続きがハイウェイになるのだろう、と根拠なく期待していた。
おとなになっても、いつまでも景色が変わらない。おかしい。首を傾げながら、日常に忙殺されながら、一般道を走行し続ける。何かの時にはハイウェイと並走するが、決して交わることはない。そういった経験の積み重ねの中で、わたしは知ることになる。
ハイウェイに乗るには、これからハイウェイに乗り換える、という、かなりの意志のつよさと声に出しての表明が要るということを。
意思表明だけでは足りない。乗り換えにはお洒落を知る水先案内人が不可欠であるということを。これから金額的にも時間的にも社交的にもコストが要る生活をするという覚悟が要ることを。
そんな時——ハイウェイへの乗り換え方を案内してくれる、お姉さんがいた。僥倖の出会いだった。親切で、きびしく、垢抜けなさには容赦ないマウンティングがあり、しかし決してわたしを見捨てないひとだった。
そのお姉さんの手解きのおかげで、気づけば、わたしは女子会トークというものができるようになった。
メイクの話、ダイエットの話。普段どこで服買ってるの、の定番の質問が来た時は、内心ガッツポーズyeahハイウェイ記念日!! ぐらいの勢いで、帰ってからひとり祝杯を挙げたものだ。
わたしは今、またハイウェイを降りている。そういう自覚がある。
スイカを切ったようなちいさなわたしの爪は、生爪が一番清潔感がありかわいいと思ったのだ。
服装によっては、塗った方がよい。よければ、そうする。その気概はある。結婚式ブームも落ち着いてしまって、なかなかそのような機会もないけれど。
でも、ハイウェイに上がるのは、まだ諦めてはいない。あと10kg痩せたら、好きなだけ好きな服を買おうと決めている。
いったい、いつになるんだろう。
はっ。ライザップか。ライザップしかもうないのか。
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