第26話 イブの攻防
「清香さん、一昨日は来てくれてありがとう。両親も喜んでいたよ」
「私も楽しかったです。でも……、由紀子さんからあんな高そうな物を貰ってしまって、本当に良かったんでしょうか?」
自室で着信を受けた清香は、型通りの挨拶をしてから聡が出して来た話題に、思わずこの二日考え込んでいた懸念を口にした。しかし聡は、そんな清香の懸念を笑って打ち消す。
「気にしないで。確かに母さんにはもう若過ぎるデザインだし、家族や親しい人の中に若い女性が居なかったから、このまま箪笥で眠らせておくか、捨てるかって話になっていたんだ。流石にそれは、勿体無いだろう?」
「それは……、やっぱり聡さんが……」
尚も何やら口の中で言葉を濁した清香に、聡は電話の向こうから、不思議そうな声を伝えてくる。
「え? ひょっとして清香さんは、俺に女装しろと?」
「そんな事、一言も言ってません!」
慌てて清香が否定すると、聡が電話の向こうで我慢できないと言った感じで噴き出す気配を感じた。当然清香は、からかわれたと思って拗ねる。
「聡さん!? 笑う事はないじゃありませんか!」
「いや、ごめん。でも良かった。本気でそう思われていたら、どうしようかと思った」
まだ若干、笑いを含んだ声で言ってくる聡に、清香が何とか怒りを抑えながら、先程自分が考えた内容を口にした。
「もう! そうじゃなくてですね、聡さんが結婚したら、その相手が由紀子さんの義理の娘さんになる訳じゃないですか。だから将来その女性に譲る様に、大事にしまっておいたら良いんじゃないですか? とか言おうとしたのに、聡さんったらすぐふざけるんだもの!」
「………………」
清香にしてみれば、至極真っ当な理屈を述べたつもりだったのだが、何故かここで聡が無反応になって黙り込んだ。
何らかのリアクションが返って来ると思っていた清香は当惑し、いきなり会話が途切れるなんて珍しいと思いつつ、混戦でもしたのかとそのまま十数秒待ってみてから、相手に呼びかけてみる。
「聡さん? どうかしましたか?」
それで漸く我に返った、という反応を聡が返してきた。
「あ、ああ、何でも無いんだ。……ちょっと昔の事を思い出ただけだから」
清香は(どうして結婚相手云々の未来の話で、昔の事を蒸し返すんだろう)と疑問に思ったが、何となく聡が話題を逸らしたがっている様な気がした清香は、余計な事は口を挟まず話を合わせる事にした。
「昔の事って何ですか?」
「小さい頃母さんに、スカートを穿かせられた事があったんだ」
「はい?」
耳にした内容が咄嗟に理解できなかった清香が問い返すと、聡がしみじみとした口調で話し出した。
「実は……、母さんは娘が欲しかったみたいなんだけど、俺を産んだ時、結構身体に負担をかけたらしくて、医者に「今後子供は諦めて下さい」と言われたらしい」
「……そうでしたか」
何と言ったら良いのか分からず、取り敢えず当たり障りのない言葉で応じた清香だったが、聡はそれ以上に沈んだ声で続ける。
「それで仕方が無いって、産むのは諦めたんだけど、どうしても可愛い洋服とかリボンやフリルの類は、諦め切れなかったらしくて。物心付くか付かないかの頃から、幼稚園時代の俺を相手に、時々……」
そこで聡が唐突に言葉を途切れさせたが、相手の言わんとする内容が嫌でも分かってしまった清香は、慰める様に言葉を継いだ。
「あの、聡さん。もう何も言わなくて良いです。何となく分かりましたから」
「だけど酷いと思わないか? 清香さん!」
「な、何が、ですか?」
急に語気を強めて訴えて来た聡に、思わずびくっとしながら応じた清香だったが、続く話の内容に笑いを堪え切れなかった。
「あれもこれもと散々着せ替えさせられた挙げ句、最後に『聡は顔立ちは良いんだけど、やっぱり凛々しすぎて可愛い物が全然似合わないわ』と言って、盛大に溜め息を吐かれたんだよ? 父さんに言い含められて、嫌だけど母さんの為だと思って、一生懸命我慢していたのにその仕打ち! 子供心にどんなに傷付いたか!」
「……っ!……くっ、……ふぅっ、………」
「……清香さん。ひょっとして、笑ってる?」
思わず当時の光景を想像してしまった清香は、携帯を顔から離して口許を抑えて笑いを堪えたのだったが、そんな気配は容易に聡に伝わってしまい、携帯から些か鋭い声で問い質す、聡の声が聞こえた。
「わ、笑ってるなんて滅相も無いっ! 何て微笑ましい親子愛だろうなって、思っ」
弁解しようとして再び噴き出しかけた清香が、言葉を詰まらせると、電話の向こうから聡が溜息を吐く気配と、苦笑交じりの声が伝わってきた。
「まあ、いいさ。そんなわけで、ずっと母さんは女の子を着飾らせて可愛がりたかったんだよ。そんな所に清香さんが飛び込んでしまった訳だから、申し訳無いけど少し付き合ってあげて?」
「分かりました」
何とか笑いを抑えて頷いた清香に、聡はここで真面目な口調になって話を続けた。
「それで話は変わるけど、清香さんはクリスマスとかの前後は空いている?」
「いえ……、ちょっと約束で埋まってて。それに毎年イブは、お兄ちゃん特製ディナーを、一緒に食べる事にしていますし……」
(こんな事言うと、朋美みたいに呆れられそうだけど)
そんな事を考えながら正直に予定を告げた清香だったが、聡からは予想に反した言葉が返って来た。
「それなら家に居るんだよね。丁度良かったよ」
「え!? 聡さん、どうしてそんな事を言うんですか?」
すっかり驚いてしまった清香が素っ頓狂な叫び声を上げると、聡も本気で驚いた様な戸惑った声を返す。
「どうしてって……、何が?」
「だって、自分が言うのも何ですけど、イブの夜に兄妹でディナーって変に思わないんですか? 朋美や他の友達全員『お兄さん優先なんておかしい』って、毎年言ってますし」
(自分で言ってて、何だか自分自身がもの凄く変に思えてきたわ。そんなにお兄ちゃんと過ごすのが変なのかしら?)
密かにそんな事を考えて落ち込み始めた清香に、聡が事も無げに言い返してきた。
「別に変じゃないだろう? イブに誰と過ごそうが、それは人それぞれだと思うし。それだけ兄妹仲が良いって事だから、他人がどう言おうと構わないじゃないか」
不思議そうに告げられた台詞に若干救われた気持ちになりながら、清香は反射的に尋ねた。
「聡さんはそう思うんですか?」
「勿論、そう思うから言ってるんだけど?」
幾分笑いを含んだ声に、清香は心からの礼を述べた。
「そうですか。ありがとうございます」
(ちょっとだけ、聡さんに誘って貰えるかなって思ったけど……。でもそうしたら、お兄ちゃんに何て言えば良いか分からないし、これで良いわよね)
そんな風に僅かに残念な気持ちを抑えつつ、自分自身を納得させた清香に、聡が穏やかに声をかけてきた。
「正直に言えば……、イブは清香さんを誘いたかったんだけど」
「え?」
「実は俺、今年は年末まで、びっしり仕事でスケジュールが埋まっていて。……最近、立て続けに潰れた仕事の後始末と、新規事業開拓の準備で、てんてこ舞いなんだ」
密かに動揺したのは一瞬で、清香は如何にもうんざりとした口調で事情を説明する聡に、心の底から同情した。
「年末なのに大変そうですね。体調に気をつけて下さいね?」
「ありがとう。そんな訳でどこにも誘えないんだけど、プレゼント位は届けようかと思って。だから家に居てくれて、助かったと思ったんだ」
先程の発言の意味が漸く分かり、清香は慌てて断りを入れた。
「え? そんな忙しい時期に、わざわざ家まで来て貰わなくても良いですよ? それ以前に、由紀子さんからあれを頂いたばかりですし、聡さんからもプレゼントとか頂けませんから!」
「俺がそうしたいから。……ごめん、実は今、職場の廊下からかけてるんだ。仕事に戻らないといけないから、じゃあまた連絡するね?」
「あ、あのちょっと、聡さん!?」
言うだけ言って切られてしまった携帯を見下ろし、清香は一人途方に暮れた。しかし流石に、このまま掛け直すのは躊躇われる。
「切れちゃった……。でも忙しそうだから、かけ直しちゃ悪いよね」
今度時間のある時に、改めて断りを入れようと決めた清香は、諦めて携帯を自分の机の充電器に刺し込んだ。そしてそれを見下ろしながら、しみじみと呟く。
「でも聡さんって優しいなぁ、あんな事を話しても全然馬鹿にされなかったし。それにスカートって……」
そしてぷふっと笑いを漏らしてから、晴れ晴れとした笑顔で頷いた。
「うん、聡さんってお母さん思いで、誰にでも優しい人だよね」
そんな調子で、清香の中で聡の株がこれまで以上に上昇していた頃、清人はリビングで厄介な相手からの電話を受けていた。
「清人君。君に限ってと思っていたが、私達の期待を随分裏切ってくれたね?」
開口一番、喧嘩腰の雄一郎の台詞に、清人は丁寧な口調は崩さないまま眉を寄せた。
「何の事を仰っておられるのか、全く分かりませんが?」
「君が今更、小笠原に拘るなんておかしいと思って調べさせた。更に今、浩一を締め上げて、洗いざらい吐かせた所だ」
「それはそれは」
(災難だったな、浩一)
文字通り実の父親に締め上げられたに違いない友人を、清人は密かに不憫に思った。しかしすぐに目の前の現実に、意識を振り向ける。
「一体、何を考えているんだ? 向こうの家に清香ちゃんを出向かせるなんて!?」
段々伯父バカっぷりを醸し出して来た口調に、清人が溜息混じりに言い返す。
「……頭ごなしに駄目だと言ったら、益々ムキになって行きますよ。帰ってから粗方の話を聞きましたが、どうやら終始茶飲み話をしてきただけですから、特に問題は無いでしょう」
「そんな悠長な事を! 万が一、小笠原なんぞに清香ちゃんをかっ攫われたら、どうする気だ!」
「……させませんよ」
「ほぅ?」
不愉快な仮定話をされた途端、清人の声のトーンが一気に低下した。流石にそれを感じた相手も、興味深そうに一言漏らしただけで清人の反応を窺う様に黙りこむ。そして短い沈黙の後、清人が徐に言い出した。
「柏木さん……。そこで一つご相談なんですが」
「何かな?」
「代わりに、あいつにあてがうのを調達して貰えませんか?」
「は?」
流石に戸惑った声を上げた雄一郎に、清人は補足説明をした。
「柏木も小笠原も、表立って揉めたくは無いでしょう。要は“自然な形”で、向こうから手を引かせれば良いわけです」
告げられた内容を頭の中で吟味した雄一郎は、ひとしきり忍び笑いを漏らしてから清人に声をかけた。
「……なるほど、良く分かった。今回、君と私達の利害が完全に一致したわけだな」
そう同意を求められ、清人が苦々しく呟く。
「初めてですし、これきりにしたいですね」
その本心からであろう台詞と口調に、雄一郎は豪快に笑った。
「そう嫌そうに言うな。分かった。和威と義則にも内容を伝えて、万事抜かりなく話を進めるよう、準備しておく。女房達にも骨を折って貰う事にしよう。それでは清人君、くれぐれも」
「目は離しませんよ。それでは」
「ああ、失礼する」
最後は円満に会話を終わらせた清人は、口許を緩めながら受話器を戻した。
「さて、どう話を持って行こうかと思っていたが、向こうから突っ込んで来て貰えるとは助かった」
そして見るともなしに壁にかけられたカレンダーに目をやり、独りごちる。
「これでまた一つ片が付いたし、今年は最後にケチのつきっぱなしだったから、年末は静かに過ごして気分良く新年を迎えたいな」
しかし清人と他の面々にとっての厄年は、まだ十日近く残っていた。
「清香、今年の料理はどうだ?」
「うん、舞茸のコンソメスープも美味しいし、鱸と鯛のパイ包み焼きも絶妙な味付けと焼き上がりで嬉しい。パンだって自家製だよね」
「ああ、暫くバタバタして手の込んだ料理を作って無かったから、今回はちょっと頑張ってみたんだ」
「それにしても雲丹と海老のジュレなんて、普通家で作らないよ? 和牛サーロインのグリルと、このグレービーソースが最高っ!!」
自分の料理に舌鼓を打ち、一口ごとに称賛を惜しまない清香の笑顔で、清人の機嫌はその日最高潮だった。
もともとは料理人であった父親に、父子家庭ゆえ必要に迫られて叩き込まれた料理の腕前ではあったが、小さかった清香の「おにいちゃんのおりょーり、おいしーね?」という笑顔付きの賛辞にころっと参ってしまった清人は、その後独学で研鑽を積んだ結果、玄人裸足の腕前になってしまった。しかしその腕前を披露するのはごくごく親しい人間に限定されている為、知る人ぞ知る清人の特技の一つでもあった。
それを満面の笑みで褒められて、悪い気などする筈が無く、清人は笑顔で更なるメニューの内容を告げる。
「最後のデザートは、クレープシュゼットにするから。それから別にチョコケーキもあるぞ?」
「酷い、お兄ちゃん! どこまで私を太らせるつもり!?」
「はは……、清香なら、丸くなっても可愛いぞ?」
「もう、お兄ちゃんったら!」
そんな他愛も無いやり取りをしながら、楽しく食事を続けていると、突然壁のモニターから呼び出しのメロディー音が聞こえてきた。
「え?」
「あ、聡さんだわ!」
「……何?」
こんな時間に誰がと清人の戸惑った声に、嬉しそうな清香の声が重なる。それを耳にして、忽ち清人の機嫌が急降下した。
「今日は仕事が忙しくて誘えないけど、プレゼントだけ渡しにくるって言ってたの。玄関先で失礼するって言うから、ちょっとだけ開けるわね? お兄ちゃんは食べていて」
「…………」
清人の微妙な変化には気が付かないまま清香は席を立ち、インターフォンの受話器を取った。そして短く何かを話してからボタンを操作してエントランスの自動ドアを開け、そのまま玄関へと向かう。その間清人は無言で清香の背中を見詰め、その姿が見えなくなってから忌々しそうに舌打ちをした。
一方の清香は玄関で待機し、チャイムが鳴るのと同時に外を確認して扉を開けた。
「今晩は、清香さん」
「聡さん、お疲れ様です。今から帰るんですか?」
ビジネスバッグを手に提げた姿に、清香は気遣わしげな視線を向けたが、カシミヤの温かそうなコートを纏った聡は、何でも無い様に笑って頷いた。
「うん、でも思ったより早く終わって助かったよ。清香さんが寝てしまう様な時間だったら、流石に悪くてインターフォンで呼び出せないしね」
そう言ってからバッグを開け、中からギリギリ掌に乗る位のサイズの箱を取り出した聡は、清香に向かってそれを笑顔で差し出した。
「はい、メリークリスマス。これまで俺に色々付き合ってくれたお礼も兼ねてるから受け取って?」
反射的に受け取ってしまったものの、包装紙とリボンで綺麗に包まれた長方形の箱に目を落としてから、清香は申し訳無さそうに聡の顔色を窺う。
「本当に良いんですか?」
「勿論。それから先生の分もあるから、後から渡してくれるかな?」
続けてもう一つ、先程の物より幾分小ぶりの箱まで渡されて、今度こそ清香は狼狽した。
「え? お兄ちゃんの分まで用意してくれたんですか?」
「ああ、サインを頂いたり、学祭の時には親しく言葉をかけて貰ったしね。ほんの気持ちだから、受け取ってくれると嬉しいな」
にこやかにそう告げられ、清香は漸く笑顔になって頭を下げた。
「ありがとうございます。……実は、私も聡さんに用意していた物があって」
「本当に?」
そこで清香は予め用意しておいた紙包みを、玄関から奥に続く通路に設置してある棚から取り出し、聡に向かって差し出した。
「あまり高くはないんですけど、マフラーなんです。シルクだから肌触りは良いかと」
それを聞いた聡は、益々嬉しそうな顔を見せる。
「嬉しいな。ここで開けてみても良い?」
「はい、どうぞ!」
そこで早速中身を取り出して確認した聡は、表面に手を滑らせながら満足そうに目許を緩めた。
「うん、良い色合いだね。柔らかいし気に入ったよ、ありがとう」
「どういたしまして。聡さん、上がってお茶でも飲んでいきませんか?」
「……いや、お邪魔をするのは悪いし、今夜はここで失礼するよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
清香の誘いを丁重に辞退して、聡はそのままあっさり引き揚げた。それを忙しくて疲れて居るんだろうと好意的に解釈した清香は、素直に二つの箱を手にして大人しく奥へと戻って行った。
そして一人で戻って来た清香を見て、てっきり聡が押しかけて顔を見せるかと思っていた清人は肩すかしをくらった。
「……帰ったのか?」
「うん、お茶の一杯でもと思ったんだけど、今まで仕事で早く帰りたかったみたいだったから、無理に引き止めなかったわ」
「そうだな」
清香の言葉に(さっさと厄介払いができて良かった)とほっとしていたが、ここで意外な言葉を耳にした。
「それでね? 私の物と一緒にお兄ちゃんにもプレゼントを預かったの!」
「俺に?」
「うん! 『サインを頂いたし、学祭の時には親しく声をかけて貰ったし』って。聡さんって、本当に義理堅い人だよね?」
「……それはそうだな」
(嫌みか? 生意気な)
聡の意図が今一つ掴めず、眉を顰めた清人の前で、清香は食事そっちのけで自分用のプレゼントを解き始めた。
「早速、開けてみようっと!」
そしてさほど時間がかからず、清香の目の前に細長い円筒形の物が現れた。
「うわ、可愛いアトマイザー! ボトルの周りが銀の透かし彫りだよ? 凄いっ!」
瞳を輝かせて見せてきた清香に、清人は無難な感想を述べた。
「へぇ……、なかなか良い趣味をしてるな」
「あ、カードが入ってる。えっと、『好みが分からなかったので、中身は今度贈ります』だって。流石社会人の人だと、色々心遣いが凄いよね?」
(今度って何だ、今度ってのは!?)
内心ムカついた清人だったが、表情はまだいつもの顔を保っていた。その為、清香が更に清人の機嫌を悪化させる事を言い出す。
「ねえ、お兄ちゃんのは? 開けてみて?」
「ああ、後からでも」
「今見たいの!」
「……分かった」
キラキラした瞳の妹に半ば脅され、清人はしぶしぶ渡された箱を開けた。しかしその中を見て目が点になる。
「は?」
「え? そんな筈は……」
箱の中にはカードの一枚すら無い空箱状態で、流石に清香も呆然となった。そして清人は懸命に歯軋りを堪える。
(随分ふざけた事をやってくれるじゃないか。意趣返しのつもりか?)
その瞳に危険な物が浮かんできた時、清香が突然バタバタと自室に駆け込んだと思ったら携帯片手に戻り、電話をかけ始めた。
「これは何かの間違いよ。ちょっと聡さんに聞いてみるから!」
「止めろ清香。プレゼントの中身についてどうこう言うなんて、相手に失礼だろう?」
「だって聡さんがわざと空箱なんて、寄越す筈が無いもの! 後で気が付いて慌てるかもしれないわ。……あの聡さん? 清香ですけど…………。ええ、実はプレゼントの件で……」
一応清香を窘めたものの、聡がどう弁明するのかを少し意地悪く眺めていた清人だったが、あまり清人の思った方向に話は進まなかった。
「あ、そうだったんですか?びっくりしちゃいました。…………じゃあ、私はもう休みに入りましたし、来週にでも聡さんの会社の近くまで行きますね?」
「おい、清香!?」
予想外の台詞を清香が発した為、慌てて清人が口を挟もうとしたが、話し中だった清香はそれを半ば無視した。
「……いえ、構いませんよ? 今日はわざわざ家にまで来て貰いましたし。…………ええ、それじゃあまた」
そして通話を終わらせた清香は、笑いを堪える表情で清人に向き直った。
「聞いてお兄ちゃん、笑っちゃったわ」
「何だったんだ? 一体」
「聡さんったら、お兄ちゃんにはカフスボタンを用意してたんだけど、間違って来週の忘年会でやる予定の、ビンゴゲーム用のサプライズ景品として準備した箱を、渡しちゃったんですって」
そう言ってクスクス笑っている清香に、清人が面白く無さそうに呟いた。
「……随分、うっかり者なんだな」
「本当、時々聡さんって可愛いよね」
「可愛い?」
清香のその台詞にピクリと反応した清人だったが、当の本人は笑いを堪えるのに精一杯だった。
「空箱でしたって言った途端、凄い狼狽してたのが電話越しにも分かったわ。『先生に失礼な事をした』って。きっと顔色は真っ青だったわよ?」
「まあ、当然かもしれんな」
「『一度家に戻って本来の物を届けるから』と言ってくれたけど、只でさえお仕事で疲れてるのに、流石に悪いじゃない。だから来週聡さんの会社の近くに、聡さんの休憩時間に合わせて出掛けて、プレゼントを受け取る事にしたわ。『近くにランチの美味しい店があるから案内するよ』って言われたし」
「俺は宅配とかでも、一向に構わんが?」
殆ど呻くように清人が意見を述べたが、清香は腕組みをして頷きつつ、真面目くさって答えた。
「私もそう思ったんだけど、聡さんが『失礼をした上にこれ以上不義理な事は出来ないから、是非とも手渡ししたい』って。本当に真面目な人だよね、聡さんって」
(やっぱり、わざと空箱を仕込みやがったな、あの野郎……。小芝居までして上手く清香を丸め込みやがって、そんなに力尽くで排除されたいのか!?)
そうして「仕事納め前だとここら辺かな」と上機嫌でカレンダーを眺めている清香は、未だ清人の怒りの大きさと深さに気が付かないまま、新年を迎える事になった。
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