第25話 思案の巡らせ方

 聡から自宅への招待を受けて、それを了承していた清香だったが、師走の忙しさに加えて、ここ暫く不機嫌さを醸し出している清人に、少々怖気づいていた。その為、それを告げたのは、十二月もそろそろ下旬に入ろうかという時期の、木曜日の夕食の時間帯だった。

 相手の機嫌が、それほど悪くないのを確認した清香が声をかけ、その旨を説明したが、話の途中で、清人から鋭い却下の言葉が下される。


「そういう訳で、明後日の土曜日の午後、聡さんのお家に招待されていて」

「駄目だ」

「どうして?」

 頭ごなしに言われて、流石に気分を害した清香に、清人が箸を動かしながら淡々と言い聞かせる。


「先方にご迷惑だろう。特に退院した直後だそうだし」

「そのお母さんが、是非にと言って下さってるのよ?」

「それは所謂、社交辞令という奴だ。本気にする奴があるか」

 取りつく島も無い清人の様子に、清香はムラムラと反抗心が湧いて来た。と同時に、黙々と食べている清人の顔を凝視して、少し前から考えていた、ある推測を口にする。


「お兄ちゃん。この前の大学祭の時もチラッと思ったんだけど、ひょっとして聡さんの事が、あまり好きじゃないの?」

 すると清人は、清香の顔をチラリと見てから断言した。

「そうだな。はっきり言わせて貰えば嫌いだ」

「どうして!? 聡さんは親切だし優しいし、思いやりのある大人の人だと思うけど?」

「ちょっと外面の良い男に騙されるなんて、清香はまだまだ子供だな。だから心配で、目が離せないんだ」

 流石にそこまで言い切られるとは思っていなかった清香は本気で驚き、聡を庇う発言をしたが、清人は大人の余裕を醸し出しながら薄く笑った。それに清香が猛然と噛み付く。


「ちょっとお兄ちゃん! それは幾ら何でも、聡さんに対して失礼よ?」

「俺は、本当の事を言ったまでだ」

「じゃあ聡さんが、何をどう騙してるって言うの? その根拠があるなら言ってみて!」

「…………」

 きつい基調で迫った清香だったが、自分と小笠原の関係をばらしたくない、かつ考えるのも嫌な清人としては、本当の事を口にするのは躊躇われた。結果、無言になった清人を眺めて、清香が箸でご飯を口に運びながら、心底呆れた様にボソボソと呟く。


「そんな、子供じゃないんだから……。オークションで競り合ったのが、幾ら気に入らないからって……」

「そんな事じゃない!!」

「お兄ちゃん? どうしたの」

 勢い良く箸をテーブルに叩き付ける様に置いて清人が怒鳴り、清香が驚いた顔を向けたが、すぐにそっぽを向いて吐き捨てる様に呟いた。


「……何でも無い。もう良い。勝手にどこにでも行ってこい」

「そうさせてもらうわ」

 口調は冷たく言ったものの、清香は心配そうな視線を清人に向けた。

(本当に何なんだろう? 最近のお兄ちゃんって、絶対変よね……)

 そんな事を考えていると、何やら考え込んでいた清人が声をかけてきた。 


「清香」

「ん、何?」

 口の中の物を飲み込んでから尋ね返すと、清人はいつも通りの顔で言いだした。

「明後日は、午後から出かけるとか言ったな?」

「うん、言ったけど。それが?」

「それなら……、ちょっと午前中に行って来て欲しい所がある」

「どこに? 場所にもよるけど」

 互いに、相手の反応を窺いつつのやり取りになる。


(まさか、聡さんの家に行かせない為に、仙台とか大阪とかに行って来てくれとか、言わないわよね?)

(本当なら、小笠原の家なんかに行かせない為に、北海道とか沖縄とかに行って来てくれと言いたい所だが、仕方が無い……)

 兄妹で似た様な事を考えていたが、清人が口にした内容は、清香にとっては意外な事だった。


「都内だ。久しぶりに甘い物が食べたくなった。神田に行って、例の奴を買って来てくれないか?」

 そう言われた清香は、すぐに快く了解した。


「ああ、あれね。あそこなら十分時間内に戻って来れるし、分かった。行ってくるわ」

「頼む」

(そうよね。お兄ちゃんが、そんな意地の悪い事考えるわけないものね。変な事考えて悪かったわ。大好きなあれ、多目にゲットして来ようっと!)

(あの男があの時の事をまだ根に持っているかもしれんし、旨い物は旨いからな。清香には何も言わなくても、ついでに買っていくだろう)

 二人の思惑はどうあれ、それからの佐竹家の食卓は平穏なものだった。



 そして約束の土曜日。小笠原家の広いリビングでは、由紀子がそわそわしていた。


「聡、そろそろ清香さんが、来る時間じゃないかしら?」

「落ち着いて、母さん。駅に迎えに行く事を話しておいたから、到着近くになったら、メールか電話がくる筈だよ」

「それじゃあ、お迎えを宜しくね」

「ああ。だからソファーに座ってて」

 緊張の為か、先程からうろうろと室内を歩き回っている母を、聡が笑って促してから、真正面の一人がけの椅子に座っている父親に、胡乱気な視線を向けた。


「……ところで、父さんは今日は午後から、共和工業と中西産業の社長と、ゴルフとか言ってなかったかな?」

 その問いかけに、読んでいた新聞のページをバサリと捲りながら、勝は面白く無さそうに答えた。


「先方の都合で延期になった。俺が家に居ると、何か不都合でもあるのか?」

「いえ、別に何も」

 憮然として黙り込んだ聡だったが、ここで勝の横の一人掛けのソファーに座った由紀子が、慎重に口を挟んだ。


「あの……、聡は、清香さんには清人と私達の関係は、一切話していないの。勿論清人も、清香さんには話していないし、そこの所は」

「分かっている。余計な口は挟まん」

「……お願いします」

 懇願口調にも、勝は端的に答えるのみで、由紀子と聡は一抹の不安を覚えて目と目を見交わす。


(こんな調子で大丈夫かしら? 以前、清人に殴られたのを恨んでいても、まさか清香さんに手を上げる様な真似はしないと思うけど、嫌味の一つも言いそうで……)

(好き好んで、騒ぎは起こさないとは思うが……。そう言えば、父さんの一目ぼれ云々の話、忙しさにかまけて母さんに話すのを、すっかり忘れていたな。まあ、そのうち何とかなるか)

 三人が三人とも何やら悶々と考え込んでいると、ドアをノックして家政婦の塚田が顔を出した。


「失礼します」

「あら、塚田さん、どうしたの?」

 何気なく由紀子が顔を向けると、塚田は淡々と報告して来た。

「先程、門の所に佐竹様と名乗る女性の方が見えられまして、奥様からお伺いしていたお名前でしたので、通用口から入って頂きました」

 それを聞いて、驚きに目を見張る由紀子と聡。


「はあ? 門に来た?」

「聡、駅まで迎えに行くんじゃ無かったの?」

「いや、そのつもりだったけど。ちょっと出迎えてくる」

「……騒々しいな」

 そう言うやいなや、バタバタとリビングを走り出ていった聡を見て、新聞の裏側で勝が顔を顰めた。


 清香は、「最寄駅到着が間近になったら、迎えに行くので連絡を」と聡に言われていたが、冬とは思えない陽気の良さに心が弾み、駅から歩いていく事を選択した。予め聞いていた住所を携帯のナビに打ち込んでみると、意外に分かりやすい経路だった事も、それを後押しした。


「迎えに来てくれるとは言われたけど、歩いて十五分だもの。ちょうど良い運動だったわ。駅からほぼ一直線で、分かり易かったし」

 周囲の景色を眺めながらの散策気分で、上機嫌のまま歩いていくと、目指す門の前に首尾良く到達する。そしてその門構えに圧倒された。


「えっと……、ここ、よね? 住所は確かにここだし、小笠原って表示も有るし」

 二メートル程の塀で囲まれたそこには、大型トラックでも悠々と通れそうな大きな両開きの門扉が存在しており、中を窺い知る事は出来なかった。そしてその傍らには、楽に二台か三台は車が入りそうなスペースの車庫がシャッターを下ろしていた。

 それらをポカンと見上げた清香は、少しして辺りを見回してみる。


「社長さんのお宅だけあって、流石に大きいお屋敷。……これ、インターフォンだよね?」

 門柱の横にポツンと設置されていたモニターとボタンを発見した清香は、迷わずそのボタンを押してみた。すると大して時間もかからず、声が聞こえてくる。


「はい、どちら様でしょうか?」

 それを受けて、清香はモニターに向かって軽く頭を下げながら名乗った。

「すみません、佐竹と申します。今日こちらをお訪ねする旨を、伝えてある者ですが」

「お待ちしておりました。横の通用口のロックを解除しますので、そちらからお入り下さい」

「ありがとうございます」

 礼を述べるとほぼ同時に、門扉の横に設置されていた小さな扉の解錠する音が聞こえ、その戸を潜って清香は邸内へと入った。


「うわ……、広いお庭。手入れも行き届いてるわね」

 左右に広がる綺麗に刈り込まれた庭園に、清香が感嘆の溜息を漏らしつつ、門から奥にそびえ立つ屋敷の玄関へと繋がる道をのんびり歩いていくと、勢い良く玄関が開けられ、中から焦った様子で聡が走り出て来た。


「清香さん!」

「あ、聡さん。今日はお招き、ありがとうございます」

 血相を変えて駆け寄った聡に、清香はいつものように頭を下げたが、彼はそれで幾らか落ち着いたものの、心配そうに問いかけた。

「いや、そんな事より、俺の携帯が通じなかった?」

「はい?」

「駅に近付いたら連絡をくれと言ってたのに、歩いて来ているから、何か行き違いがあったのかと思って」

 そこでやっと聡の懸念に気が付いた清香は、慌てて謝罪した。


「あの、ごめんなさい。お天気も良いし、そんなに距離も無さそうだし、歩いてみても良いかなって思って、つい……。でも、聡さんに電話の一本でも入れるべきでしたね。気を揉ませてしまったみたいで、すみませんでした」

 申し訳無く思った清香に、聡はここで漸く笑顔を見せ、並んで家に向かって歩き出した。


「そうなんだ。何事も無かったのなら良いんだよ。でも駅からここまでは、だらだら続く上り坂だし、きつく無かった?」

「それは全く気になりませんでした」

「清香さんは、普通の人とは鍛え方が違うみたいだしね」

「う……、聡さん、嫌みですか?」

「まさか! 褒めてるんだよ? だけど流石に帰りは薄暗くなるし、駅までちゃんと送らせて貰うからね?」

「はい、お願いします」

 そんな事を笑顔で語り合ううちに、二人は玄関の前まで辿り着いた。


「じゃあ、遠慮無く入って」

「はい、お邪魔します」

 聡が開けた扉の中に清香が入ると、かなり広い玄関の上がり口に、使用人らしい女性を従えた、上品そうな年配の女性がおり、清香に笑顔を見せた。


「こんにちは、清香さん。聡の母の由紀子です。退院祝いに素敵なアレンジを頂いて嬉しかったわ。今日はゆっくりしていらしてね?」

 早速丁寧な挨拶をされて、清香も笑顔で頭を下げる。


「初めまして、佐竹清香です。本日はお招きありがとうございます。あれを喜んで頂けて、私も嬉しいです」

「堅苦しい挨拶はそれくらいで、上がって頂戴?」

「はい、お邪魔します」

 そこまでは全て順調に進んだかに見えたが、清香が靴を脱いで揃えられていたスリッパを履き、廊下を歩き出そうとしたところで、何故か彼女の動きが止まった。そうしてしげしげと自分の顔を見つめているのに気付いた由紀子は、不思議そうに彼女に声をかける。


「どうかしたの? 清香さん」

「いえ、あの……。由紀子さんと私は、初対面ですよね?」

「ええ、その筈だけど」

「何となく、初対面の感じがしなくて……。どこかでお会いした事が有るでしょうか?」

「さあ、そんな筈は……」

「無いと思うけど……」

(お通夜の時に一瞬顔を見られたのを、覚えていたのかしら? でもその事を言ったら、どうしてその場に居たのか聞かれるだろうし)

(よくよく考えたら、兄さんの容姿は母さん似か? まさかこんな基本的な所でばれるとは)

 首を捻って考え込んでしまった清香に、適当な切り返しの言葉が咄嗟に浮かばない由紀子と聡が、揃って固まった。しかしそこで、救いの手が差し伸べられる。


「世の中には、そっくりな顔の人間が、三人存在すると言いますから。どこかで妻と酷似した人間を、見た覚えがあったのかもしれませんね」

「あなた!」

「父さん」

 そんな言葉と共に、廊下の向こうから勝がのっそりと現れた為、由紀子と聡は驚きの声を上げた。そんな二人を、勝が軽く睨み付けながら促す。


「客人をいつまで玄関先に立たせているつもりだ? さっさと中に案内したらどうだ」

「あ、は、はい。清香さん、こちらへどうぞ」

「ああ、紹介するよ。俺の父で小笠原勝です」

 その場を取り繕う様に、慌てて聡が父を紹介すると、清香も慌てて挨拶して頭を下げた。


「は、初めまして。佐竹清香です」

「こちらこそ」

 清香の挨拶に素っ気なく一言返しただけで、勝はさっさと奥へと戻っていった。それを見て小さく溜息を吐く清香と、内心で怒りを露わにする聡。


(うっ……、何か気難しそうなお父様。社長さんだから、これ位当然かしら?)

(あんの朴念仁! 誤魔化してくれたのは助かったけど、少しは愛想笑い位しろよっ!)

 互いに何とか笑顔を貼り付けながら広い廊下を進み、全員リビングへと移動した。触り心地と座り心地が抜群の応接セットに、清香が促されるまま腰を下ろし、他の者が空いている席に座って和やかに会話が始める。


「今日は、わざわざ足を運んで貰って嬉しいわ」

「いえ、大した事じゃありませんし。それよりお母様……、えっと、由紀子さんとお呼びしても、良いですか?」

「ええ、勿論構わないわよ? 若いお友達ができたみたいで嬉しいから」

「由紀子さんは、その後体調の方は大丈夫ですか?」

 清人に「退院直後で相手に迷惑」と言われた事もあり、自然に気遣う言葉が出たのだが、それを聞いた由紀子は笑顔で経過を述べた。


「一応服薬は続けているし、月一回の定期健診は必要だけど、無理をしなければ大丈夫と言われたわ。至って順調よ」

「良かったですね」

 心からの安堵の言葉を告げた清香に、聡も真顔で頷く。

「発作を起こして、倒れた場所が場所だったからね。すぐ適切な処置をして貰えたし」

「どこで倒れられたんですか?」

 疑問に思って尋ねた清香に、聡がしみじみとその時の状況を語った。


「難病の子供が集まっている、小児病棟での慰問中に倒れてね。そのまま、その病院に入院したんだよ」

「それは……、本当に不幸中の幸いでしたね」

 流石に驚きの表情を見せた清香だったが、納得して一人頷いた。そして思いだした様に、持参した白い紙袋を由紀子に向かって差し出す。


「あの、少しだけですけどお土産を持参しましたので、宜しかったら皆さんで召し上がって下さい」

「あら、清香さん、そんな気を遣って頂かなくても良いのに」

「いえ、やはり初めてのお宅に、手ぶらでというのは少し気が引けまして。こんなご立派なお宅なのに、ほんの少しで却って申し訳無いのですが……」

「あら、そんな事言わないで。ありがたくいただくわ」

 恐縮気味に述べた清香に対し、最初は断りを入れた由紀子もそれ以上固辞する事はできず、笑顔で紙袋を受け取った。すると続けて清香が恐る恐る尋ねてくる。


「それで……、今更なんですが、聡さんに事前に聞いておくのを忘れていまして。和菓子の類が苦手な方はいらっしゃいますか?」

「いいえ? 皆大好きだから安心して?」

 笑顔で請け負った由紀子に、清香は安心した様に満面の笑みを浮かべた。

「良かった! 中身は《すみのや》って言う神田にあるお店の、練りきりと塩饅頭なんです。とっても美味しいんですよ?」

「え!?」

 清香が嬉しそうに述べた瞬間、小笠原家の面々は揃って驚きの声を上げた後、彼女と何のロゴも店名も入っていない白無地の紙袋を、交互に見やって固まった。


「あ、あの……、どうかされました?」

 流石に異常を感じた清香の前で、勝と聡の間で小声のやり取りが交わされる。


「…………聡?」

「いや、俺は別に何も! わざわざ言う事でも無いだろう!?」

「あの、何か、まずかったでしょうか?」

 何かを探る様な目つきを息子に向けた勝に、聡が真顔で首を振る。そんな中、不思議そうに口を挟んできた清香に、勝は比較的穏やかな声で問い返した。


「清香さん。一つ尋ねても良いかな?」

「はい、なんでしょうか」

「どうして今日、これを持参したのか聞きたいんだが」

「実は今日の午前中、兄に『すみのやに行って塩饅頭を買って来てくれ』と頼まれまして」

 それを聞いた勝は、身内にだけ分かる位に、僅かに目を細めた。


「ほう? 以前から贔屓にしているのかな?」

「はい。兄はお酒も飲みますけど、甘い物も結構好きで。家に来る出版社の担当の人が、良く甘い物を差し入れしてくれるんです。それで三年前位にこれを貰ったら『餡が変にベタベタしなくて口の中で溶けて旨い』と気に入りまして」

「そうですか」

 思わず頷いた勝に、清香が笑いながら話を続けた。


「それからは、知り合いの編集さんに勧めたり、締め切り間近の時期になると食べたがって、私に買って来てくれと何度も頼まれて、場所も覚えてしまったんです」

「なるほど」

 清香の笑顔に釣られたのか、勝も僅かに顔を緩ませて納得した素振りを見せたが、それに安堵しつつも根本的な疑問がまだ解消していない事に気付いた清香は、改めて問いかけた。


「それで今日も午前中に頼まれたので、ついでにこちらのお土産分も買った訳なんですけど、何か不都合でも……」

 恐る恐るそう述べた清香に、由紀子と聡が慌てて取りなそうとする。


「あら、別に不都合なんかじゃ無いのよ?」

「そう、ちょっと凄い偶然で、驚いただけで」

「偶然って……」

「《すみのや》は私の実家がやっている店で、これを作っているのは、私の兄と甥っ子なんです」

「え?」

 そこで唐突に口を挟んできた勝の台詞に、清香の思考が一瞬停止した。


「そ、そう言えば、確かに聡さんからお父さんの旧姓が角谷ってお伺いしてましたけど、すみや、で、すみのや……、そ、そうなんですかっ!?」

「はい」

 淡々と勝が頷いて見せた途端、清香は顔を真っ赤にして頭を下げた。


「し、失礼しましたっ! ご実家のお菓子なら食べ慣れてますよね? すみません、そういう物をお土産に持参するなんてっ!」

(うぅぅっ! 私のバカバカバカっ!! 事前に聡さんに和菓子を持参して大丈夫かどうか、一言聞いておけば、その話の延長でお父様の実家の話も聞けたかもしれないのに! こんな事お兄ちゃんに知られたら、『だからお前は思慮の足りない子供なんだ』って、絶対言われる!)

 恥ずかしさで、思わず涙が出そうになるのを清香が必死に堪えていると、ここで予想外の声がかけられた。


「そんなに恐縮しないで下さい清香さん。結構な物を頂戴しまして、ありがとうございます」

「え?」

 思わず反射的に顔を上げた清香は、発言した人物を見て驚いたが、思わず傍観していた由紀子と聡も、呆気に取られた。


(あら、まあ……、珍しい)

(げっ……、あれが父さん!?)

 そこには、先程までの無愛想ぶりはどこへ行ったのかと思うほど、穏やかで如何にも人好きのする笑顔を浮かべた、勝が存在していた。


「確かに実家の物ですから、小さな頃からこの味は食べ慣れていますが、この一年程は忙しさにかまけて、実家を訪問していないんです。わざわざ買いに行く様な真似もしませんし、久しぶりにこれを味わう事ができて、私にとっては何よりのお土産です」

「そう言って頂けると、私も嬉しいです」

 そう言われて本気で胸を撫で下ろした清香に、勝は穏やかな口調で話を続けた。


「それに兄上が、殊の外実家をご贔屓にして頂いているとの事。聡から伺いましたが、お兄さんはあの作家の東野薫さんですよね?」

「はい」

「そんな有名な方に好んで買って頂いていると知ったら、実家の兄や甥も喜びます。二人に代わって、お礼申し上げます」

 ここで軽く頭を下げた勝に清香は却って恐縮し、慌てて言葉を継いだ。


「いえ、そんな。だって確かに美味しいですから!」

「あなたの様な若い方にも、好んで頂けるとは嬉しいですね」

 そんな調子でにこにこと世間話に突入した二人を見て、由紀子は微笑み、聡は憮然とした表情になった。


(良かった。流石に清香さんに変な言い掛かりとかは付けないだろうとは思っていたけど、彼女の事が気に入ってくれたみたい)

(なんなんだ、あの手のひら返した愛想の良さは……。詐欺だ……)

 そんな中、勝が慎重に清香に尋ねる。


「ところで清香さん。先程お兄さんが締切間近の時期に、和菓子を買いに行かせられると言う様な事を仰っていたが、そうすると今がその時期なのかな?」

「えっと……、あら? そう言えば……、予定を書き込んでるホワイトボードには、そんな切羽詰まった予定は、書いて無かった気がしますが……」

「そうですか」

 首を傾げて考え込んだ清香を見ながら、勝は傍目にはあっさりと会話を終わらせた。しかし聡と同様、その意味する所を慎重に考えてみる。


(ふぅん? ……この娘は間違っても、腹芸ができるタイプには見えないが、あの“彼”がそうなる様に仕向けたか?)

(何となく、兄さんの意図を感じる。彼女に対する父さんの心証を良くする為、わざわざ午前中に買い物を頼んで、自然に買わせたのか?)

 そして親子揃って、同じ結論に至った。


(できるなら妹を行かせくは無いが、関係をバラしたくは無いし、行かせたら行かせたで、粗雑な扱いをさせられるのも嫌だと言う事か)

 そんな男達の思惑など関係無く、由紀子は塚田に指示を出しつつ、清香に笑顔を向けていた。


「それでは早速これをお茶受けにしましょう。塚田さん、お願いね」

「畏まりました」

(本当に、屈折しまくった男だな)

(本当に面倒な人ですね、兄さん)

 そしてこの場に居ない一人の男の事を思って、勝と聡は深い溜息を吐いた。

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