第20話 彼女と彼らの事情
真澄によって解散が宣言されてから、清香に簡単な別れの言葉を告げて校舎の方に歩き出した恭子は、パンフレットを広げながらメモの内容と照らし合わせつつ、廻るルートを考え始めた。
「えっと……。この内容と現在位置だと、まずは中庭に行って、噴水とその周りを撮ってから、横の一号棟に入って二階の渡り廊下ってところかしら?」
そんな事を呟いていると、背後から聞き覚えのある声がかけられる。
「お手伝いしましょうか? 恭子さん」
「え?……あら、松原さん、でしたよね。どうかしましたか?」
声から予想できた人物だった為、振り返った恭子は大して驚きもせず質問した。それに対して友之が真顔で答える。
「別に、大した事ではありませんが、困っている女性を放っておけないタチなんです。それにここは、勝手知ったる母校ですし」
「写真を撮るだけですし、校内の案内図も有るので、大して困ってはいませんが?」
くすりと小さな笑いを零しながら、再度恭子が問いかけると、友之もニヤリと笑いながら楽しそうに応じる。
「正直に言えば、それは単なる口実です。美人とお近づきになれるなら、どうとでも言いますよ」
「あら、お口が上手なんですね」
「口以外も、結構自信が有りますよ。一度、試してみますか?」
「結構です」
友之の誘いを、笑顔でさらっとかわした恭子は、目的地に向けて再び歩き出した。その少し後ろを友之が苦笑しながら、ゆっくりと追い掛ける。
「そう言えば、恭子さんは資料として写真を撮りに来た話が、どんな内容か知っているんですか?」
「今のところ、先生が編集の方と話し合った粗筋だけなら、存じています」
「興味があるな」
一言そう述べた友之をチラリと振り返った恭子は、意外そうな顔を向けた。
「知りたいんですか?」
「ええ、是非。教えられませんか?」
「別に、構いませんけど……。なんとなく松原さんは、先生の本の内容には興味が無いと思っていました」
「そうですか?」
益々面白そうな顔をした友之から、進行方向に視線を戻した恭子は、歩きながら淡々と説明をし始めた。
「主人公は工学部の学生で、卒論を書くために配属になった教室の教授夫人と、不倫関係になるんです。教授夫妻はかなり年が離れていて、色々な感情のすれ違いとかがあった設定ですね」
「……は?」
何故か間抜けな声を上げて顔を強張らせた友之に構わず、恭子は言葉を継いだ。
「それで、教授の目を掠めて密会を続けた挙げ句、その学生は卒業と同時に恋人にプロポーズして、教授と別れる事を迫ろうとするんですが、その矢先に彼女が置き手紙を残して失踪しまして。事情を知らない教授を慰める事になるそうです」
「因みに……、その教授夫人は、どうして失踪した設定なのかな?」
盛大に顔を引き攣らせている友之に気が付かないまま、恭子は目的地に向かって歩き続けた。
「なんでも彼女には、結婚前に本気で愛していた男性が居たらしく、その人と似た外見をした学生に、つい惹かれてしまったんですね」
「…………」
そこで何故か微妙な顔をして、黙り込む友之。
「そして逢瀬を重ねているうちに、胸の中で昔の彼に対する想いが募ってしまった彼女は、何もかも捨てて昔別れた男性と自分自身を求めて、旅立つんだそうです。先生が仰るには『愛と涙の感動巨編』だそうですよ? ……どこまで本気で言っているのかは分かりませんが」
「嫌み……、しかもどこからそんな話を」
「どうかされましたか?」
忌々しげに小さく吐き捨てた友之の台詞を耳にした恭子は、怪訝な顔で振り返った。しかし友之は、すかさず笑顔を取り繕う。
「いえ、何でもありません。……ところで、もう一つ質問しても宜しいですか?」
「はい、構いませんけど」
「清人さんとあなたは、男と女の関係ですか?」
「松原さんはどう思います?」
ズバリと切り込んだ友之にも全く動じず、顔にうっすらとした笑いさえ浮かべながら即座に応じた恭子に、友之は面白がっている様な笑顔で答えた。
「違いますね。たった今、その確信を得ました」
「それは何よりでした」
そうして笑顔のままスタスタと歩き去ろうとする恭子を、友之が慌てて追い掛ける。
「恭子さん、変な質問をしたお詫びに、どこでもご案内しますよ?」
「そうですか? それなら……、第十二実験室とそこの準備室の中を撮らせて貰えますか? 流石に部外者は、気安く立ち入れないと思いますので」
メモに目を落としながら恭子が申し出ると、友之は何とか笑顔を保ちながら快諾した。
「偶然ですね。俺が在学中お世話になった教授がそこの管理者ですので、口をきいてあげますよ」
「助かります。それと、そこの横の非常階段と、第二特別棟北側の花壇の植え込みも、案内して欲しいんです。一体何なのかしら? この妙に具体的な指定の仕方」
首を傾げた恭子の横で、友之が小さく呻く。
「やっぱり嫌みだ……」
「何か?」
「いえ、別に。それではご案内します」
怪訝な顔を向けた恭子に、友之は笑顔で誤魔化しながら目的地へと足を向けた。
そしてリストアップされた場所の写真を全て撮り終えた恭子は、正門に向かう道の途中で足を止め、友之に礼と別れの言葉を告げた。
「松原さん、お付き合いありがとうございました。ここで失礼させて頂きます」
「ああ、それじゃあ気をつけて」
そうして軽く一礼して歩き出した恭子の背中を見送った友之は、逆の方向に歩き出しながら携帯を取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
「友之です。全て終わって、今そちらに行きましたから。……ええ、それでは」
そして笑いを堪える表情で、恭子が姿を消した方向を眺める。
「全く……、親友だからって、揃って面倒な女性に惚れなくても良いのに。それともある意味、これが正真正銘の類友か?」
友之が一人でそんな事を呟いていた頃、正門を抜けて最寄り駅に向かおうとしていた恭子は、予想外の人物に遭遇した。
「川島さん、今終わったんですか?」
その声に斜め後ろを振り向くと、先程別れた筈の浩一が歩み寄って来る所で、恭子は少し驚いた。
「浩一さん? お帰りになったんじゃ無かったんですか?」
「ええ。清人と待ち合わせた講堂に真っ直ぐ向かったので、どこも見物していなかったものですから」
「ああ、そうでしたか」
説明した浩一の手に、大学祭のパンフレットが丸められているのを眺めた恭子が頷くと、浩一が予想外の事を言い出した。
「これから自宅にお帰りですよね? 近くに車を置いてあるんです。良かったらお送りしますよ?」
「大丈夫です、最寄り駅がすぐそこですし」
「あそこからだと、乗り換えが必要ですよね? 渋谷まで出れば井の頭線一本で行けるでしょう?」
浩一がそう言った時、恭子は笑顔を消して若干不審気に相手を眺めやった。
「……私の住所を、ご存知なんですか?」
「以前何かの折りに、清人から最寄り駅名を聞いた事があったので。最近、引っ越しとかされましたか?」
淡々と逆に問い返してくる浩一に、恭子は言葉少なに否定する。
「いえ、そんな事は」
「それなら渋谷までお送りします」
そこで恭子は幾らか躊躇う素振りを見せてから、軽く頭を下げた。
「それでは、ご迷惑でなければお願いします」
「構いませんよ。どうぞ」
そうして二人はポツポツと当たり障りの無い世間話などしながら駐車場に移動し、浩一のメルセデス・ベンツW221に乗り込んで移動を開始した。
助手席に乗せた恭子が、特に車に対しての感想など口にせず、微動だにしないで前方を眺めているのを横目で見て、浩一が小さく溜め息を零してから問い掛ける。
「その……、川島さん。最近清人の奴に、無茶な事をさせられていませんか?」
「そう言われましても……。どれ位最近の話で、どの程度無茶な事でしょうか? 今年に入ってからだと、山岳救助隊の訓練体験とか、高層ビルの窓拭きとか、早食い大会へのエントリーとか、走り屋相手にチキンレースを挑んだりとか。後は」
「はあぁ!?」
「きゃあっ!」
怪訝な顔で思い付くまま話していた恭子だが、浩一が驚きの声を上げて力一杯急ブレーキを踏んだ為、前のめりになってからシートベルトによって座席に勢い良く引き戻された恭子は、小さな悲鳴を上げた。
「どうしたんですか、浩一さん」
「すみません! でも今の、チキンレースって何ですか!?」
路肩に車を止め、顔色を変えて詳細を聞き出そうとした浩一に、恭子は淡々と答えた。
「作品の登場人物の臨場感を出す為に、一つ体感してみてくれと言われまして」
「あいつ…………、やりたかったら自分でやれよ!」
「先生曰わく『俺に万が一の事があったら清香が一人になるから、危険な事は極力避ける事にしている』だそうです」
「……そういう奴でしたね」
憤慨した表情を見せたものの、恭子があくまでも淡々と事実を述べる為、浩一は諦めて溜め息を吐いた。
「川島さんは、そういう事をさせられて平気なんですか?」
「それは……、やはり大変ですし困りものですが、保険金は先生を受取人にして十分かけてあるそうなので、私が死んだらそれでお墓を立ててくれるそうですし、今の所特に不満はありません」
あっさりと言い切った恭子を、浩一は一瞬痛ましいものを見るような目つきで眺めてから視線を前方に戻し、ゆっくりと車を発進させた。そして再度流れに乗せてから、静かに口を開く。
「川島さんは……、最近、生活必需品以外に何か買われましたか?」
そんな唐突な話題の転換に、流石に恭子は戸惑った。
「あの……、消耗品とか仕事上必要な物以外、と言う事ですか?」
「ええ」
「ありません。でも、それがどうかしましたか?」
あまり考えもせず答えた恭子に、浩一が溜め息を堪えながら再度問い掛けた。
「質問を変えます。最近欲しいと思った物や、やりたいと思った事はありませんか?」
「はぁ……、そうですね。今日出ていた清香ちゃんが作ったアレンジは素敵でしたね。時間があれば清香ちゃんに教えて貰いたいですけど、今現在小笠原絡みで色々先生からの指示が多くて、当分は無理みたいです。それがどうかしましたか?」
事も無げに言い切った恭子に、浩一は何か苦い物でも飲み込んだ様な表情で続けた。
「いえ、なんでもありません。……清人の無茶振りが、年々エスカレートしているみたいで、すみません」
「別に、浩一さんに謝って頂く筋合いではありませんから」
「まあ……、それは、そうなんですが……」
不自然に言葉を濁した浩一を、恭子は再度怪訝な顔で見やったが、ここで目的地付近に到着した事に気が付いた。
「浩一さん、ありがとうございました。この辺りで結構ですので」
「分かりました。今、歩道に寄せます」
そして止まった車から、礼を述べて降りようとした恭子に、背中から浩一の声がかけられる。
「まだ、大事なものは作れませんか?」
「え?」
咄嗟に運転席を振り返り、些か厳しい探る様な視線を向けてきた恭子から、浩一は不自然に顔を逸らして別れの言葉を告げた。
「……いえ、何でもありません。お気を付けて」
「ありがとうございます」
そうして頭を下げてから車が走り去るのを見送った恭子は、幾分不機嫌そうに駅に向かって歩き出した。
※※※
清香達の周囲限定で、嵐が巻き起こった学祭から約三ヶ月後、何故か清香が見覚えのある箱を両手で差し出しながら、恭子に向かって頭を下げた。
「恭子さん、お願い! 何も言わずにこれを受け取って!」
「え? これって……、真澄さんが競り落とした物と同じ物よね。清香ちゃん、どうして私に?」
仕事部屋に乱入してきた清香に突然そんな事をされ、恭子は当然戸惑った。すると清香が冷や汗を流しながら、切羽詰まった表情で告げる。
「えっと……、実は浩一さんに、これの作成と完成品を恭子さんに渡す事を依頼されまして……。既に料金は頂いているもので」
「どうして柏木さんが、私にこれを下さるんですか?」
要領を得ない説明に、恭子の表情が益々怪訝な物になったが、清香も困惑気味に続けた。
「何でも、オークションでお兄ちゃんが競り落とそうとした時『私が恭子さんの部屋に行った時、殺風景だったと言ったからプレゼントする』とか何とか言ったのが、耳に残っていたらしくて」
「はあ? それでどうして清香ちゃんが、新たに作って私に渡す話になるのかしら。必要性を感じないんだけど?」
率直に意見を述べた恭子に、清香が頷きながら尚も続けた。
「そこの所は、私にも良く分からないけど……。とにかくお願い、恭子さん! 誕生日プレゼントの前渡しでも、知り合って何周年の記念でも、何でも良いから受け取って! 浩一さんったら『契約違反の違約金は二倍返しだよ』って、にっこり笑って脅してくるんだもの!」
涙ぐんだ清香が再び頭を下げると、恭子は一瞬唖然としたものの、取り敢えず大人しく両手で差し出されていた箱を受け取った。
「……えっと、清香ちゃんが困っているなら、遠慮無く頂くわ」
「良かったぁぁっ!」
思わず空になった両手を打ち合わせて安堵する清香に、黙ったまま机で仕事をしていた清人が、椅子ごと振り返って皮肉っぽく笑いかける。
「本当に良かったな、清香。報酬に見合った仕事が出来て」
その冷やかす様な笑みを見た清香が、盛大に噛み付いた。
「何笑ってるのよ、お兄ちゃん。他人事だと思って! あれを見た時、私、心臓が止まりかけたんだから!」
そんな猛烈な抗議にも、清人はしれっとして言い返す。
「受け取る時にきちんと中身を確認しないで、安請け合いしたお前が悪い。……例え相手が知り合いでも、無闇やたらに物を受け取るなという、良い教訓になっただろう?」
「だってあんなペラペラな封筒、精々お札が一枚か二枚だって思うじゃない! そうしたら普通為替証書だなんて詐欺よ……。うもぅ、お兄ちゃんも浩一さんも意地悪! やっぱりお金持ちの心理なんて、私には到底理解できないわっ!」
「あ、清香ちゃん?」
色々我慢の限界を越えたらしい清香が、文句を言いながらその場から走り去り、全くわけが分からなかった恭子が清人を問い質した。
「あれは何なんですか? 一体」
しかし清人は、その問い掛けを軽く流した。
「なに、清香の金銭感覚は、浩一のそれとは違ってごく一般的だという話です。とにかく、それはちゃんと持って帰って下さい」
「はあ……」
まだ何となく納得出来かねる表情だったものの、恭子は軽く頷いて手元に視線を落とした。それをさり気なく眺めてから、清人は再度仕事に取りかかったのだった。
そしてその日の仕事を終えた恭子が、借りている1Kのアパートに帰り着き、いつも通り上がり口にあるスイッチを押して部屋の灯りを点灯させた。すると生活感や個性を全て削ぎ落とした様な、無機質で殺風景な光景が現れる。
恭子は無言のままキッチン横を抜けて部屋に入り、小さな座卓の上に持っていたバッグと紙袋を乗せた。それから徐に紙袋からプリザーブドフラワーの詰まった箱を取り出す。箱の蓋を開けてひっくり返したそれを底に重ねると、透明なプラスチックカバーが付いたそれは、そのまま飾れる状態になり、色鮮やかな花の集合体は、そのモノトーン調の室内では明らかに異彩を放っていた。
「これを私にどうしろって言うのかしら? 相変わらず良く分からない人ね、浩一さんって……」
そんな事を呟きながらも、何となくその鮮やかな色彩から目が離せなくなっているのを、恭子は自覚していた。
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