第3話


 お昼時の食堂は、生徒たちの姿で溢れかえっていた。

 なんとか空いている席を見つけ、ヴァニアスとルオーネはそこでランチをとっていた。

 食堂にはセルフィの姿もあった。

 セルフィが来る前から場所取りをしていた男子生徒から、セルフィは席を譲ってもらっていた。また別の男子生徒に椅子を引いてもらったり、更にまた別の男子に食事を席まで運んできてもらったり、セルフィは過剰なまでのレディファーストをされていた。

 それをヴァニアスはずっと目で追っていた。ルオーネが目の前にいるというのに、無意識に目が吸い寄せられてしまうのだ。

「またあの子を見ていますわね。そんなに気になるんですの?」

 目の前のルオーネに視線を移すと、ルオーネはジト目になって、ヴァニアスを見つめていた。

「彼女、たくさんの男子に囲まれて目立ってるから、つい目が向いてしまうだけさ」

「先日の入学式の日も、あの子を見つめていましたわ。あの時はあの子、注目はされていましたけれど、別に男子に囲まれてはいませんでしたわよ」

「そうだったかな? 覚えてないよ」

「ヴァニアス様。本当にあの子に気を惹かれてはいないんですのね?」「当たり前じゃないか。君というものがありながら、他の女性に惹かれるなんてあり得ないよ」

「今もわたくしのことだけを愛してくださっていると思ってよろしいんですのね?」

「無論さ!」

 尚もヴァニアスの黒い瞳をじーっと見つめるルオーネ。

「なんだか信用できませんわ」

「そんな、ぼくは嘘なんかついていないのに」

「では、ランチが終わったら、わたくしにキスしてくださいまし。それでわたくしたちの愛の深さが量れましてよ」


 イベントホールの裏手は昼休みでも人気がなく、二人以外に誰もいなかった。

「それでは、キスしてくださいまし」

「ぼくってそんなに信用ないかい?」

「キスしたらすぐにわかることなんですから、早くしてくださいましな」

「わかったよ」

 目を瞑り、顔を上向けてじっとしているルオーネの肩に両手を置き、ヴァニアスは顔を近づけ、そして唇を重ねた。

 その瞬間、二人の腕に巻かれたブレイブウォッチが桃色の光を放つ。それは二人が相思相愛だということを証明していた。

 二人は顔を離し、同時にブレイブウォッチを確認する。

 ルオーネの顔が曇る。

「ついこの間、入学式の前日にキスした時よりも、ブレイブエナジーが半分程度しか増えませんわ! やはりヴァニアス様の気持ちが、わたくしから離れていってしまっているんですわ!」

「そんな馬鹿な! もう一度やってみよう」

 ヴァニアスが再びルオーネに口づけする。しかし何度やっても、入学式の前日の半分程度しか、ブレイブエナジーは溜まらなかった。

「ヴァニアス様! やはりあの子のことが気になっているんですのね! そうに違いありませんわ! 酷い! 酷いですわヴァニアス様! ずっとわたくしのことだけを愛してくださると約束してくださっていたのに! あの言葉は嘘だったのですね!?」

 ルオーネに制服を掴まれ揺さぶられるヴァニアスの瞳もまた、中空を揺れていた。

「そんなはずは、ないよ。ぼくの心が、浮ついてるだなんて、そんなはず……」

 ヴァニアスの口から零れ出た言葉に、覇気はなかった。


 一年A組の教室の中は、放課後になったというのに、休み時間の時のような騒がしさで満ちていた。

 なかなか恋人を作ろうとしないセルフィに業を煮やした男子生徒たちが、今日こそはとセルフィを囲んで求愛していた。

「おれと付き合ってくれよ!」

「いやいや、ぼくの恋人になってよ!」

「おれ様と付き合った方が得だと思うぜ。おれ様ん家金持ちだから!」

 しかしセルフィの答えはいつもと変わらなかった。

「もうちょっと考えてから決めたいの。だから、今日は帰らせて」

「いつもそうやってはぐらかすけど、もうおれ我慢の限界だよ! 今日こそ結論聞かせてよ! セルフィさんは誰と付き合いたいの?」

「おれも聞きたい!」「おれも!」「ぼくも聞きたいよ!」

「そんな、わたし困るよ」

 セルフィが帰ろうとすると、男子たちがセルフィを塞ぐように取り囲む。

「ちょっと通して!」

 無理矢理通ろうと試みるが、セルフィ一人の力では、大人数の男子の力に勝てるわけがなかった。

「ダメだよ! 今日は答えてくれるまで帰さないからね!」

「そうだそうだ! おれたちをこれだけ焦らしたんだから、答える義務があるはずだ!」

 男子たちに押し戻されるセルフィ。前にいる男子たちも後ろにいる男子たちに押されるものだから、力の加減ができず、思いのほか強い力でセルフィを押してしまう。

「きゃ!」

 押されたセルフィの背中が、教室の後ろの壁に打ち付けられる。しかし興奮している男子たちはセルフィの心配などせず、返事をくれと更に言い募る。

 つと、人垣の中心から怒声が迸った。

「いい加減にしてよね!」

 一瞬で場が静まり返る。

 今この場には女子は一人しかいないというのに、男子たちは今しがた聞こえた女子の怒声が一体誰のものなのか理解できず、男子同士で数瞬顔を見合わせた。そして頭が理解すると同時に、人垣の中心へと顔を向ける。

「なにが義務よ! あんたたちが勝手にわたしに群がってきてるんでしょ!」

 セルフィの態度の急変に、さっきまでの威勢はどこに行ったのか、男子たちは黙り込み、なにも言い返せなかった。代わりに再度顔を見合わす男子たち。

 一人の男子が恐る恐る声をかける。

「セルフィ、さん?」

「あーウザッ! もうやってらんないわ。わたしがあんたたちみたいなブ男と付き合うわけないじゃない。あんたたち、自分の顔を鏡で見たことないわけ? 身の程を弁えなさい」

 やはり聞き間違いではないことに気づき、男子たちがやっと反応を返しはじめる。

「は? なんだって?」

「だから、あんたたちみたいなブサイクが、このわたしとつりあうわけないでしょって言ってんの。わかったらそこどいて」

 人垣を掻き分けてセルフィが帰ろうとするが、男子たちは通さなかった。

「どいてって言ってるじゃない。どきなさいよ」

「なんだよいきなり。今までずっと猫被ってたってわけか」

 開き直っているセルフィは、不遜に胸を反らす。

「そうよ、悪い? けどもう疲れちゃった。大体、あんたたちみたいなブサイクの前で猫被ってたら、ブサイクがひっきりなしに寄ってきて、気持ち悪いったらないわ」

「ぼくたちが必死になって君にアプローチしてたことを、そんな風に言わなくてもいいじゃないか!」

 男子たちから次々に非難の声が上がる。

「お前見た目は綺麗だけど、心は超ブスだな!」

 言われたセルフィは涼しい顔。

「ふんっ。そんなこと言われなくてもわかってるわよ。でもそれはあんたたちも同じじゃない。わたしが本性見せて本音をちょっと言っただけで手の平返しちゃって」

「それはお前の口が悪すぎるからだろうが!」「そうだそうだ!」

「あーやだやだ。自分のポテンシャルを客観的に見れない男って、見た目も心もブサイクなんだから。その上プライドだけは人一倍高くてもう最悪ね」

「なんだと! テメエもっぺん言ってみろよ!」

 怒りが頂点に達した男子の一人が、セルフィの肩をドンッと押す。

 よろけたセルフィが眉を吊り上げる。

「ちょっとやめてよ! 女に手を上げるなんて男のクズがすることよ! あんた最低ね!」

「今日までずっとそんな風に心の中ではおれたちのことを蔑んでたのかよ! 散々コケにしやがって、許さねえぞこのアマ!」

 怒った男子たちに乱暴な手つきで押され、セルフィが教室の角に追い詰められていく。

「ちょっと触んないでよ汚らわしい!」

「んだとコラァ!」

「何事だ!」

 その声に全員が教室の入り口を振り向く。

 そこにいたのは青いマントを翻した二年生のヴァニアスだった。

 ヴァニアスが一年A組の教室の中に入ってくる。

「騒がしい声がするから来てみれば、一体どうしたっていうんだい?」

「てめえには関係ねえだろうが! 引っ込んでろ!」「そうだそうだ!」

 怒り心頭の一年生たちは、相手が二年生だというのに、ヴァニアスに向かって乱暴な言葉をぶつけた。

 それを意に介さず、ヴァニアスは人垣に近づいていく。

「男子が寄ってたかって女子一人を取り囲んでいる状況を目の当たりにして、放っておけるわけがないだろう? なにがあったのか聞かせてくれないか?」

「こいつがおれたちにナメた真似しやがったんだ!」「そうだそうだ!」

 セルフィは男子の気がヴァニアスに逸れた隙をついて、男子包囲網から脱出した。

「あ、待てコラ!」

 セルフィは縮こまってヴァニアスの背中に隠れる。

 ヴァニアスが背中に顔を向けながら問いかける。

「彼らの言っていることは本当なのかい?」

 二年生にヴァニアスという超男前の先輩がいるということは、セルフィも知っていた。何度か遠くから見かけたこともあった。その時から格好良いと思っていたが、近くで見るヴァニアスは、遠くから見ていた時よりも更に数段格好良かった。その超が付くほどの格好良さは、セルフィの心をときめかせた。

 セルフィは瞬時に猫を被り、本性を露わにしていた時よりも高い声を出す。

「騙してなんかいませんわ。あの方たちの求愛を断ったら、急に怒り出してしまって」

「なるほど、そういうことだったのか。君たち、自分が恋人に選んでもらえなくて残念な気持ちになるのはわかる。でも自分の思い通りにならなかったからといって、彼女を責めるのはおかしいんじゃないかい?」

「違う! その女がいきなり態度を変えやがったんだよ!」

「いきなりおれたちのことを、こきおろしてきたから怒ってるんだ!」

 セルフィを取り囲んでいた男子たち全員が同調する。

「お断りしたら、いきなり態度を変えてきたのはあの方たちなんです。大勢の殿方に詰め寄られて、突き飛ばされて、わたし、とっても恐かった!」

 セルフィがヴァニアスの背中の青いマントに縋りついて顔を埋める。

「女性に暴力を振るったのかい? 君たちは男の風上にもおけないな」「ふざけんじゃねえぞ! おれたちとイケメンの前で態度変えやがって! 最低な女だな!」

 再びヴァニアスが背中に顔を向けて問う。

「彼らはこう言っているが?」

「断ってもしつこく求愛してこられたので、少しきつくお断りの言葉を言っただけです。うぅ……」

 セルフィはヴァニアスのマントに顔を埋めたまま、嗚咽を漏らし始めた。勿論嘘泣きである。

「どこが少しだよ! クソミソだったじゃないか!」

「嘘泣きしてんじゃねえよ!」

「おいおい、彼女は違うと言ってるじゃないか。ぼくには彼女が嘘を言ってるようには見えない。勇気を出して告白したのに彼女に受け入れてもらえなくて悲しい気持ちになっている時に、彼女に少しきつい言葉を投げかけられたから、態度が急に変わったように感じたんだろう。今日のところはぼくの顔に免じて、もうこの辺で許してやったらどうだい?」

「はあ!? ふざけんなよ! おれはそいつを許せねえ! 一発しばかせろ!」

 激昂した男子が肩を怒らせてセルフィに近づこうとする。その男子の肩を、別の男子が掴んで止める。

「やめとけ。そんな女、しばく価値もない。そんな奴をしばいて停学にでもなったら、損だと思うぞ。もう相手にしない方がいい」

「……そうだな。行こうぜ」

 男子たちはぶつぶつ文句を言いながら、教室を出て行った。

 そして一年A組の教室には、セルフィとヴァニアスの二人だけが取り残された。

 ヴァニアスが自分の背中にしがみついているセルフィに振り向く。

「怪我はないかい?」

「はい。ありがとうございました」

 セルフィは目元を拭うフリをしながら礼を言った。

「恋愛を推奨しているこの学院では、今みたいないざこざは日常茶飯事だ。気をつけた方がいい。と言っても、君みたいにあれだけの男子を惹きつけてしまう魅力的な女の子は、どんなに気をつけていても、さっきみたいなトラブルに巻き込まれてしまうかもしれないけどね。それにしても、あれだけいたのに、君のお眼鏡に適う男子は一人もいなかったのかい?」

「はい。あの方たちの中にはいませんでした」

「そうか。君のような美しくて、みんなの注目の的になっている女性は、一体どんな男子を恋人に選ぶんだろうね。ぼくも君のことは前から気になっていてね」

「わたしのことが気になる?」

「ああっ! その異性として気になるという意味じゃあないんだよ。単なる好奇心、そう好奇心だ」

 ヴァニアスは自分に言い聞かせるように言った。

「そうですか。わたしのことが気になると聞いて、一瞬喜んでしまったんですけど、残念です」

「どうして?」

「ヴァニアス先輩ですよね? 二年生の」

「いかにも。ぼくがヴァニアスだ。ぼくのことを知ってくれていたんだね」

「当たり前じゃないですか。この学院でヴァニアス先輩のことを知らない人なんていません。女子の多くがヴァニアス先輩に熱い視線を送ってます。あたしも前々から密かにヴァニアス先輩に憧れていたんです。だから」

「ぼくに憧れていただって? それはどういう?」

「好き、という意味です。勿論男性として」

「セルフィ……」

「さっきわたしは気をつけていてもトラブルに巻き込まれるとおっしゃいましたけれど、ヴァニアス先輩がわたしを守ってくれませんか?」

「ぼくがかい?」

「はい。ヴァニアス先輩がいつもわたしの傍にいてくれて、わたしのことを守って欲しいんです。ヴァニアス先輩の恋人は、わたしじゃダメ、ですか?」

 セルフィがヴァニアスの手を両手で握り、ヴァニアスの瞳を上目遣いで見つめた。

 ヴァニアスは表情を惚けさせ、数瞬の間、セルフィと見つめ合った。しかしすぐに我に返り、セルフィの手を振り解く。

「悪いけど、ぼくにはルオーネという恋人がいるんだ」

 セルフィが手の平を口の前に広げる。

「あっ、わたしったらいけないわ。ヴァニアス先輩には既に恋人がいると知っていたのに、つい自分の気持ちをぶつけてしまって。申し訳ありません!」

 深々と頭を下げるセルフィ。

「謝らなくていいよ。立派な勇者になるためには、自分の恋に正直に一生懸命にならないといけないからね」

 言いながら、ヴァニアスはセルフィから目を逸らした。

「今日助けてくださったこと。本当に感謝しています。ありがとうございました。またわたしのことを見かけた時に、お声をかけていただけたなら嬉しいです」

 セルフィは再度深くお辞儀をすると、一年A組の教室から立ち去っていった。

 その背中をヴァニアスは複雑な表情で見つめ続けた。

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