美樹十一歳、懐柔担当は美那
「美那。このオッサンが、財務部で一番偉い田所部長だ」
「ありがと、かずにぃ。ざいむぶさん、こんにちは!」
「……ああ」
一応和真が紹介し、美那が笑顔で挨拶してきた為、さすがに小さな子供に悪態を吐くのはどうかと思った田所が、仏頂面ながら頷きを返した。すると美那が、たすき掛けにしている大き目のポシェットの中に手を突っ込んで、何かを探し始める。
「ええっと……、それじゃあ……」
「美那? 何をやってるんだ?」
怪訝な顔で和真が尋ねると、何かを探し当てた美那が、それを田所に向かって勢い良く差し出しながら、満面の笑みで叫んだ。
「ざいむぶさん、わいろ!」
「………………」
田所は無言で瞬きし、その場に沈黙が漂ってから、何とか気を取り直した和真が美那に尋ねた。
「ちょっと待て、美那。お前が田所に向かって出した品物が、酢昆布なのは取り敢えず置いておいて、どうして賄賂なんだ? 賄賂って言うのは基本的に、悪い事をする時に渡す物だろう?」
「ちがう? ……じゃあ、そでのした!」
「…………」
指摘されて、一瞬困惑顔になった美那だったが、すぐに笑顔で言い直した。しかし田所は微動だにしないままであり、和真は本気で額を押さえながら呻く。
「お前……。本当に最近、美樹達からろくでもない言葉しか教わっていないとみえる……。袖の下の意味も、賄賂と大して違わないぞ」
「あれ? つけとどけ、かなぁ……」
段々自信が無くなって来たらしい美那が、それでもめげずに酢昆布の小さな箱を田所に差し出したが、和真は微妙過ぎる顔で考え込んだ。
「付け届け……。基本的に目下から目上の者に贈る物だから、年齢的には良いかもしれんが、美那は一応社長令嬢だしな……。この場合、立場的にはどうなるんだ?」
「あ、おもいだした! おちかづき!!」
「…………」
再び明るく叫んだ美那を見て、田所の眉間の皺が更に増加し、和真は疑わし気に確認を入れた。
「ひょっとして『お近づきのしるしに』ってやつか?」
「うん、つまらない!!」
そんな自信満々の叫びに、和真は本気で脱力した。
「美那……、そう力一杯叫ぶな。本当につまらない物を、渡しているように聞こえるから」
「おっきいさん、まだある! もって!」
「え?」
強引に押し付けられるようにして酢昆布の箱を持たされた田所の掌に、美那が次々にポシェットから取り出した物を乗せていく。
「これ、ださめがねさん! これ、うれすぎじゅくじょさん! これ、つるぴかひげひげさん! これ、ざんねんだんでぃさん! みんな、おちかづき!」
「本当に容赦ないな、あいつ……」
極細ファイバークロス、口紅、万年筆のインクカートリッジ、ネクタイピンを乗せながら美那が発した言葉に、それを発言した人物が誰なのか否応なく分かってしまった和真は、思わず項垂れた。そして自分の手に乗せられた物を凝視しながら、田所が掠れた声で確認を入れる。
「……お前からだと言って、俺から皆に渡せと?」
「うん、みんなで、あそぼ?」
「ふざけんな!!」
「きゃうっ!」
「美那!!」
いきなり激昂した田所が、手にした物を力一杯美那の顔目がけて投げつけた為、咄嗟に両手で顔を庇った美那は悲鳴を上げた。と同時に和真は血相を変えて二人の間に割り込み、田所の胸倉を掴んで締め上げる。
「田所! 貴様、ガキに向かって何しやがる!?」
「はっ! 最近すっかり子守が板につきやがったな、情けねぇぞ小野塚!! 確かに俺らの仕事は、お前らみたいに体張ったモンじゃねえがな! それでも危ない物に手ぇ出しながら、しくじったら加積様に命丸ごと差し出す覚悟で、ずっと仕事してきたんだ! ガキの遊びと一緒にされてたまるか!!」
「はっ!! 最近はガキの遊び並みの仕事もできないくせに、デカい顔をするな!!」
「何だと!? 言うに事欠いて、貴様!!」
そこで一触即発の怒鳴り合いが勃発したが、ここでどこかのんびりとした、不思議そうな声が割り込んだ。
「よしな、おしごとだよ?」
「は?」
「美那?」
思わず男二人が視線を下に向けると、美那の真剣な顔付きでの問いかけが続いた。
「こども、あそぶの、おしごと。あそぶの、いのちがけ、ほんき。だから、たのしいよ? おっきいさん、しごと、たのしくない?」
「…………」
真顔の美那と真正面から見つめ合った田所は、数秒後無言で視線を逸らした。それを見た和真は、彼の服から両手を離し、苦笑交じりに告げる。
「……だそうだ、田所。美那は、一緒に楽しい仕事をしたいとさ。どうやらこいつは、懐柔担当らしいな」
「『かいじゅう』? よしな、がおーじゃないよ?」
不思議そうに見上げて来た美那に、和真は思わず笑ってしまった。
「ああ、そっちの『怪獣』の方じゃなくて、手下のお友達になって、よしよしする方って事だ。この『おちかづき』を準備したのは、美樹だろう?」
「うん! これあげる、ざいむぶさん、おともだち、あそんでくれる!」
「そりゃあ親分が手下に、媚びを売るわけにはいかんだろうしな」
ニコニコしながら美樹に言われた内容を口にした美那に苦笑しながら、和真は屈んで、先程田所が廊下にぶちまけた品々を拾い集めた。そして彼に押し付けながら言い放つ。
「ほら、大人しく全部持って行け。それからこれからは美那が、一緒に遊んでくれるそうだから、幾らデカい損失を出しても、すぐに穴埋めしてくれるらしいぞ。安心して大穴開けろ。そうだな? 美那?」
「うん! よしな、さいしゅーへーき!」
「ふざけるな……。誰がガキの手なんか借りるか。本当の大人の仕事ってのを、見せてやる」
打てば響く様に答えた美那を見て、田所は怒りの為か顔を真っ赤にしながらも、大人しく和真からお近づきの品々を受け取り、足音荒く歩き去って行った。そしてその姿が見えなくなってから、美那が不思議そうに和真を見上げる。
「かずにぃ、さいしゅーへーき、なに?」
それに和真は、意外そうに問い返した。
「お前、知らないで言ってたのか?」
「うん。ねぇね、おっきいさん、おこって、なきそうなら、いえって」
「……泣きそうだったか?」
思わず首を傾げた彼に、美那が心配そうに尋ねる。
「うん。……よしな、いじめた? ねぇね、せめるとき、とことんって」
「大丈夫だ。いじめたのは美樹だからな。少ししたら、お前がなでなでしに行け」
「わかった。かずにぃ、あそぼ?」
「ああ」
そこで話を終えた二人は、いつも通り遊ぶべく、信用調査部門の部屋に向かって歩き出した。
それから約一か月後。和真は吉川から指示を受けて、副社長室に出向いた。
「失礼します、副社長。部長より報告書を預かって参りました」
「ああ。見せてくれ」
そしてざっと目を通した金田が、和真に向かって頷く。
「ご苦労だった。下がって良いぞ」
「あんたの差し金か?」
「何の事だ?」
「美樹が例の件で用意した、一億五千万だ。あの常識的な会長が、子供の遊びにそんな大金を準備する筈は無いし、社長はここを便宜上預かっている形になっているだけで、積極的にここを守ろうとはしない筈だ。そうなると、あんたが用立てたとしか考えられん」
本来の業務に関係ない事だった為、この間すっかり忘れていた事を、金田の顔を見た事で思い出した和真が尋ねると、相手はおかしそうに笑って答えた。
「確かに私が用立てたが、筋書を書いたのは最初から最後まで美樹様だ」
「そんな気はしていたがな……」
思わず溜め息を吐いた和真に向かって、金田が真顔になって話を続ける。
「美樹様は社長とは違って、きちんとここの将来を考えて下さっている。それで『財務部が完全に腑抜けになる前に、ここら辺で一回横っ面を張り飛ばしておきたいから、協力してくれ』と言われたからな」
「それで一億五千万、ポンと出すなよ……。水の泡になるとは思わなかったのか?」
そこで横から、寺島が会話に割り込んだ。
「一応、こちらに話を持ってくる前に、御兄弟で予行演習をやってみたそうですよ?」
「予行演習?」
思わず和真が顔を向けると、彼は苦笑しながら詳細を説明した。
「バーチャルマネーゲームとでも言いましょうか。三人で五億ずつ持っていると仮定して、好きな株を売り買いしているつもりで、一か月その記録を取ってみたとか。そうしたら美樹様と美久様はそれぞれ三億と一億の損失、逆に美那様は四億五千万の利益を出されたそうです」
「美那の儲け方がおかしいのは勿論だが、美樹と美久はどう考えても負け過ぎだろう? 三人とも、一体どういう売り買いをしやがったんだ……」
呆れ果てた和真に、寺島が笑いながら同意を示す。
「本当に豪快ですよね。話をされた時に『私と美久にはお金儲けの才能が無い事は、はっきり分かったわ。でも幸い、美那は私達の分まで才能はあるみたいだから、美那を財務部にぶつけてみようと思うの』と、とても良い笑顔で言っておられました」
「……そのおかげで、うちの峰岸は病休になったぞ」
「試練を乗り越えて、人は成長するものです」
「寺島、その嘘くさい笑顔は止めろ」
そんな漫才じみた部下達のやり取りを、金田は笑いながら遮った。
「あれで財務部は奮起したらしく、ここ数年とは打って変わって、この一か月でかなり積極的に動いているらしいな。早速じわじわと利益を出しているらしく、業界筋でも噂になりつつあるらしい。かつてはうちの財務部が持っているかいないかで、その会社の株価が変わるとまで言われていたからな。その頃までとは言わないが、あちこちが動向を探っているらしいぞ?」
「美那が本格的に参入したら、『往年の天才相場師、加積康二郎の再来』と言われるかもしれんな」
思わず感想を口にした和真に、すかさず金田が応じる。
「美樹様が社長就任の暁には、君が副社長に就任して実務を執り行い、美那様に財務部を担って頂ければ、盤石の体制を築けるな。これで私はあと何年かで安心して楽隠居できるし、亡くなった加積様にあの世で良いご報告ができるというものだ」
「ちょっと待て……、どうして俺が副社長になるんだ?」
そこで和真が盛大に顔を引き攣らせたが、寺島が冷静に追い打ちをかけた。
「美樹様に、細かい配慮や運営など無理なのでは? 美那様とは違った意味で、天才肌の方ですから」
「冗談じゃないぞ!! 誰がそんな面倒な立場に!」
「美樹様のご夫君になる予定の方ですからね。ですがその前に、現社長を叩き出す必要がありますが」
「おい!?」
「まあ、それは美樹様がどうにでもすると思いますから、諸々を頑張って下さい。それでは用事が済んだのなら、退室して頂きたいのですが」
「……失礼しました」
寺島から(用が済んだならさっさと出て行け、仕事の邪魔だ)的な笑顔を向けられた和真は、憤然としながら頭を下げて、副社長室を出て行った。
「お前もその暁には、副社長秘書として宜しく頼むぞ?」
「心得ております」
そんなこんなで本人の意思はどうあれ、桜査警公社の次期上層部体制は、密かに固まりつつあった。
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