美樹十一歳、密かに静かに暗躍中
「部長、部長補佐……、今少々お時間宜しいでしょうか?」
吉川の机に出向いて和真が話し込んでいる時に、恐縮気味に声をかけてきた相手を見て、二人は怪訝な顔になった。
「峰岸? それは構わないが……、どうかしたのか?」
「顔色が悪いぞ?」
「その……、美那様の指示で行っている、株の売買の件なのですが……」
自分達の問いかけを無視し、峰岸が話し出した内容を聞いて、二人はこの間すっかり忘れ去っていた事を思い出した。
「ああ、あれか。確か、ひと月位は経過したか?」
「連中はあれから何回もここに来ているが、特に口に出してはいなかったから、すっかり忘れていたぞ。ずっと売買していたのか?」
「はい。美那様から、私のスマホにメールが入りますので」
「それで? わけが分からない会社の株を売り買いして、とんでもない損失を出したのか? そんなに心配するな。副社長の通達だって出ているし、お前は単なる代理人だから、責任を問われる事は無い」
「その通りだ、気に病むな。私からも口添えしてやる」
そこで二人揃って峰岸を笑いながら宥めたが、何故か彼は益々表情を暗くしながら、ぼそぼそと結果を報告した。
「いえ、そうではなくて……、利益が出てしまいました……」
しかしその反応を見た吉川達は、納得しかねる顔つきで彼を眺める。
「峰岸……、損失ではなく利益が出たなら、喜ぶべき所だろう? とても喜んでいる風には見えんが」
「因みに利益って、幾ら位出たんだ?」
「証券会社の仲介手数料と税金、その他諸々俺への手数料も売却益から差し引いた総額が、今現在三千万強になっています……」
「……は?」
部下の報告を耳にした吉川は、間抜けな顔になって絶句したが、和真は忽ち怒りの形相になって、峰岸を文字通り締め上げた。
「おい、ふざけてんじゃねぇぞ? 何も分からんガキが面白半分に売り買いして、どうして1ヶ月やそこらで三千万からの利益が出るんだ。幾ら元手が一億でも、おかしいだろうが?」
「でっ、でも現に! こちらを見て下さい! 美樹様への報告用に作成する様に言われて、購入金額、保有株数、売却金額、売却損益を纏めた資料がありますので!」
「さっさと見せろ!」
峰岸が手にしていたファイルを目の高さまで上げた為、和真は彼の服から手を離し、それを引ったくって勢い良く開いた。それを吉川の机に置き、二人で覗き込んで内容を確認し始めると、峰岸が控え目に解説を加える。
「その……、全体の傾向を説明しますと、全ての株が経営不振や不祥事やその他諸々の不安材料で、値下がりしている段階で購入指示が出ておりまして……。ですが購入後少ししてから、画期的な新商品の開発や経営陣の刷新やその他諸々の好条件が発生して、それが公表された途端一気に値上がりしています。そして株価が高止まりに近い段階で、今度は売却指示が出ておりまして……」
そして粗方を確認し終えた和真が、頭痛を堪えながら確認を入れる。
「要するに……、逆張りしまくった挙句、悉く上手く売り抜けたと?」
「そういう事です」
「…………」
そこで吉川同様、和真も口を閉ざすと、峰岸が狼狽気味にお伺いを立ててくる。
「それで……、最初に説明された通り、取引をする度に一万ずつ俺の講座に振り込みがありまして……。それが現段階で、八十万近くになっているのですが……」
「構わんだろう、貰っておけ」
「正当報酬だ」
「でっ、ですが! これから一体、どうなるんですか!? まさかこれ以上の金額で、やり取りをしろとか言われませんよね!? 一回に億単位とか!」
「どうだろうな……、指示を出しているのが美那様だし……」
「絶対、金の価値なんか分かってないだろうし。やりかねんな……」
上司二人が必死に訴えた自分から、微妙に視線を逸らしながら答えた為、それを目にした峰岸が本気で悲鳴を上げた。
「俺、根っからの庶民なんですよ!? 0が幾つも並んだ数字を入力する度に、手が震えて動悸がして目眩がして! 俺、本当にもう駄目です! 限界です! 誰かに代わって下さい!」
「俺に言われてもな……」
思わず遠い目をしてしまった和真だったが、ここでいきなり子供の声が割り込んだ。
「あ、それ無理だから」
「手下の分際で五月蠅いよ」
「こんにちは!」
その声に慌てて振り向くと、至近距離に美樹達三人を認めた和真達は、揃って驚いた。
「美樹様!?」
「お前、どっから湧いて出た?」
「失礼ね。偶々、今来ただけよ。大体、図太い人間だと平気で儲けをちょろまかしそうだから、敢えてピンハネしようもない小心者の庶民に株取引を任せているのに、交代させるわけ無いでしょうが」
そんな事を、胸を張って堂々と宣言された峰岸は、思わず膝を折って床に崩れ落ち、和真は渋面になって苦言を呈した。
「そんな……、あんまりだ……」
「お前はもう少し、年長者に対して敬意を払え」
「あ、それから、今日は追加資金を持って来たの。ここに五千万あるから、今までの資金に加えて使って頂戴。結構重かったわぁ」
「はぁ!?」
そして、手に提げてきた大きめの紙袋を、座り込んでいる峰岸にドサリと置いた美樹は、いつも通り踵を返して歩き出した。
「それじゃあ私達、訓練に行くから」
「今日も美那の事、宜しく」
「おい、ちょっと待て、こら!!」
あっさりとんでもない事言うだけ言って、立ち去ろうとした二人を、和真が慌てて呼び戻そうとしたが、そんな彼のスラックスを美那が掴んで引っ張った。
「かずにぃ! よしな、かずわかる、かぞえる!」
「え? 何を数えるんだ」
思わず和真が見下ろすと、その視線の先で美那が得意げに床に座り込み、先程の紙袋の中に手を突っ込んで、一つずつ札束を取り出し始めた。
「えっと、ひとつ……、ふたつ……、みっつ……、よっつ……、いつつ……」
「………………」
そして数えながら峰岸の前に札束を積み上げていく美那を、その場に居合わせた全員が微動だにせずに見守る。
「よんじゅうく……、ごじゅう! できた?」
最後は立ち上がり、自分の腰の高さ程度まで札束を綺麗に積み上げた美那は、和真を見上げて尋ねてきた。対する和真は、何とか笑顔を保ちながら答える。
「……良くできたな。きちんと五十まで数えられたぞ」
「はなまる?」
「ああ。三歳でそこまでできれば、上出来じゃないか?」
「やったぁ!」
誉められたと認識した美那は、万歳しながら飛び跳ねて大喜びしたが、完全に度肝を抜かれてしまった峰岸は、座り込んだまま泣き叫んだ。
「ぶっ、ぶちょおぉぉ――っ!!」
それを聞いた吉川は、盛大な溜め息を吐いてから、呻くように指示を出した。
「峰岸……。とにかくお前はその金を、さっさと口座に入金してこい。そんな所に大金を放置しておくな。他の仕事は後回しで構わん」
「はっ、はいっ! 行って参ります!」
「金額が金額だから、一応、防犯警備部門の人間を連れていけ。俺から連絡しておく」
「分かりました!」
そして吉川が内線の受話器を取り上げ、脂汗を流しながら峰岸が元通り紙袋に札束を入れるのを眺めながら、和真は忌々しげに呟く。
「あいつはどこからこんな金を……。第一、振り込みか為替にすれば簡単に済む話なのに、わざわざかさばる現金持参でここに来るとは……。本当に、何を考えているんだ?」
訓練の後、美那を迎えに来た美樹に尋ねても、彼女は薄笑いで平然とはぐらかし、その日和真は、彼女達を憮然としながら見送った。
「おい、聞いたか、美那様の噂」
白髪交じりの初老の男が、喫煙室に入ろうとドアノブに手をかけた瞬間、中から聞こえてきたその声に顔を強ばらせ、全身の動きを止めた。しかし中に居る者達は彼に気が付かないまま、好き勝手に話し続ける。
「聞いた聞いた。株取引で一か月ちょっとで、三千万以上の儲けを出したんだって?」
「それ、幾らなんでもガセネタじゃないの? だって美那様って、社長の下のお嬢さんよね? 偶に社内で見かけるけど、二歳か三歳ってとこじゃない?」
もの凄く疑わしそうに女性が問い返したが、話を切り出した男は語気強く断言した。
「今三歳だそうだが、本当だって! 窓口になっている信用調査部門の峰岸から、俺、直接聞いたんだぜ? あいつ同期で、今でも友人付き合いしてるから」
「それじゃあ、本当に本当なの?」
「ああ。もうあいつ日に日にげっそりやつれてて。この前一緒に飲みに行ったら『夢の中で札束が大挙して追いかけてくる。押し潰される』って、さめざめと泣かれて閉口したんだ」
「ええ~、そんな夢、見てみたい!!」
「借金取りじゃなくて札束に追いかけられるなら、結構な事じゃないか」
そんな冷やかす声を聞いた男は、うんざりした口調で同僚達を窘めた。
「お前らなぁ……、一回に二千万とか三千万とか博打っぽい買い方を、連日一日何回も繰り返すあいつの身にもなってみろよ。幾ら損を出しても自分の落ち度にはならないと言い聞かされても、並の人間だったら神経と胃壁がすり減ると思わんか?」
「……確かにな」
「それに、金銭感覚が麻痺しそうよね」
神妙な口調で感想を述べた男女に、峰岸の友人である男がしみじみと言い出す。
「峰岸の奴、なんだか法外な手数料を貰っているらしいが、退職して放浪の旅に出たいとまで思いつめていたんだぞ……。もういっそ、お前が代わってやれ」
それに、如何にも焦った声での台詞が続いた。
「おい! 俺に話を振るな! 第一お前、そいつのダチなんだろ!? お前が代わってやれよ!」
「あいつの憔悴ぶりを見たら、とても代わってやる勇気は無い」
「うっすい友情だな、おい!」
そこで話も煙草も一区切りついたらしく、少しして男女三人が中から出て来た為、ドアの前に立っていた男は横に場所を譲った。その三人が軽く会釈しながら横をすり抜けて行ってから、男は一人で空気清浄機と排煙装置が微かに音を立てているだけの、静かな部屋に入る。
それからポケットから煙草の箱を取り出したが、その手は微かに震えていた。彼は当初の予定通り、箱から煙草を抜き出そうとしたが堪えきれなくなり、怒りに任せるまま勢い良くその箱を握り潰す。
「ふざけるな! 資産運用は、ガキの遊びじゃねぇんだぞ!!」
その憤怒の叫びを耳にした者は彼の他は皆無であり、閉ざされた空間の中で虚しく響くのみだった。
同じ頃、副社長室の自分の机で仕事をこなしていた金田は、ふと思い出して傍らにいる秘書に尋ねた。
「そう言えば寺島、美樹様から頼まれていた例の件はどうなっている?」
それにすかさず、落ち着き払った答えが帰ってくる。
「社内全部署に美那様の噂が伝わる様に、情報操作済みです。とは言いましても、美樹様がわざと現金を見せびらかしたインパクトが凄かったらしく、あっという間に信用調査部門から他部署に噂が広がりましたので、大した手間ではありませんでしたが」
「そうか。それで、“あそこ”の反応はどうだ?」
その問いに寺島は、薄く笑いながら答えた。
「今の所は静観……、と言うか、無視を決め込んでいるという所でしょうか?」
「そうだろうな。色々言える立場ではないと言う事もあるだろうが」
「この際、もう少しつついてみますか?」
唆す様なその提案に、金田は一瞬考え込んでから了承の答えを返した。
「そうだな……。美樹様が爆竹を投げ込んでくださったから、今度は蜂の巣でも投げ込んでくれ。方法はお前に任せる」
「了解しました」
そんな物騒な話を済ませた二人は、すぐに何事も無かったかのように、中断していた仕事を再開した。
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