美樹十一歳、覇道街道一直線

 調査先から公社に戻る途中で足を止め、着信を知らせてきたスマホを取り出した和真は、ディスプレイに浮かび上がった見知らぬ番号に眉根を寄せた。

「何だ? この番号は」

 そして一応警戒しながら、応答してみる。

「……もしもし?」

 そこで聞き慣れた甲高い声が聞こえてきた為、和真は呆気に取られた。


「かずにぃ? よしな」

「は? どうしてお前が、これに電話してくるんだ。番号を教えてはいないよな?」

「にぃに しってる」

「お前の兄貴にも、教えた覚えはないんだがな……」

 淡々と言われた内容を聞いて、和真は思わず溜め息を吐いた。しかしすぐに気を取り直し、話を進める。


「まあ、取り敢えず良いか。どうした。何か急用か?」

「ねぇね ぷれぜんと」

「は?」

 完全に意表を衝かれた和真に、美那が問いを重ねる。


「かずにぃ あげない?」

「この前言っていた、美樹への誕生日プレゼントの事か? そのつもりだが」

「あげない……」

「おい、どうした?」

 ボソッと低い声で呟いたかと思ったら無言になってしまった為、和真が呼びかけてみると、美那が質問を再開した。


「かずにぃ ねぇね きらい?」

「……全面的に好きではないかもな」

「よしな だいすき!」

「そうか……。姉妹で仲が良くて、何よりだな」

 本心からと分かる美那の宣言を聞いて、思わず遠い目をしてしまった和真だったが、彼女の問いかけは更に続いた。


「かずにぃ ねぇね すき?」

「……嫌いでは無いが?」

「いっぱい すき よしな うれしい」

 真剣な口調でそんな事を言われた為、和真は相手の言わんとするところを察して、諦め気味に確認を入れた。


「……分かった。美樹の誕生日に合わせて、俺からプレゼントを贈れば良いんだな?」

「うん! ありがとー!」

「その代わり、俺の個人情報を流用するなと、兄貴に言っておけ」

 意味が分からないかもしれないがと思いながら、一応和真が苦言を呈すると、美那が不思議そうに尋ねてくる。


「わるいこと?」

「悪い事だ」

「わかった よしな おしおき」

 そう断言されてしまった和真は、驚いて彼女に尋ね返した。


「はぁ? お前が? 兄貴にお仕置きするのか?」

「うん おまかせ」

「ちょっ、美那! 何言ってるの! それに何する気だよ!?」

 どうやらすぐ近くで美久が様子を窺っていたらしく、電話越しに慌てた感じの彼の声が聞こえてきた為、和真は本気で笑ってしまった。


「それなら美久へのお仕置きは、お前に任せるからな。他に何か用事はあるのか?」

「ううん おじゃまさま」

「それなら切るぞ」

「うん ばいばい」

 そこで通話を終わらせて、元通りスマホをしまって歩き出した和真は、忌々しげに呟いた。


「全く美久の奴、油断も隙も無いな。しかも美那を使って俺を動かそうなんて、百年早いぞ」

 そして続けて、引き受けてしまった事について渋面になりながら、考えを巡らせる。

「しかし、あいつへの誕生日プレゼント? 何を渡せば良いやら……」

 真剣に考え込みながら帰社した和真は、自分の机に戻ってからも、そのまま悩み続けた。


「ふぅん……、いや、しかしな……」

「小野塚、この報告書の内容だが……」

「はい、部長。何かご不審な点でもありましたか?」

 何やらブツブツと呟いている和真の背後から、報告書片手に近付いた吉川は、椅子に座ったまま軽く振り返った彼に問いかけた。


「報告書もそうだが……、勤務中に何を検索しているんだ?」

 デスクトップ型のディスプレイに映し出されている、業務とは微塵も関係無さそうな品々を見て、吉川は叱責する以前に本気で呆れたが、対する和真もすこぶる真顔で返した。


「今時の十歳前後の女の子向けのプレゼントを検索してみましたが、あいつに似合わなさ過ぎて呆れ果てていたところです。すっかり時間を無駄にしました」

「……問題点は、そこでは無い気がするが」

「ところで部長。部長にはお嬢さんがいらした筈ですし、娘さんが今のあいつの年齢頃には、どんな誕生日プレゼントを贈っていたか、覚えていらっしゃいますか?」

 いきなり話題を変えられた吉川は、当惑しながら和真に詫びた。


「いや……、すまん。そういう関係は、全て妻に任せていたし、そもそも普通一般の女の子に対するプレゼントをリサーチしても、美樹様は一笑に付すだけだと思うが……」

「そうですね。取り敢えず聞いてみただけですので、気にしないで下さい」

「そうか……」

 相変わらず上司に対しても傍若無人な和真に、吉川はそれ以上何も言わなかった。そこで和真が、思い出したように尋ねる。


「ところで部長。私に何か話があったのではありませんか?」

「いや、もう良い。邪魔したな」

「分かりました」

 そんなやり取りを耳にしてしまった彼らの部下達は、顔を寄せてこそこそと囁き合った。


「おい、聞いたか?」

「ああ。部長補佐が、美樹様へ誕生日プレゼントを贈るつもりになっくれたのは良いが、下手な物を贈ったりしたら血を見るかもしれんぞ」

「だが、何か良い考えがあるか?」

「何と言っても、あの美樹様だろう? ……駄目だ。全然思い付かない」

 そんな部下達の囁き声を聞き流しながら、和真は本来の業務の合間に考え込んでいた。


(全く面倒な……。だが適当に贈って『あんたのセンスはこの程度か』と、美樹と美久にせせら笑われるのはムカつくしな。さて、どうしたものか……。あいつの事だから、年相応の物なんか歯牙にもかけんだろうし。かと言って、チャラチャラしたアクセサリーの類も論外……。やはりここは、実用性重視だろうな)

 そんな風にある程度の方向性を決めた和真は、直ちに幾つかのサイトを検索し、色々と即決して発注も済ませてから、「よし、話をつけてくるか」と呟きながら立ち上がった。


「あ、あの……、部長補佐。どちらに?」

 そして無言で歩き出した彼に、近くの席の部下が声をかけると、和真は素っ気なく言葉を返した。

「野暮用だ。三十分で戻る。提出予定の報告書は、机に置いておけ」

「……了解しました」

「何なんだ?」

「さあ……」

 そんな彼を周りの者は、揃って怪訝な顔で見送ったのだった。


 それから一週間程経過したある日、いつも通り武道場での訓練前に、美樹が美那を和真の所に預けに来た。

「和真、悪いけど今日も、美那の世話を宜しくね」

「ああ、それは構わないが、ちょっと付き合え。まだ訓練の時間には余裕があるだろう」

「それはそうだけど、一体何よ?」

 その問いかけに和真は薄笑いだけで答えず、美那を抱き上げてさっさと歩き出した。


「さあ、美那。散歩するぞ?」

「うん! おさんぽ!」

「あ、和真! ちょっと待ちなさい!」

「何なんだよ、一体」

 文句を言いながら美樹と美久が後を追うと、和真は武道場と同じフロアにあるフィットネスジムに三人を連れて行った。


「きかい?」

「ジム? どうしてここに来たのよ」

 靴を脱いで室内に入った三人が、キョロキョロと興味深げに周りを見回していると、和真が手招きする。


「いいから、ちょっとこっちに来い」

「何なの?」

 そして奥まったスペースに連れて行った三人の前で、和真が目の前の物を指し示した。

「これだ」

 その黒一色で、下部にワンポイントとしてなのか金色の蝶がでかでかと描かれているサンドバッグを見て、三人は揃って怪訝な顔になった。


「……はぁ? このサンドバッグが何?」

「お前専用に準備した。高さをお前の身長に合わせて調節してある。そしてボクシンググローブはこれだ」

「…………」

 差し出されたそれを反射的に受け取った美樹は、無言でそれをしげしげと眺めた。すると美那が、うきうきとした口調で尋ねてくる。


「かずにぃ ぷれぜんと? ねぇね たんじょうび?」

「ああ」

「すごい! おっきい! ねぇね すごい!」

 手を叩いて興奮状態になった美那だったが、それとは対照的に美久はうんざりした表情になった。


「美那……、これ微妙だよ。一面黒に、金で蝶が描かれてるなんて……。グローブもお揃いって、一体どういう趣味をしてるんだか……。姉さんもそう思うだろう?」

「……悪くは無いわね」

「げ、マジで?」

 ボソッと姉が口にした感想を耳にして、美久は盛大に顔を引き攣らせた。そこで美樹が顔を上げ、不敵に笑いながら和真に注文をつける。


「でもどうせなら、サンドバッグの中央に『藤宮秀明』って名前を入れておけばもっと良いのに」

 それを聞いた和真は、盛大に溜め息を吐いた。

「お前……、相変わらず実の父親を、叩きのめす気満々なんだな……。だがそんな事、できるわけ無いだろう」

「あら、どうして?」

「社長が時々、ここを利用しているからだ。自分の名前が書かれた部分が、ズタボロになったサンドバッグなんか目にしてみろ。ブチ切れるに決まっている」

 呆れ気味に事情を説明すると、美樹の表情が忌々し気な物に変化した。


「ちっ、あいつが公社に寄って来る時、ここで身体を動かしてから帰るから、余計に遅くなっていたのね」

「ああ。その都度ウェアとかは貸し出しているから、手ぶらで平気だしな」

「あの野郎……、お母さんの手料理を貪り食ってるのに、一向にメタボる気配を見せないと思ったら、隠れてそんな対策を取っていたとは……。我が親ながら侮れないわね」

「別に社長は、メタボ対策で身体を動かしに来ているわけではないと思うぞ? しかし……、お前のような殺伐とした娘を持った社長に、俺は本気で同情するな」

 思わず和真が遠い目をした所で、美那が一際高い声を上げた。


「ねぇね きれー! かわいー!」

 それに美樹が、笑いながら応じる。

「そうね。美那も大きくなったら使いたい?」

「うん!」

「ああ、ついでに美那の分も作ったぞ?」

「え?」

「かずにぃ?」

 不思議そうな顔になった姉妹の前に、和真は足元にあったダンボール箱から、小さな黒いグローブを取り出した。


「ほら、こっちはオモチャの、柔らかい綿入りだがな。模様はお揃いだ」

「ねぇね おそろい? すごーい!」

「良かったわね、美那」

「ありがと かずにぃ!」

「ああ。今度それで、パンチの仕方を教えてやるからな」

「うん!」

「……こんな小さな子に、何を教える気だよ?」

 大喜びで黒いグローブを受け取ってはしゃいでいる美那を見て、美久が本気で頭を抱えていると、その横で美樹が薄く笑いながら和真に声をかけた。


「和真」

「うん? どうした」

「なかなか良い趣味をしてるじゃない。ちょっと見直したわ」

「そりゃあ、伊達にお前より年は取ってないからな?」

「それじゃあこれは、私専用よ? 他の人間に触らせるんじゃ無いわよ?」

「分かってる。安心しろ」

 そう言って不敵な笑みを交わしている二人を、少し離れた所から眺めていたインストラクター二人は、恐怖に慄きながら囁き合っていた。 


「良いのか、あれで……」

「本人が納得していますから、良いのでは?」

 そんな周囲の目など物ともせず、美樹はやる気満々で宣言した。

「そうと決まれば、叩き初めよ!! まだ訓練開始までは時間があるしね!」

「……早速やるのか?」

「勿論よ。和真、付けるのを手伝って」

「……ああ」

 色々諦めた和真は美樹のグローブ装着を手伝いながら、訓練開始を少し遅らせる様に武道場に伝える事を、インストラクターに言い付けた。そして準備が整うと、美樹が新品のサンドバッグに向かって、勢い良くパンチを繰り出す。


「それじゃあ、行くわよ! くたばれ! くそ親父!!」

「きゃうぅー! ねぇね すごーい!」

「とっとと引退しやがれ、ロートル野郎がぁぁっ!!」

「うきゃあぁーっ! ろーとるー!」

 そんな風に大盛り上がりの姉妹を眺めながら、美久と和真は乾いた笑いを漏らした。


「父さん……、まだ四十代前半なんだけどな……」

「社長がロートルなら、日本国民の半数以上が高齢者だな。もの凄い、超高齢化社会だ」

「美那にはきつく口止めしておくよ。くれぐれもあのサンドバッグが《仮想藤宮秀明》な事は、父さんには内緒で」

「勿論だ。社内には箝口令を敷いておく」

「宜しく」

 そう話を締めくくった二人は無言で顔を見合わせ、(お互い、苦労しているな)と共感したのだった。

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