美樹十歳、益々取り扱い要注意人物

「かずにぃー!」

 割と広い信用調査部門の部屋に、その甲高い声が響き渡ると同時に、和真は誰がやって来たのかを察し、苦笑いしながら立ち上がった。そして背後の壁際にあったロッカーから、私物を取り出して姉と兄に連れられてやって来た美那を出迎える。


「やあ美那、来たか。今日は良い物をやるぞ?」

「やる?」

「ほら、美那。いるか?」

 不思議そうに見上げた美那の前に、和真は次々と紙袋から片手で持てるサイズのぬいぐるみを取り出した。そしてウサギとクマとイルカを目にした彼女は、嬉々として声を上げる。


「いる! かわいー!」

「そうか。全部持って行って良いからな」

「ありがと」

「どういたしまして」

 和真が元通りぬいぐるみを紙袋に入れて渡すと、美那が笑顔でお礼を口にした。そこで二人でほっこり和んでいると、美那を連れて来た美久が、呆れ気味に口を挟んでくる。


「何をやってるんだよ。わざわざ三個も買ったとか?」

「いや、この前尾行対象者にゲームセンターに入られてな。奥のカウンターで、店員と何やらやり取りをしていたから、怪しまれないようにクレームゲームマニアを装っている間に、そいつが取れたんだ。無駄にするのは勿体ないだろう?」

 それを聞いた美久が、疑わしげに尋ねた。


「……三個も?」

「そうだが?」

「その後は?」

「すぐに尾行を続行したが。何か不満か?」

 如何にも当然と言った口調に、美久は一応確認を入れてみた。


「不満と言うか……、尾行の片手間にやっていたなら、三個を取るのに、ムキになって三十回クレーンゲームをやったとかは無いよね?」

「三回で取った。あれにはコツがあるからな」

「そう……」

 こいつも両親と同程度には常人離れしてるよなと、美久が密かに考えていると、この間紙袋を床に置いた美那が、その中を覗き込みながら真剣に考え込んでいた。


「うぅーん……」

「美那、どうかしたの?」

 先程からの妹の様子を黙って見守っていた美樹が、不思議そうに声をかけ、和真達も揃って視線を向けた。すると美那は周囲の人間の視線を一身に集めながら、紙袋の中からウサギのぬいぐるみだけを取り出し、勢い良く美樹に差し出す。


「ねぇね はい!」

「美那、それがどうしたの?」

「たんじょーび!」

「え?」

 さすがに美樹が戸惑い、美久も困惑しながら声をかけた。


「美那、姉さんの誕生日は再来週だよ?」

「かわいー いちばん ぷれぜんと」

「…………」

 しかし兄の台詞を全く聞いていないのか、美那は相変わらずにこにこしながら、ぬいぐるみを姉に向かって差し出す。


「ええと、自分が持ってる物でこれが一番可愛いから、これを姉さんにあげるの?」

「あげる」

 笑顔のまま美久に頷いてみせた美那を見て、美樹が尋ねた。


「美那、せっかく和真から貰ったのに良いの?」

「ねぇね おせわさま」

 真顔でそんな事を言われた美樹は、思わず笑いながらそれを受け取った。


「そう……。それじゃあ少し早いけど、誕生日のプレゼントに貰うわね。ありがとう」

「うん」

 にこにこと今度は姉妹で和んでいると、それを眺めた和真がしみじみとした口調で言い出した。


「そうか……。美那、お前は本当に優しくて良い子だな。俺には弟が二人いるが、どちらも隙あらば俺のおやつや玩具をかすめ取ろうとする奴ばかりだったぞ」

「大方、下僕が弟の分も独り占めしてたんじゃないの?」

「当然だ。世の中弱肉強食。兄弟は最小単位の社会の縮図だからな」

「僕……、姉さんの弟で良かったと、初めて思ったかも……。少なくとも面倒見は良いし、おやつを独り占めしたりはしないし」

 からかうつもりで口を挟んだ美久が、大真面目に断言された内容を聞いて、うんざりした顔で呟く。そんな彼を無視して、和真は美那を見下ろしながら声をかけた。


「お前のような優しい子が将来の妹で、俺は嬉しいぞ」

「うれしい?」

 不思議そうに見上げてきた美那に、和真が満面の笑みで言葉を重ねる。


「ああ、実家に弟はいても妹はいないし、弟の嫁なんか顔も知らん。お前は俺の、ただ一人の自慢で可愛い妹だぞ?」

「じまん? ひとり?」

「ああ」

「かずにぃー すきー!」

 美那が嬉しそうにそう叫んで両手を伸ばしてきた為、和真は笑って抱き上げてやった。


「よしよし、それじゃあ、さっきプレゼントした奴の代わりに、俺が今度特大のぬいぐるみを買ってやるからな」

「ありがとー」

 二人でそんなやり取りを笑顔で交わしていると、少し前から微妙に面白く無さそうな顔付きをしていた美樹が、踵を返して歩き出した。


「……美久、武道場に行くわよ」

「うん、じゃあ下僕。美那を宜しく」

「ああ、行ってこい」

 美那を抱き上げたまま、素っ気なく二人を見送った和真だったが、ここで峰岸が恐る恐る声をかけてきた。


「あの……、部長補佐。拙いんじゃ無いでしょうか?」

「うん? 何がだ?」

「美樹様の誕生日に、プレゼントとかを準備していますか?」

「はぁ? そんな事、するわけ無いだろうが。あいつの誕生日だって知らなかったのに」

 本気で呆れかえった顔になった和真だったが、峰岸は大真面目だった。


「それはともかく、美樹様の目の前で、露骨に美那様を誉めるのは拙いのでは……」

「どうしてだ。こんなに小さいのに、迷わず一番可愛いのを姉に譲るなんて、感動モノだろうが。誉めて何が悪い」

「いえ、悪くはありませんが……」

「それなら黙っていろ。美那。今日は何をする?」

「おえかき」

「そうか。じゃあ今、好きに描いて良い紙を出してやるからな」

「うん!」

 それきり峰岸を無視して美那の世話を始めた和真を見て、彼の部下達は例によって例の如く、小声で囁き合う。


「部長補佐……。最近益々、所帯じみてきた気が……」

「それよりも、誰か美樹様へのフォローをしなくて良いのか?」

「誰が何をどうするんだよ?」

「…………」

 そして顔を見合わせて黙り込んだ彼らは、自分達にとばっちりが来ない事を切実に願った。


 桜査警公社で、そんな事があってから三日後。自宅で美樹が廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

「ねぇね?」

「何? 美那」

「ぷんすこ?」

「はい?」

 足を止めて振り返ったものの、いきなり妹に意味不明な事を言われて、本気で戸惑った。すると美那が軽く首を傾げながら、尚も尋ねてくる。


「つんつん?」

「別に何も、怒ったりはしていないわよ?」

「すねすね?」

 今度は逆方向に軽く首を傾げながら言われた内容に、美樹は怒りを露わにしながら低い声で尋ねた。


「……誰が言ったの、そんな事?」

「にぃに」

「美久、出て来なさい」

 美那は素直に即答し、美樹はすかさず周囲に向かって呼びかけた。すると廊下に面した襖の一つが開き、溜め息を吐きながら美久が姿を見せる。


「美那……、あっさりバラしたら駄目だから……」

「だめ?」

「それで? あんたは何を言いたいわけ?」

 ここでキョトンとした美那から姉に視線を移した美久は、苛立たしげに文句を言い出した。


「あのさぁ……、取り敢えず外面取り繕ってるけど、こっそり拗ねて僕に八つ当たりしないで欲しいんだけど」

「誰が、誰に八つ当たりしてるって言うのよ?」

「姉さんが僕にしてるに決まってるだろ? 幾ら下僕が姉さんを蔑ろにしたからと言って、拗ねないで欲しいんだよね」

「はぁ!? 頭が腐ってるような事、言うんじゃないわよ! いつ私が蔑ろにされて、拗ねてるのよ!」

 いきなり姉が怒り出し、兄の服を掴んで廊下の壁に押し付けて恫喝したのを目の当たりにした美那は、目を丸くして呟いた。


「ぷんすこ……」

 その声を耳にした美樹が振り返り、彼女に向かって冷静に言い付ける。

「美那。呼ぶまで少し離れていなさい」

「おじゃまさま」

「あ、ちょっと待って、美那!」

 姉に逆らわず、ぺこりと一礼して歩き出した美那を美久は慌てて引き止めようとしたが、美樹はそんな事を許さないまま凄んだ。


「それで? まさかあんた、私が和真に褒められた美那に嫉妬した挙句に、誕生日にプレゼントなんか用意する気配もないあいつの無神経さに腹を立てて、あんたをネチネチ陰で精神攻撃しているとか、ふざけた事をほざくつもりじゃないわよね?」

「……これまでの事実関係ではそうだし、現時点から物理的攻撃も加わったね」

 懇切丁寧に説明されて、美久は完全に開き直った。


「ぶっちゃけ言わせて貰うけどさ、姉さんが下僕に一言『こんな小さい美那までくれたんだから、あんたも誕生日プレゼントをよこせ』と言えば済む話だろ?」

「…………」

 それを聞いた途端、美樹は無言で眉根を寄せた。


「何? 美那繋がりで、でっかいぬいぐるみが贈られそうだから嫌だって?」

 すると美樹は嫌そうに更に顔を歪めながら、美久を掴んでいた手を離しながら悪態を吐いた。


「五月蠅いわよ。あんた口数が多いんだから、ちょっと黙ってなさい」

「悪いね。僕、政治家志望だから。政治家なんて喋ってなんぼだろ?」

「あんたに票を入れるのなんて、愚民もいいとこよ」

 忌々しげに吐き捨ててそのまま歩き去る美樹を見ながら、美久は溜め息を吐いた。


「はぁ……、実の姉ながらおっかないなぁ……。本当に勘弁して欲しいんだけど」

「にぃに だいじょーぶ?」

 そこでぴょこんと廊下の曲がり角から顔を出した美那を見て、美久は思わず笑ってしまった。


「美那はおっとりしているように見えて、意外にちゃっかりしてるよね」

「ちゃっかり?」

 不思議そうに尋ね返した美那に、美久が苦笑しながら頼み込む。


「美那。ちょっとにぃにを助けてくれないかな?」

「うん おたすけ」

 それを聞いた美那は即座に頷き、素直に兄の指示に従った。

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