美樹四歳、ある出来事の裏側

 日曜日の午前中、のんびりとした朝食を済ませた光輝は、外出の支度を整えた。そしてマンションの玄関で見送る美野に、申し訳なさそうに謝る。

「悪いな、俺だけ出かけて」

「ううん、気にしないで。昨日は私に付き合って、実家に出向いてくれたんだし。今日のうちに、掃除や片付けをしたいから」

「そうか? それなら行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 そして夫を笑顔で見送った美野は、きびきびと動き出した。


「さて。頑張って、さっさと終わらせちゃいましょうか」

 そして昼までには掃除や洗濯を終わらせ、ある物で簡単に昼食を済ませた彼女は、食後のお茶を飲みながら、何気無く考え込んだ。


(そういえば、光輝さんは『友達と会う』って言っていたけど、どんな友達なのか聞いて無かったわ。会社の人なら名前を言うだろうし、他の同じ趣味を持っている仲間とかかしら?)

 漠然とそんな事を考えた美野は、何となく気になり始めてしまった。


(趣味と言えば……、昨日美樹ちゃんが、色々言っていたわね。光輝さんの話しぶりだと、それほど写真が趣味って感じでも無かったけど……。ひょっとしたら、本当に私の誕生日に合わせてこっそりフォトブックとかを作っていて、それがバレない様に誤魔化したのかしら?)

 そこまで考えた美野は、湯呑を掴んだまま無意識に叫んでしまった。


「ちょっとそれって、恥ずかしくて嫌! いえ、嫌じゃなくて、嬉しい事は嬉しいけど、あまり恥ずかしい物は、困るって事で!?」

 そして自分が大声を出してしまった事に気付いた美野は動揺しながら、気持ちを落ち着ける様に、湯呑を静かにテーブルに置きながら考え込んだ。


(どうしよう。『あまり恥ずかしいのは止めてね』なんて言えないし、光輝さんは良かれと思って作っているんだろうし。事前にどういう物か分かれば、少しは心の準備ができるけど……。そういえば、美樹ちゃんが『お母さん大好きだから、パスワードに名前と誕生日とか使いそう』とか言ってたわね。物は試し、ちょっと光輝さんのパソコンを開いてみようかな?)

 色々考えが止まらなくなってしまった美野は、普段なら間違ってもしない事を考え付いた。そこで彼女は少しだけ迷ってから腰を上げて寝室に向かい、壁際の机に設置してある光輝用のノートパソコンに歩み寄る。


(でも『十三日の金曜日』って……。谷垣さんがホラー映画とか見ていて、安曇ちゃんが覚えちゃったのかしら? 大きくなったら、一緒に観に行ってくれたら、嬉しいな)

 隠れホラー映画好きの美野は、そんなどうでも良い事を考えながら主電源を入れて、パソコンを立ち上げた。


「違うとは思うけど、物は試しね。無理だったら諦めれば良いだけの話だもの。ええと、お母さんの名前と、美樹ちゃんの誕生日と十三日違いの数字……。これは足すのかしら? それとも引くのかしら?」

 そしてブツブツ呟きながら英数字を打ち込んでみた美野だったが、呆気なくロックが外れてしまった。


「嘘……。解除、できちゃった……」

 多少の期待はしていたものの、あまりにも呆気なかった為、美野は呆然としながら呟いた。そして誰にも何も言われていないのに、一人で焦って弁解を始める。


「その……、あれよ。美樹ちゃんだって言ってたじゃない。マザコンとかじゃなくって、『家族を大事にできない人は、赤の他人の奥さんを大事にできない』って! 本当にその通りよね。美樹ちゃんはやっぱり、将来大物になると思うわ!」

 そして一人で興奮している事に気が付いた美野は、自分自身に弁解する様に呟きながら、それらしいフォルダが無いかどうか調べ始めた。


「幾ら夫婦でも、個人のプライバシーは大切だもの。心構えの為に、ちょっと傾向だけ見せて貰うだけだけよ。だってそうじゃないと、驚いて思わず文句を口にしてしまうかもしれないし。勿論、見なかったふりをして、ちゃんと驚いて喜んでみせるから。……ええと、画像を纏めている物は。……あ、写真籠?」

 何となく写真を集めているらしい名前の物を発見した美野は、少しの罪悪感と期待感を抱えながら、そこを開いてみる事にした。 


「なんだか、それらしいフォルダ名ね。ここをちょっと見てみましょう」

 そしてほとんど何も考えずに、フォルダを開いてみた美野の目に、とんでもない画像が飛び込んで来た。

「え? 何、これ!? まさか、このフォルダ内全部!? 一体、どれだけあるの? それに……」

 どう考えても盗撮された物と分かる画像に、激しく動揺しながらも、その手のサイトからダウンロードしただけかと一縷の望みをかけていた美野は、自分の身内が映り込んだ画像を発見した途端、声を失って真っ青になった。

 更に震える手でネットへのアクセス履歴を検索し、頻繁にアクセスしているサイトがどんな代物かを把握した美野は、とうとう泣き出しながら自分の携帯電話を手に取った。


「どうしよう? どうすれば良いの? 美子姉さんに……」

 殆ど反射的に、これまではいつでも第一に相談していた長姉の番号を選択しかけた美野だったが、すんでで思い止まった。


「駄目! 美子姉さんはまだ本調子じゃないのに、散々私の結婚で心配かけた挙げ句に、こんな事を言えない……。お義兄さん、秀明義兄さんに!」

 そして狼狽しきった美野は、最近では美子に勝るとも劣らない信頼を勝ち得ている義兄に、泣きながら電話をかけ始めた。


「やあ、美野ちゃん。昨日は見舞いに来てくれて、どうもありがとう。美子も喜んで……、え? どうかし……………………、何だと!? それは本当か!?」

 秀明が美野からの電話を受けた時、日差しが入る和室で、美子と生まれたばかりの美久を除いた一家全員で遊んでいた所だったが、涙声で彼女が告げてきた内容を耳にするなり、思わず叫んだ。その声で、室内にいた全員が、驚いた様に秀明に視線を向ける。


「うわ、びっくりした。お義兄さん、何事ですか?」

「秀明? 美野がどうかしたのか?」

「いえ、大した事では……。すみません、ちょっと席を外します」

 美幸と昌典が怪訝な顔で尋ねてきた為、秀明は慌ててその場を取り繕い、携帯電話片手に部屋を出て行く。それを見送った二人は、首を傾げた。


「何だったのかしら?」

「さあ、分からんが」

 それを見た美樹は、安曇と淳志の肩を叩いて、無言で指示を出す。それを受けて淳志は小さく頷き、昌典に向かってにこにこ笑いながら、両手を伸ばした。


「じいー、おぶー」

「よし、淳志。ちゃんと背中に掴まっていろよ?」

「うん!」

 そして笑み崩れた昌典の背中に、淳志がおんぶされるのを見てから、安曇が中断していたままごとを再開した。


「ゆきちゃん、おちゃ、どーぞ」

「はい、いただきます」

 そう言って差し出したカップを、美幸が恭しく受け取って飲む動作をする。


「大変美味しいお茶ですね」

「ちょー、こーきゅーちゃば」

「うわぁ、もの凄く高そうだわ~」

 そう言って美幸が苦笑いし、大人二人を安曇と淳志が引き受けている間に、美樹はこっそり和室を抜け出して廊下を進んだ。すると思った通り少し進んだ先で、秀明が電話越しに美野に言い聞かせている場面に遭遇した。


「ああ……、奴に気付かれない様に元通りにして、荷物を纏めて家に来てくれ。美野ちゃんに、隠し事は無理だろう。上坂には、美幸ちゃんに疲れが出て、君に家の事を手伝って欲しいとか、俺が適当に言っておくから」

 秀明は美樹には気付いていないらしく、そのまま話し続ける。


「え? ……ああ、その場合、保存媒体が一つとは限らない。一箇所を消してもすぐに同じ物が出て、拡散する可能性もあるからな。こちらで徹底的に調べて、手を打つ。とにかく落ち着いて、荷物を纏めておいてくれ。心配だから、今から淳を向かわせる。あいつと一緒にこっちに来るんだ。分かったね?」

 そして通話中は落ち着き払った、穏やかとも言える口調を崩さなかった秀明だったが、話を終わらせた途端、「性根の腐った下衆野郎が!!」と和室までは聞こえない声で吐き捨てた。そして続けざまに電話をかけ始める。


「淳。今、どこにいる? ……それなら好都合だ。お前、美野ちゃんに特大の借りが有るよな? 今回、それを纏めて綺麗に返させてやるから、今から三十分以内に美野ちゃんのマンションに行け! そして彼女と一緒にうちに来い! …………理由? 嫌でも美野ちゃんが教えてくれるだろう。とにかく、大至急だ! ぐだぐだ言わずに、さっさと行け!!」

 問答無用という言葉がぴったりの物言いで、親友兼義弟に厳命した秀明は、再び通話を終わらせてから憤然とした様子で拳で廊下の壁を叩いた。


「全く、俺とした事が……。平和ボケして、勘が鈍ったとみえる」

「くしゅっ!」

「誰だ?」

 タイミング悪く、秀明が悪態を吐いたところで、美樹は急に鼻がむず痒くなってくしゃみをしてしまった。当然気付いた秀明が険しい表情で振り返った為、美樹は堂々と廊下の陰から出て声をかける。


「パパ? あつしおじさん、おこっちゃだめ」

 そ知らぬ風情で顔を顰めてみせると、秀明は表情をやわらげ、苦笑気味に弁解した。

「美樹、聞いていたか。淳を怒ったんじゃなくて、他の人間に対して怒っていただけだ」

「そうなの? それならいい。といれにいって、みんなとあそんでるね」

「ああ」

 その時、娘の後姿を見送った秀明の目には、隠しようも無い怒りの色が漲っていた。

 それから暫くして、淳と美野が連れ立ってやって来た。


「淳、思ったより早かったな」

「そんな事より……」

「おっ、お義兄さんっ……」

 秀明が玄関で二人を出迎えると、大きなスーツケースを引いて来た淳が心配そうに背後を振り返り、既に泣き腫らした後の美野が、再び両目に涙を浮かべる。しかしここで騒ぎにしたくない秀明は、慌てて二人を促した。


「美野ちゃん、とにかく上がって。来てもらう間に、お義父さんには簡単に事情を説明した。お義父さんの書斎で、今後の事を相談するから」

「……はい」

「美子さんと美幸ちゃんも、この事を知ってるのか?」

 そう淳が確認を入れた瞬間、靴を脱いでいた美野が僅かに肩を震わせたのを見て、秀明は声を潜めながら答えた。


「美子には事が終わったら報告するが、美幸ちゃんには言わないつもりだ」

「分かった……。美実にはこの事は言わないでおく」

「そうだな。美恵ちゃんや美実ちゃんにも、余計な心配をかけたり、嫌な思いをさせたくは無い。美野ちゃんもそうしてくれ」

 優しくそう言われて美野は無言で頷き、秀明に連れられて二階へ向かおうとした。しかし不意に開いた襖から顔を覗かせた淳志が、淳の姿を見つけて嬉しそうに声を上げる。


「あ、ぱぁぱ~!」

 背後から聞こえたその声に、三人はギョッとして振り返ったが、子供達の後ろに美幸もいるのを確認して即座に目配せし、秀明はそのまま美野を連れて階段を上がり、淳はかがみ込んで笑顔で息子に声をかけた。


「淳志。元気でいい子にしてたか?」

「まるー!」

「そうか……。悪いな。今はちょっと大事な話があるから、遊ぶのはまた今度な?」

「うん!」

 そして頭を撫でられながら機嫌よく頷いた淳志に再度笑いかけてから、淳は美幸に声をかけた。


「美幸ちゃん。俺達はちょっと込み入った話があるから、子供達全員を見ていて貰って良いかな?」

「はい、構いません。任せて下さい」

「頼むよ」

 そして笑顔を振り撒いてから淳も二階に向かったが、それを見送った美幸は変な顔になった。


「何なのかしら? 小早川さんが急に来たのにも驚いたけど、昨日顔を出したばかりなのに、どうしてまた美野姉さんが来るわけ?」

 しかし考え事を許さない様に、美樹がすかさず声を上げる。

「よしゆきちゃん、あそぼう!」

「そうね、今度は何をしようか?」

(さっきうえにようすをみにいったら、ぱぱとおじいちゃん、おにのかおだった。よしのちゃんもきちゃったし、しっかりみたんだよね。かんぺき)

 そして美樹は首尾よく事態が進んだ事に満足しながら、暫く四人で子供らしい遊びに興じていた。

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