きちんとしてる
週末は、予定が特になければ昼近くまで寝ている。
土日の幸せは誰にも邪魔されず好きなだけ寝てられることだ。最近はデートのない日の方がむしろ気楽だった自分を思い出す。
そんな金曜も、昨夜はとんでもない出来事の発生でガラリと様変わりをしてしまったのだが。
前日多めに作っておいたカレーを適当に分け合って夕食にし、彼女と使っていたダブルサイズのベッドも、拾った子犬——もとい、江澤奏くんと分け合うことにした。流石に大柄な男二人じゃ狭いわけだが、ほかにいい方法も特にない。
「すみませんほんとに。汗臭くなければいいんですが」
「いや、むしろ君が嫌じゃなければいいな、と」
限りなくレアなシチュエーションに、お互い居心地悪い苦笑を見合わせた。
しばらく彼をここに留めるつもりならば、とりあえず安価な布団一式を買っとくか……くらいまで考えたところで、慢性疲労の蓄積した俺の心身は深い眠りに吸い込まれた。
彼の若々しく清潔な気配は、むしろ俺を安心させた。
翌朝、土曜。
窓の明るい陽射しに目覚めると、江澤くんのいた横は空になっている。
頭をガシガシ掻きつつリビングへ出て行くと、キッチンから清々しい声がする。
「おはようございます、海斗さん。スクランブルエッグとサラダ作っときました。トーストは冷めちゃうとあれなんでご自分でお願いします」
「……おはよう……
元気だねえ江澤くん、さすが若者……ってか、スクランブルエッグとサラダ!?」
まるで彼女が泊まった翌朝のような展開に、俺のどろりとした脳は一気に目覚めた。
「ええ、適当に。美味いかどうかはわかりませんが。あ、ここにあるコーヒー、使わせてもらっていいですか?」
「ああ、何でも勝手に使ってくれ。それより江澤くん、料理とか苦手だって昨日言ってたんじゃ……」
「『江澤くん』はまどろっこしいんで、奏でお願いします。
家事系は苦手ですけどやらないとは言ってませんよ。あ、洗濯機も回してあるんで。カゴのもの全部突っ込んで回しただけですけど。洗い物他人に触られるとか嫌でしたか?」
「いや、そんなことは……逆になんだか申し訳ない……」
「いえ。彼のとこでもちょいちょいやってましたし、何から何までお世話になりっぱなしはやっぱ嫌ですし」
予想を遥かに上回る彼のきちんとぶりに、子犬どころかむしろ俺が背筋を正さねばならない気分だ。
「——海斗さん、彼女と別れた、とかですか」
「……」
さらりと届いた言葉に、思わず言葉が詰まる。
「……すみません。
ダブルサイズのベッドに、たまたま拾った男入れるとか……彼女がいたらできないかもな、なんて」
「——ビンゴだ。
鋭いね、江澤……じゃないか、奏……くん?」
彼はローテーブルに料理と湯気の立つマグカップを運びながら浅く微笑む。
「……なんか、不思議ですね。
もし、あなたが昨日その人と一緒に歩いていたら、あなたは俺を傘に入れてくれたかわからず……そもそも、暗闇を雨に濡れて歩いてる男の存在になど気づかなかったかもしれず。
……あ、すみません。あなたにとっては辛いことを、こんな風に」
「いや。いいんだ、もう終わったことだし」
確かに——
彼女といる時の俺なら、考えなかったこと、きっとしなかったこと。
今までの俺ならば、まるで見えていないように素通りしたはずのことが。
何かの弾みで知らない路地裏に踏み込んでしまったような——初めて経験する、どこか明るく温かな空気。
それを奇妙だと思いつつも、楽しんでいる俺がいる。
思えば不思議だ。
ぼうっとそんなことを思う間にも、彼は自分の朝食をさっさと済ませ、食器を手早く水洗いしながら言う。
「俺、これからちょっと出かけます。
洗濯機止まったら早めに干してくださいね」
「了解」
「今、紅葉のベストシーズンでしょ。撮りたい場所があって」
「……紅葉か。いいね」
「あ、一緒に行きます?」
「んー……いや、今日はDVD観ながらゴロゴロしとこうかな」
「まだおじさん化するのは早いですよ、海斗さんぱっと見はクールでかっこいいんだし」
「奏くん、それ褒めてる?」
「めちゃくちゃ褒めてます」
必要なものを手際よくリュックに詰めながら、彼はクスっと笑う。
「夕食前には帰ってくるつもりですので……じゃ、行ってきます」
写真が趣味なのだろうか。
リュックを肩にかけると、彼は勢いよく玄関を出ていった。
*
そうは言ったものの何かDVDも二度寝も気乗りせず、俺は同居人ができたことで多少必要になりそうなものを近くのショッピングモールへ買い出しに出かけた。
彼のスクランブルエッグは火の通り方が絶妙で実に美味しく、丁寧に料理をしたことが窺えた。
流れ的には今日の夕食は俺が準備することになるわけで、気づけば何かプレッシャーのようなものすら感じている。だって、金曜はたまたま気が向いてカレー多めに作ってあっただけで、普段は外食かコンビニ弁当とか最悪カップラーメンとかだったりするんだし。
彼に「何にもできねえおっさん」と冷ややかな目で見られるわけにはいかないのだ。絶対に。
あーー、真面目に料理とかやっとくんだった……!!
そんなことを思いながら、俺はいつしか書店のレシピ本コーナーの前で「男子にオススメ! 超簡単激ウマレシピ!」なる書籍を必死に読み漁っていたのだった。
彼は、夕焼けが夜の闇に変わる頃に帰宅した。
「ちょっとだけ自分の部屋に寄って、必要なものいろいろ取って来ました。金曜は持って出られなかったので」
そう言いながらリュックを降ろすと、彼は肩にかけていた大きなショルダーバッグから一眼レフのカメラを大事そうに取り出した。
「すごいな。本格的に撮ってるんだね」
「いや、全然初心者です……あ、テーブルの上にパソコンとか広げちゃっていいですか? 今日撮ったデータ、早く整理したくて。ノートなんで場所は取りませんが」
「ん、これから夕飯できるまでまだ少し時間かかるし、好きにしてていいよ」
「ありがとうございます。すごいきれいでしたよ、紅葉」
そう言いながらも、その眼差しはすでに目の前の作業に没頭していこうという勢いを感じさせる。
「へー、後で俺も観たいな。いい?」
「ええ、もちろん。全然自慢できるレベルじゃないですが」
彼のこの様子なら、俺が少しくらいキッチンで悪戦苦闘していても多分気付くまい。
昼間の書店で料理初心者でも失敗なしでできそうなレシピにたどり着いた俺は、とりあえずそれをチェックしながら必要な材料を食品売り場で買い揃えた。
無難な缶ビールも350mlサイズを1ケース仕入れ、俺は少しだけ心にできた余裕を感じながら気合を込めてキッチンに立った。ちなみにこのブラウンのエプロンも実は新品である。彼には内緒だが。
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