第4話 魔王登場

 動物の角で作ったラッパが高らかに吹き鳴らされた。

 いよいよ魔王の入場である。

 来賓席に着いていた貴人達は一同に起立した。


 4トントラックほどの箱車がゴロゴロと音を立ててやって来る。

 巨大な毛長牛が4頭立てで牽引しており、車輪は四輪で、緑色のトカゲ男が御者を務めていた。

 広場の端に止まり、御者が恭しくステップを持って来て箱車の側面に置く。

 高さ2メートルはあるかという両開きのドアが開けられた。


「よいしょ、あんた、こりゃ狭いなあ」

 ブツブツ文句を言いながら、毛むくじゃらの動物が出てくる。

 一応二足歩行で、脚には皮の長靴をはいている。

 むんずとドアをつかむ手には五本の指があり、それぞれ大きな鉤爪がついていた。

 ずんぐりとした体で、赤いビロードのガウンを着ている。

 バキバキと何かを壊す音を立てながら、その生き物は最後に巨大な頭を箱車から引っこ抜いた。

 頭には巨大な曲がった角が二本生えている。

 全身茶色い毛におおわれた生き物だ。全身のシルエットは立ち上がったバッファローに熊と猪を掛け合わせたような感じだった。

 身長三メートル。

 くりくりと良く動く目と濃い眉毛。顔は節分の鬼に似ている。


「魔王様だ!」

「わーい!」

 子供たちが駆け寄る。どうやら別に怖がられているわけではないようだ。

 魔王は御者に誘導されながら、沿道の人々に手を振りつつ会場に入ってくる。


 会場に入る途中で、人ごみの観衆たちが魔王の体をぺたぺたと触っていた。

 魔王の方も気にするそぶりはない。ガウンを着た体を平気で触らせている。

 何か御利益的な物があるんだろうか。とにかくテロの危険性など何も考えているようではなかった。

 ざっとした表現をすると、演歌歌手かプロレスラーの入場シーンに似ていたと言った方がいいかもしれない。


「うーむ、大きいですな」

「ええ、今度の魔王様は獣人族でも一際大柄ですね」

 ウィンディエルは当たり前というように同意した。

「でも、魔界きっての頭脳派と言われているんですよ」

「は!?あれで?」

 人は見かけによらないものだ。ヒトではないけれど。


 魔王は観衆に右手を挙げ、主賓席に着いた。

「あー、あんたたちご苦労やね、まあ座りぃや」


 魔王は伊予弁で喋った。

 伊予弁と言うのは愛媛県の方言で、関西弁と広島弁が合体したような言葉である。広島弁は映画「仁義なき戦い」などの影響で、非常に怖いという印象があるが、関西弁がブレンドされることによってやや柔らかくなっている。しかし、関東地方の人が聞くと結局どっちもどっちである。何でこんなマイナーな方言を喋るのかさっぱり分からないが、兎に角そうなのだった。


 魔王に促され、来賓の部族長たちが着席した。


「魔王様、今年の議題についてはいかがしましょうか」

 白いひげを生やしたエルフの長老が進み出て巻物を開き、尋ねた。

 長老は緑色の服を着ており、フルフルと体を震わせている。怖いわけではなく、老人性振戦というやつである。エルフの長老であるからして、三百歳越えは間違いなかろう。


「あー、まあ、あんたたちの好きにしたらええやん」

「ははーっ」


 何だか随分鷹揚な会議だが、まあそれだけ政治が安定しているという事なのかもしれない。


 だが、こういう人物の言う「好きにしたらいい」は決してあてにしてはいけないものだ。本当に好きにしたら痛い目に合う。大体田中の社長のワンマン社長がそうである。

 田中は長年の経験で嫌と言うほど思い知っているのであった。


「それでは、宴会を始めさせていただきます」


 楽師が音楽を奏で始める。

 エルフのバイオリン、ドワーフのコントラバス、ホビットのホルンと、多種族が一緒に奏でる音楽は優雅で楽しいものだった。


 田中が早速ハンドサインを送る。


「魔王様、どうぞ」

 ウィンディエルはにっこり笑ってガラスの瓶を取ると、魔王の盃を葡萄酒で満たした。

「あー、ありがとう。あんた、美しいね」

 魔王は多分笑って杯を空にした。というのは、顔が怖すぎて今一つ笑っているかわからなかったからだ。


 ウィンディエルがちらりと田中を見る。

 胸を叩いて指三本のサイン。

「どうぞ」

 指三本はスリーフィンガー、つまり指三本分注げの合図である。

 ウィンディエルは再び魔王の盃に酒を注いだ。

 始めはきっと喉が渇いているに違いない。

 すぐに空けられる量を、何度も飲んでもらう。

 また、葡萄酒は置いたままにして酸化すると酸っぱくなっていく。

 美味しいうちに飲んでもらうことが大事だ。


「まあ、あんたも飲みぃ!」

 魔王は葡萄酒の入った瓶を取り、ウィンディエルに返杯した。

「あ、ありがとうございます。頂きます」

 注がれるとき、グラスを両手で持って適量になったら少し高さを上げる。

 これによって自分の飲む量を失礼にならずに丁寧に調節することができるのだ。

 田中はうなずいた。

 ここまでは完ぺきである。


 その時、山田が動いた。

 まさに、プロジェクトY!

 両手で胸を叩き、円を描く。


 何のポーズだ?

 田中がいぶかしんだその瞬間、魔族の娘グリシャムは席を立って魔王の右側に移動した。

 魔王の右腕に腕をからませ、豊満な胸を擦り付けている。

「ねえ、魔王様。私にもお酒ちょうだい?」

 魔王がグリシャムの方に注目する。


 恐ろしい! 田中は戦慄した。

 全てはこのためだった。

 胸の空いたドレス、左スリット。

 グリシャムが立ち上がるときに左の脚線美が優雅にこぼれ出るように計算されていたのである。


 流石は山田。

 サンサン商事、営業の鬼と呼ばれた男……


 しかし、自分もバブルのあだ花と呼ばれた男。負けてはいられない。


 田中の心に対抗心と言う名の炎が燃え上がる。

 左肘を叩き、右腕と左腕を重ね、胸元にぐっと寄せる。

「少し立ち上がって、屈んでお酒を注ぎなさい」のサインだ。

 胸の谷間が強調される、ややあざとい作戦である。


「魔王様、こちらからどうぞ」

 素直なウィンディエルは前かがみで酒を注ごうとする。

 

 しかし、いかんせんグリシャムは強引だった。魔王がウィンディエルの方を向くと、顔を強引にまた自分の方に戻してしまう。


「やだー、魔王様、こっち向いて!」

「魔王様、モフモフで可愛いー」

 など、聞くも恥ずかしい歯が浮くようなセリフを重ねるのであった。


 主導権は今のところ、魔族―山田組にあると言わざるを得ない。

 徐々に焦る田中。

 山田は不敵な笑みを口元に浮かべていた。


 魔王は豚の丸焼きを軽い酒のつまみのように骨ごと齧りながら酒を平らげている。

 しかし、何だかつまらなそうだ。


 酒の種類を変えるべきか。

 田中は次のサインを飛ばした。

 左肩を二回叩き、手をぐるぐる回す。柔道の教育的指導のサインである。


「魔王さま、こちらのお酒はいかがですか?」

 ウィンディエルは壺に入った麦酒ビールと、南方の沼人ヌマビトとかいう人種が作っているコメの酒を見せた。コメの酒は田中も味わってみたが、一応濁り酒ではなく透き通った酒で、日本の純米酒に似ていた。


「あー、じゃあ、麦酒の方頂戴」

 もちろんウィンディエルは杯を変える。味が混ざらないためだ。

 麦酒には陶器のジョッキである。

 

 一リットルは入るジョッキをつまみあげると魔王は一口で平らげた。

 

 麦酒には、やはり枝豆と唐揚げである。

 ゆでた豆と、鳥が一匹丸ごと挙げられた姿揚げの皿を指し、魔王の取り皿に取り分けるよう指示した。

 ウィンディエルの所作に一点の淀みもない。

 しかし、魔王の表情は晴れない。


 隣の魔族の娘から強烈なお色気攻撃を受けているにもかかわらず、である。――田中があの攻撃を受けたら、数分で言われるがままにボトルを入れてしまうであろう。


 あ、これも若い読者の方は分からないかもしれないが、お酒を飲むお店にはボトルキープというシステムがあるのだ。

 お金を払って‘マイボトル’をお店に取っておいてもらうというシステムだ。このことをボトルを入れる、という。

 お店の方はキープ料という追加のお金がとれること、お客さんが繰り返し来てもらえるというメリットがある。

 お客の方は‘俺はこの店の馴染み’的な顔ができるというメリットがある、ってここまで書いて良く考えたら、客はそんなにいいことないじゃんか。ああ、今までやっちまったな俺。

 脱線して失礼。


 田中は思索した。

 いかにすればこの接待勝負、勝てるか?

 ……そうか、各地を行幸して接待ばかり、美女も酒も御馳走も飽きたということか?

 

 それならば。

 田中は奥の手を出すことを考えた。

 ワイシャツの裾に手がかかる。


 しかし、一瞬早く山田が立ち上がっていた。

「魔王様、余興に珍しき物をお見せしたいのですが、宜しいですか?」


「は? あんた誰ね?」

 魔王がつまらなそうに山田を見た。

 山田はすでにネクタイを頭に装着している。

「異世界の踊りを、お見せしとうございます」


 やられた!一瞬の判断が遅かった。

 山田はすでにワイシャツの裾に手がかかっている。

 山田の目が不敵に笑う。

 おそらく山田のことだ。すでにこの事態を予想していたに違いない。

 

 腹踊りか……恐るべし山田。

 腹にはどんな顔が描かれているのか。


 田中の額を汗が伝った。

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