脱力

愛川きむら

脱力

 僕からすべてのものを取るのが無気力。そいつはとんでも意地が悪い。やさしくない。容赦ない。嫌がる僕の顔を踏みにじり、随分と心地よさそうにケタケタ笑う――かのよう。あくまで想像だ。やつは生きていない。

 僕はあいつにかけがえのないものを数多く盗まれていった。愛、友、金、仕事。やつはどんどん僕をだめにしていく。手元に残された選択肢は自殺か飢餓。いやいや、僕はまだ死にたくないんだよ。それでも動く気力は起きない。

 墨田麟、それが僕の名前だ。画数だけはやたら多く由来は極端につまらない。なんだよ、響きがかっこよかっただけって。もっと他にあっただろうが。頭の悪い親をもった僕もまた、悪態をつくことしかできない中途半端な反抗期を迎えていた。


 "少女は笑う。にっこりと微笑む。聞こえた「ダイスキ」に頭が痛む。"


 僕の父親が豹変したのは僕が小学校に入ってから。当時、無邪気すぎた僕には帰ってきた家で何が起こっているのかわからなかった。ただ、母の髪をつかんで怒鳴りつけたり殴り飛ばしている父に対して危険信号が鳴っただけ。気がついたらふたりの間に飛び込んでいた。このとき僕はよく三人で川の字になって昼寝をしたことを思い出していた。視界の端から飛び込んできた拳と夕の光が交差する。

 ただ殴られていた。僕がだらしなく横になっていても頭を殴っていた父に、僕はもう抵抗する気力がなくなっていた。父の拳はとても強く、殴るたびに僕は幽体離脱していくようだった。痛覚が客観的に感じられてくるのだ。きっと殴られているのは僕じゃない他の誰かだ。


 "少女が立っている。笑っている。眼を、見せて。"


「目を、見せて――」

 声にならない救済を求める。眠気と心地よい絶望を抱える。


 "「はやく私のものにならないかなあ」"


 誰があんたなんかの所有物になるか――なんてね。

「もういいよ」

 優しい声色で伝える唇に指先が当てられる。ダイスキに溶けよう。

 揺れる彼女の髪からかつて母から香った匂いがふんわりと漂った。


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脱力 愛川きむら @soraga35

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