閑話『先人の知識』

 魔王城の中心、謁見の間。

 禍々しくも美しい玉座に、魔王アンセルモの姿はあった。

 アンセルモは頬杖をつき、眉間にしわを寄せて目を閉じ、深く思案しているようにみえた。

 広い謁見の間には、魔王以外何ものの姿もなかった。


「ただいま戻りました」


 アンセルモがひとり思案に暮れるなか、公爵級魔人ヴェレダが謁見の間に姿を現わす。

 配下の声に、閉じられていた魔王のまぶたが薄く開いた。


「ほう、随分と早いではないか」

「はい……。残念ながら賢者殿に拒否されまして……」


 魔王の言葉に、ヴェレダは跪きつつ申し訳なさそうに答える。


 会談を終えてヤシロが去ったあと、アンセルモはヴェレダに彼らを人類圏まで送り届けるよう命じていたが、残念ながら拒否されたらしい。


「ふん、警戒心の強いことだ」


 恐縮するヴェレダを眼下に、アンセルモは多少呆れ気味にではあるが、表情を緩めた。

 ドラゴンの背に乗せられ、どこか遠くへ連れ去られるとでも思われたのだろうか。

 そのような小細工を弄するつもりはないが、立場上お互いを信じられないのは仕方がないだろう。


「ヴェレダよ、数日の内に魔人たちを招集せよ」

「魔人を、ですか?」

「そうだ。男爵級以下の低位の者で手の空いているのを500名ほどを集めておけ」

「かしこまりました」


 うやうやしく頭を下げたヴェレダは、すぐに顔を上げ、魔王を見上げた。


「恐れながら陛下。差し障りなければなんのためか、ということをお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 ヴェレダの質問に、アンセルモは軽く口元を歪めた。


「面白い知識が見つかった。楽しみにしておけ」


**********


 会話、文字、絵、音声、映像等々……、人は記録によって知識を共有し、情報を未来に紡いでいく。

 対して魔王は、記憶によって過去の知識を未来に伝えることができる。

 魔王となったものは、その時点で過去に発生した魔王の記憶を共有できるのだ。


 しかし、数千年に及ぶ知識である。

 役に立つ情報を思い出す・・・・だけでも一苦労であり、そもそも魔王というは直情的で傲慢、自分勝手な存在なので、先人の積み上げてきた知識を敬い、受け継ぐなどということに興味がない者が多い。

 自分のやりたいようにやり、やがて倒れる。

 魔王とはそういうものであり、今代のアンセルモもまた、先人の知識をあまり必要とはしていなかった。


 

「陛下、みな大広間に集まっております」

「うむ」


 ヴェレダに促され、アンセルモは大広間に足を踏み入れる。


『ドーム球場1個分、といったところか』


 広大な魔王城に設置された大広間を、仮にヤシロが目にすれば、広さに対してそのような感想を抱いたことだろう。

 そこに、千に届くかという数の魔人が集まっていた。


「……低位の者を500ほど、と命じたはずだが?」

「申し訳ございません。どこから伝え聞いたのか、陛下の言を知った者が、我こそはと集まってしまいました……」


 見れば数だけでなく、子爵級や伯爵級など、それなりに高位の魔人も混じっていた。

 さすがに侯爵級以上はいなかったが。


「ふっ……殊勝なことだ」

「ま、まことに申し訳ございません……」


 口ではそう言ったものの、魔王の顔には呆れと、少しばかりの苛立ちがあり、それを察したヴェレダは背筋に寒いものを感じながら、頭を垂れた。


 アンセルモが欲したのは“手の空いている低位の魔人”である。

 にもかかわらず、集まった者の中にはそれなりに重要な拠点を任されている高位の魔人がちらほら目についた。

 本人たちは良かれと思って参上したのだろうが、これは明らかな命令違反である。

 そして、その責任は魔王の意図を正確に伝えきれなかったヴェレダにもあるといえるのだ。


「かまわぬ、気にするな。余の後ろに控えておれ」

「御意……」


 アンセルモはそのまま悠然と歩き、集まった魔人たちの前で立ち止まった。


「皆の者、よく集まってくれた」


 魔王の言葉に、魔人たちは跪いた。


「余が魔王となり、人間どもとの戦いが始まった」


 しん、と静まり返った大広間に、アンセルモの声が響く。


「当初我が軍は侵略をほしいままにし、優勢に事が運んでいたことは記憶に新しいだろう。しかし、ある時から我らの侵攻は思うように進まなくなった。それはなぜか?」


 そこで一度言葉を切ったアンセルモは、大広間に跪く魔人たちを見回したあと、大きく息を吸い込んだ。


「賢者が現われたからである!!」


 嘘である。

 人類と魔物の戦いが膠着状態に陥ったのは、人類連合軍が後退し、領土を諦める代わりに戦線を縮小したことと、時間とともに各国の結束が固まったからであり、それは賢者召喚が行われるずっと前のことだった。

 しかし破壊と殺戮にしか興味のない魔人が、そのようなことを知るはずもない。

 彼らはただ愚直に軍を前進させることしかしないのだから。


「これから先、戦いはより厳しいものになるだろう。そこで余は、先人の知識にあやかることにしたのだ」


 魔王の口調が少し穏やかになる。

 大広間に張り詰めていた緊張の糸が、少し緩んだように感じられた。


「余は賢者率いる人類に対抗すべく、歴代魔王の記憶を探った。そして切り札となるものを思い出す・・・・ことができた。だが……、それは完全なものではなかった……。そこでだ!!」


 弱々しくなっていった魔王の口調に、再び力が戻る。


「その不完全な知識を補うために、諸君の力が必要だ。皆、余に力を捧げてくれるだろうか?」


 しばしの沈黙。


「恐れながら陛下」


 それを破ったのは、集団の先頭にいた獅子のような顔を持つ魔人であった。

 今回集まった者の中では、最も高位となる伯爵級の魔人である。


「ここにいるものは皆、陛下の御為おんためにと馳せ参じてございます。我らの命など、とうの昔に陛下へと捧げておりますゆえ、そのような問いかけは無用にございます!」


 得意気に語る伯爵級魔人だったが、彼は跪き、頭を垂れたままだったので、自身に向けられた魔王の視線がいささか冷たいことに気づくことができなかった。


「よく言ってくれた」


 パチン、と魔王が指を鳴らす。

 すると、大広間の床に魔法陣が現われた。


『おお……』


 突然現れた魔法陣に、魔人たちがどよめく。

 それは直径100メートルをゆうに超える、巨大なものだったが、所々に欠落している部分があることに、ある程度知識のある者なら気づいただろう。


「皆の者、おもてをあげよ」


 ヴェレダが告げ、魔人たちは顔を上げる。

 続けて魔王が口を開いた。


「諸君は我が軍の切り札となる。これはそのための魔法陣である」


 魔王の表情には、先ほど伯爵級魔人を見下ろしていたときのような冷たさは、すでになくなっていた。


「さぁ、我が忠臣たちよ、魔法陣の上に立つがよい」


 魔王の言葉に従い立ち上がった魔人たちは、魔法陣に載るべく移動した。

 予定の倍近い数が集まっていたが、なんとかすべての魔人が魔法陣の内側に立つことができた。


「では諸君、我が軍のため、心置きなく糧となるがよい!!」


 魔王の発した言葉に、驚き、あるいは疑問を呈すような表情を、何割かの者は浮かべたが、すぐに魔法陣はまばゆい光を放ち、大広間はその光に包まれた。


「くっ……」


 大広間を覆う強い光に、ヴェレダは思わず目を細めたが、魔王アンセルモは口元に笑みをたたえたまま、魔法陣の放つ光を見ていた。


 そして光が収まったあとに、魔人の姿はひとつもなかった。


「……ってて。なんだぁ……?」


 その代わりに、魔法陣の中央にはひとりの人間が現われていた。


「ふむ。どうやら成功したようだな」


 魔法陣の一部は欠落していたが、そのぶん多くの魔人を糧にするという力技をもって、どうにか魔王の目論見は達成されたようだ。


 現われた人間に向かって、魔王はゆっくりを歩み寄ってく。


「ちっくしょう……なんだってんだよ、急に……って、うわぁっ!?」


 状況を飲み込めず、周りを見回していた男の視界に、魔王アンセルモが入り込んできた。

 その堂々たる巨躯に、彼は驚きの声を上げ、表情がこわばる。


「あ……あんた、一体何なんだよ……?」


 男は強がってそう言いながらも無様に尻餅をつき、後退りしようとしたが、彼はアンセルモの視線を受け、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。


「ふふふ……そう怯えんでもよい。余はけいの味方であるぞ?」


 穏やかな表情――といっても男から見れば充分恐怖に値するものだが――でそう告げた魔王アンセルモは、男の前にしゃがんで視線を合わせ、手を差しだした。


「ようこそ魔王軍へ。我らが賢者殿」 

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