第9話『会談』

 ――世界の半分をお前にくれてやろう。


 そのセリフを聞いた魔王アンセルモと公爵級魔人ヴェレダは、ともに目を見開き、息を呑んだ。

 しかしヤシロの傍らに控えるクレアは、半目で呆れたような視線を上司に向けていた。


 8ビット家庭用ゲーム機とともに少年期を過ごしたヤシロにとって、魔王が勇者に囁く誘惑の言葉としてあまりにも有名なそのセリフに、ちょっとした憧れを抱くのは自然なことであろう。

 そしてふと“今まさに自分がこのセリフを言ってもいいのでないか?”と思うや口をついて出てしまったのだった。


(反省はしている。しかし後悔はない)


 〈賢者の書庫〉によってヤシロと知識を共有しているクレアは、書庫の知識に加え、寝物語に聞いた上司の思い出話によって、この有名な台詞を知っており、彼がどういう心づもりでその言葉を発したのかも、なんとなく察していたのだった。

 そんなクレアから放たれた視線に多少居心地の悪さを感じながら、ヤシロは少々わざとらしいとは思いながらも、傲然とした態度で魔王を見据えた。


「……ふむ。では貴様が人類の版図を半分差し出すというのだな?」

「まさか。勘違いするんじゃない」

「勘違いだと? しかし貴様は世界の半分といったではないか」

「確かに」


 訝しむ魔王を尻目に、ヤシロは両手を広げ、左右を見渡した。


「魔境、つまり山脈を越えたこちら側の君らが棲む領域だが、みたところ人類圏とさほど変わらない広さがあるのではないか?」

「む……」

「瘴気漂う不毛の荒野というならまだしも、豊かな草原に深い森林など、資源も豊富な肥沃の大地だ」


 そこでふたたびヤシロは魔王に目を向けた。

 魔王の方は、ヤシロの言わんとしているところを半ば察したのか、眉間にしわを寄せている。

 何か言いたげな様子だったが、ヤシロはそれを無視し、言葉を紡いだ。


「講和だ。そちらが人類圏を脅かさないと言うなら、こちらから人手を出して開発に力を貸そう。人や物資の交流を促し、共に発展するという道もあるだろう。どうだ?」


 魔王との講和。

 これまで魔王、および魔人と言葉を交わせる者がいなかったため、誰も考えなかったことだが、もしそれが実現するのなら、太古より続いている不毛な争いに終止符を打てる可能性がある。

 もちろん、魔王軍に対して憎悪を抱く人は多く存在するだろうから、そう簡単な話ではないが、それでも、ただ争い、殺し合う以外の選択肢があるのなら……、と、クレアは期待に満ちた視線を魔王に向けていた。


「フハハハハハ!!」


 しばしの沈黙のあと、魔王は地鳴りのような笑い声をあげた。


「ハハハ……。あまり余を笑わせてくれるな、賢者よ」

「こちらは至って真面目な話をしているつもりなんだがな」

「フフフ、そうか。それは失敬。ではこちらも真面目に答えるとしよう」


 そうは言ったが、魔王は薄っすらと笑みを浮かべたまま、口を開いた。


「答えは“否”だ」


 そして嘲笑するかのような表情のまま、魔王ははっきりとそう答えたのだった。


「理由を聞いても?」

「ふむ。質問に質問を返すようで申しわけないが、ひとつ訊いておきたい」

「なんなりと」

「明敏なる賢者殿は、我ら――すなわち魔人とその原型となる魔物が、なぜ人を襲うか知っているか?」

「いや――」

「――美味いからだよ」


 ヤシロの返答に半ばかぶせるようなかたちで、アンセルモはそう告げた。


「我ら魔人は不出来な人間どもと異なり、食事を必要としない。にもかかわらず人を襲うのは、殺したときに得られる存在力が美味いからだ」


 一度言葉を切ったアンセルモを、ヤシロは無言で促した。


「食事ができないわけではないぞ? 娯楽としての食事は我ら魔人にも、それなりに知性を持った魔物にも存在する。人の街を奪い、そこにある人の食料を食ったが、あれは美味かったな。我らのものとは段違いに。しかし、人を殺して得られる存在力の甘美なことに比べれば、さして価値のない程度のものだ」

「しかし、魔人は魔物からも存在力を得られるのではないか?」

「そうだな。しかし、魔物から得られる存在力など、無味乾燥なものだ。あれはレベルアップのための糧にしか過ぎん」

「ふむう……。しかし、ただ美味いからと言って殺されるなど、こちらとしてはたまったものじゃない。必要不可欠でないのなら、そこを耐えてもらう訳にはいかないか?」


 ヤシロの提案をアンセルモは鼻で笑った。


「貴様ら人類も似たようなものではないか? 森や草原を切り拓き、家を建て、蔵を建て、城を建て、無駄に多くの魔物や獣を狩り、それを美味く食えるように試行錯誤する。派手に着飾ったり、つまらん話や見世物に対価を払ったりと、そういったもののすべてが“必要不可欠”というわけではなかろう?」

「たしかにな。しかしそれらは人が人らしく生きるために必要な文化的な行為だ」

「ならば我らが人から存在力を奪うのも、魔人が魔人らしく生きるために必要な文化的な行為ということになるかな」

「……なるほどな。では交渉は決裂ということかな?」


 ヤシロは最初からあまり期待していなかったのか、あまり表情を変えなかったが、クレアの顔には落胆の色が見え隠れしている。


「ふむ。せっかくここまで来てもらったのだ。であれば、我らも貴殿に対して礼を尽くすという意味で、文化的な方法で解決を図るというのはどうかな?」

「文化的に?」

「そうだ。人の世には畜産というものがあるそうだな」


 その言葉にクレアは息を呑み、ヤシロはピクリと眉を上げる。


「獣を殺さぬよう育て、子を産ませ、食べごろになったら殺して食うという、なんとも残忍――失礼、文化的な手法があると、余は聞いたことがある。そうさな、日に1000人も贄がおれば問題はあるまい。それだけの人間を確保するのに、どれほどの人頭が必要かな?」


 その問いかけは、ヤシロではなくヴェレダに向けられた。


「僭越ながらお答えします。人は種族によって差異はあれど、おおよそ1年にひとりは子を産めるようです。日に1000人となれば、40万ほど女がおればよろしいでしょう。男ひとりで4~5人は孕ませられるでしょうから、男は10万ほど。つまり、50万人ほど用意していただければよろしいかと」

「ふむ。では大事を取ってその倍の100万人でよかろう。それだけ用意し、こちらに住まわせるのであれば、我ら魔王軍は人類圏から手を引こう」

「ああ我が君、それらの人間を引き取ったあと、子が生まれ、育つまでの備蓄が必要ですね」

「なに、それくらいなら待ってやってもかまわん。人間が食べごろになるまで、10年か? 20年か? なに、長命なわれら魔人にとって、さして長い時間ではないから遠慮することはない。どうかな?」

「断る」

「即答とはな……。しかし、悪い話ではあるまい? まだそちらには数億の人間がいるのだろう? 全体の1にも満たぬ贄を捧げれば、貴様らが言うところの不毛な争いを終えることができるのだぞ? ここで結論を急ぐ必要はあるまい」

「考えるまでもないことだ」


 魅力的な提案である。

 全体の1%にも満たない犠牲で、人類は平和を得られるのだ。

 100万人など、ひと月も戦っていれば普通に死んでいく数だ。

 この話を持って帰れば、人類連合の首脳陣は必ず分裂するだろう。

 だからこそ、ヤシロはこの場で断り、この話をなかったことにした。


「このまま滅亡が待っているというならともかく、勝ちの見えた勝負を投げ出すには大きすぎる犠牲だからな」

「ほう、いまはこちらが優勢なようだが?」

「いまはな。だが、遠からず盛り返すさ。なにせ人類には私がいるのだからな」


 特に気負うでもなく、ごく自然に沿う告げたあと、ヤシロは席を立った。


「ふふ、大した自信だ。しかし、今回は無駄足を踏ませてしまったようだ」

「そうでもないさ。我らがともに天をいただけぬ関係であることがはっきりしただけでも収穫だ。クレア、行くぞ」

「はい」


 ヤシロとともに立ち上がっていたクレアとともに、ふたりは天幕を出ようとした。


「賢者よ」


 魔王に背を向けたヤシロに、背後から声がかかる。


「また会えるかな?」


 その問いかけに、ヤシロは一度足を止め、振り返った。


「いや、次に会うとき、お前は死んでいるだろうな。勇者に倒されて」


 そこでヤシロは、穏やかで、相手を気遣うようにほほ笑んだ。


「お前に残された時間はそれほど長くはない。私がいうのもおかしな話だが、悔いのないようにな」


 人類と魔王軍とは不倶戴天の敵同士であり、多くの人々が魔王軍に憎悪と恐怖を抱いているだろうが、こちらの世界に来て間もないヤシロは憎むほどなにかをされたわけではないし、賢者スキルのお陰で怖れる必要もない。

 聞けば、どうやらこの世界のことわりとして人類と魔王軍とは相争わねばならない関係であり、その争いを回避する手立てはないようだ。

 であれば、目の前にいるこの魔王なる存在は、倒すべき敵ではあるが、憎むべき存在ではないように思われた。

 少なくともヤシロにとっては。

 そして、自分が育てている勇者に、いずれ倒されることが半ば運命的に決められていることも確かである。

 そう考えれば、豪奢な天幕の下で華美な椅子にふんぞり返って自らを魔王と称する男が、どうにも憐れに見えてしまったのだった。


「……ふん、勇者など返り討ちにしてくれるわ」


 いま見せたヤシロの表情と口調に、“世界の半分をくれてやる”というヤシロの提案以降、崩れることのなかった余裕の態度に、ふたたびほころびが見えたように思えた。


「ご自由に。たとえ返り討ちにされようが、勇者は復活し、お前に挑み続けるからな。何度でも……。そう、お前を倒すまで、何度でも、な」


 そして言い終えるや、ヤシロは再び前を向き、天幕を去っていく。

 アンセルモはふたりの背中が見えなくなるまで、じっとそちらを見続けていた。


「ふふふ、賢者か……。おもしろい」


 ふたりの姿が見えなくなってしばらく後、魔王アンセルモは薄く笑みを浮かべ、静かにそう呟くのだった。

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