第6話『招待』

「あとは、やはり〈騎士任命〉が気になりますわね」

「そうだな。これこそ、魔物が魔人へと進化する要因なのだろう」


■ □ ■ □ ■ □ ■ □

〈騎士任命〉

 叙爵、または陞爵によって爵位を得た魔人は、ある程度知性のあるレベル20以上の魔物を一体、騎士に任命できる。また、5レベルアップごとに一体、追加で任命可能。

■ □ ■ □ ■ □ ■ □


「つまり、レベル20の男爵級魔人は5体の騎士級魔人を任命できるということですわね」

「そしてその男爵級魔人が子爵級に陞爵クラスアップした場合、任命済みの騎士はそのままに、またいちから〈騎士任命〉ができるわけだ」

「騎士に任命された魔人が男爵級になることで新たな騎士が増える……。そうやって魔人が増えているのですね」

「そのようだな」

「では、最初の魔人も、例えば魔王に任命された騎士だったのでしょうか?」

「どうかな。叙爵という言葉も少し気になるところだ。それが騎士級から男爵級へクラスアップすることを指すのか、あるいは別の意味があるのか……」

「そもそも魔王とはどうやって産まれるのでしょう? 何らかの理由で生まれた魔人が陞爵クラスアップを繰り返して魔王に至った……?」

「そのあたりはもう少し視察を続けないと答えは出んだろう」

「そうですわね」


 考察も一段落ついたところで、残ったコーヒーを飲み干したヤシロが立ち上がった。


「では、そろそろ休もうか。まだ先は長い」

「あ、はい。」


 寝室へ向かおうとするヤシロに、クレアがぴったりとついてくる。

 おや? と思いながらも、ヤシロは自身の寝室の前に立ったが、その時点でもまだクレアは離れようとしなかった。


「クレア、ここは私の寝室なのだが?」

「はい……あの……」


 なにやら言いづらそうに顔を伏せ、視線を泳がせていたクレアは、少しだけ顔を上げ、上目遣いにヤシロを見る。


「ご一緒しては、いけませんか……?」

「っ!? …………なぜ?」


 驚きのあまり大声を上げそうになったのを必死でこらえたヤシロが、絞り出すように問い返す。


「こ……怖いので……」

「怖い? 一体なにが?」

「もちろん、今日のことですわ」

「今日のこと……?」


 クレアの答えに、ヤシロは心底理解できないと言いたげな表情で首を傾げる。


「レベル1で魔人などという存在の前に立つことが、どれほどの恐怖か……」

「ふむう……。しかし、私たちには〈賢者の法衣〉があるじゃないか」

「だとしてもです!!」


 クレアの目尻に薄っすらと涙が溜まっているのが見える。

 ただでさえ白い顔はいつも以上に青ざめ、唇がわずかに震えていた。

 どうやら最近よくヤシロをからかうときに出る冗談でもなんでもなく、心底恐怖を覚えているようだ。


「わたくしたち、つまりこの世界の住人にとって、レベルとは存在のよりどころなのです。レベル1のままでいるとういことがどれほど心許ないか……」

「だが、君はそれを承知で私の秘書になったのではないのか?」

「そうですとも! 頭ではわかっているんです……。レベルが低かろうが、わたくしたちを害するものなど存在しないのだと。それでも……、いくらそう自分に言い聞かせても――」


 自分の体を抱えるクレアの手が、小刻みに震え始める。

 その震えを抑えようと、腕に力を込めたようだが、それでも震えは止まらない。


(恐怖症のようなものか……)


 我が事ながら情けないと思うが、ヤシロは高所恐怖症だった。

 それこそ脚立に立っただけで足がすくむほど重度の。

 透明なエレベーターに乗っているときなど、“絶対に安全だ!”といくら強く自分に言い聞かせたところで、足元からゾワゾワとせり上がってくる理不尽な恐怖を、押さえ込むことはできなかった。

 後年、優秀な心療内科医と出会い、根気よく治療を続けて一応克服はしたが、それでも当時の記憶がなくなったわけではない。

 意志の力だけではどうしようもない恐怖があるということを、身を持って知っているヤシロは、いまクレアが抱えている恐怖をある程度理解できた。

 その恐怖を和らげるのに、理解のある他者の力が有効であることも。


「あ……」


 突然ヤシロに抱き寄せられたクレアが、短い声を漏らす。


「あの……ヤシロ、さま……?」

「私ごとにがなんの助けになるかはわからんが、それで君の気が少しでも安らぐのなら、好きにすればいいさ」

「その……お手数を、おかけします……」


 青白かったクレアの頬にはわずかに血の気が戻り、瞳は別の意味で潤んでいるようだった。


「ただし、私も男だ。君のような美人と同衾して間違いを犯さないという自信はないぞ?」

「へ? ま、まちが……いえ……その……望むところ……ですわ」


 たどたどしくそう言ったあと、クレアは真っ赤になった顔をヤシロの胸に埋めた。


**********


 翌日――といっても外の世界では1秒と経っていないのだが――、準備を整えたふたりは、ジラルから流れる存在力の先を目指して歩き始めた。

 例のごとく魔王軍や野良の魔物に妨害されたが、彼らの歩みが止まることはない。

 そしてジャルザーク砦を出発して2日後、魔王軍に占領されたフィルーダという街で子爵級魔人との対面を果たしたが、得られた情報は〈支配〉スキルが一段上の〈支配・〉になっているという程度のものだった。


「討伐基準は、勇者一行でレベル25程度、伍だとレベル30といったところか。特殊部隊で相手にできるのは、ここらが限界かもしれんな」


 出会った魔人は子爵級レベル16だったが、そこからの成長を予測し、レベル20の子爵級魔人に対する討伐基準を算出していた。

 また、ヤシロと同衾したことが影響しているのか定かではないが、クレアの魔人に対する恐怖は幾分か薄れているように感じられた。


「さて、次は伯爵級か」


 今回の視察について最終的な目標があるわけではない。

 ヤシロが最も確認したかったのは、戦場にいた騎士級魔人から流れ出ていた存在力が帰結する先であり、それは男爵級魔人ジラルの〈支配・己〉を解析できた時点で充分な成果を得たと考えていいだろう。

 それに加えて〈騎士任命〉という魔人を生み出す元になるであろうスキルまで確認できたのだから、今回の視察はこの時点で大成功と言っていい。

 特殊部隊の編成など、新たに成すべきことも見つかったので、早急に帰るというのも選択肢のひとつだ。


「では、このまま先に進まれるのですね?」

「そうだな。どうせなら行けるところまで行っておきたい。時間はまだあるわけだし」


 とりあえずの目標は〈支配〉スキルの解析とし、最終的な目標は未定だが、期間だけはしっかりと決めていた。

 勇者がレベルリングを行う約1ヵ月。

 その間は、ヤシロ不在でも連合軍がしっかりと動けるだけの体制は整えているのだった。


「帰りのことを考えて、半月で行けるところまで行こう。往きに使える時間はまだあと10日以上ある」


 存在力の流れを辿って、より上位の魔人を解析する。

 ヤシロは今回の視察における当面の目標をそのように設定した。


「ふむ、少し遠いな」

「ええ。このままですと、5日はかかりそうですわね」


 フィルーダの町を出て1日が経った。

 存在力の流れを元におおよその目的地を算出しており、おそらく伯爵級魔人がいるのは、レストール王国の首都トーラだと予想された。

 レストール王国は魔王軍侵攻開始後、最初に滅ぼされた国である。

 現在地からトーラの町まで、5日はかかる計算だった。


「次もさらに遠くなると考えれば、たどり着ける先は侯爵級あたりが限界かな?」


 そんなふたりの行程に大きな変化が訪れたのは、さらに1日が経ってからだった。

 

「あれは……ドラゴン?」


 荒野を進む2人を大きな影が覆う。

 見上げると、巨大なドラゴンの姿があった。

 竜篭にを引くワイバーンよりもふた回りほど大きな身体。

 しかしその体に比して小さな翼を、ドラゴンははためかせることなくただ広げただけの状態で空を飛んでいた。


(ワイバーンのときも思ったが、翼の力だけで飛んでいるのではなさそうだな)


 そんなことを考えるヤシロの前に、ドラゴンはゆっくりと降りてきた。

 そしてその背に、人型の存在を確認する。


「賢者どのとお見受けいたすが、如何か!?」


 透き通るようなテノールボイスが心地よくヤシロの耳朶を刺激する。


「いかにも!」


 ヤシロの返事に頷いたその男は、ドラゴンの背から軽やかに跳び、ヤシロたちの前に着地した。


「お初にお目にかかります。私は公爵級魔人ヴェレダと申します」


 黒を基調とした礼服に身を包んだ男は、そう言って軽く礼をした。


「これはご丁寧に。私は賢者ヤシロ、彼女は秘書のクレアだ」

「ふふ、賢者どのが我々の言葉を解するというのは本当のようですな」


 そう言って、ヴェレダは端正な口元を軽く釣り上げた。


「で、公爵級の魔人どのが我らに一体何のご用かな?」


 ヴェレダはフッと微笑むと、胸に手を当てた。


「賢者殿をおつれせよと、陛下より仰せつかっております」


 そう言って、公爵級魔人はヤシロに対して敬々しく一礼するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る