青のなかに星をみるか?

@ebisan

青のなかに星をみるか?

 ローカル局の情報番組には地元高校の紹介がつきものであり、俺の地元では今度北高が取り上げられることとなった。

 今日がその収録日で、生徒いわく部活動の取材は午後にあるらしい。夏休みを前にした今はもう短縮日課になっているため、午後の時間を使って部活の撮影を行おうというわけだ。

 そんなわけで昼飯どきの今、生徒達はテレビの取材を控えて腹ごしらえをしているわけなのだが、意外にも彼らは浮き足立った様子もなく普段どおりの時間を過ごしている。高校生にもなれば意外とみんな落ち着いたもんだと感心していると、

「それ、あと五センチずらして」

 指示を受けた俺は、ペチュニアの植えられた長方形のプランターを少しだけ横に移動させる。

「OKOK。これでばっちりだわ」

 昼飯を食うこともなく学校の中庭でロケーションの調整に勤しんでいるのは涼宮ハルヒその人であり、周囲が静かな中テレビの取材にこれだけ意気揚々と気合を入れている姿は、見ていてとても清々しく痛々しいね。

 いわずもがな一緒になってせっせと動いている俺も同罪だろうが、俺がこいつにくっついているのには理由がちゃんとある。

 先日、ハルヒが適当に描いたSOS団シンボルマークが珍妙な事件を発生させちまったことは俺たちの記憶に新しい。その件で俺たちは、こいつが適当に出力したものを放っておくと後々とても困ることになるというのを身をもって学んだ。

 そこにきて今回の案件である。

 テレビの取材。

 この降って湧いたシチュエーションに対し、ハルヒは大まかに分けて二つの計画を提案した。

 一つは、学校の風景に宇宙人へのメッセージを隠すこと。

 もう一つは、取材されている生徒の背後にひっそり俺たちSOS団が映り込む、ということだ。

 そして現在、俺とハルヒは計画その一に準じた行動をとっているのであり、具体的に何をやっているのかといえば、これまた少々ややこしい。

 ハルヒ監督の下俺がやっていることといえば、グラウンドに棒状のものを突き刺したり珍妙な物体を設置したり、はたまた先程のように学校の設置物の位置を微妙に(または大胆に)変更したりすることだ。ハルヒによればこれが宇宙人へのメッセージになるらしく、この配置は彼らになにかを思わせるらしい。うら寂しく土汚れたプランターを気持ち程度ずらすことにどんなコズミック的意味があるのか甚だしく疑問だし、こいつの論理じゃ、蝶々がひらりと羽ばたいただけで未来の様相ががらりと変わっちまいそうだ。

「キョン? なにしてんの、ほら。終わったらさっさと部室に行くわよ」

 そう言って身を翻したハルヒに、俺は「ああ」とおざなりな返事をする。

「…………」 

 そしてハルヒを横目でちらりと窺うと、隙を見て、動かしたばかりのプランターの位置を再度調整した。

「キョン?」

 振り返ったハルヒに俺はぎくりとしたが、

「なんだよ」

 どうにか取り繕って返答する。

 ハルヒはどうやら不審を抱かなかったようで、

「あたしはちょっと教室に寄ってかなきゃなんないから、あんたは先に部室に行っといて頂戴」

 俺は了解し、ハルヒはとっとこ駆け出していった。

 たまに思うが、普通にしていればやはりあいつは男子高校生をハッとさせるような美少女なのである。さっき振り返ったときの顔もそうで、不意に見せる隙のある姿は少しばかり体に悪いな。うかつな気持ちがよぎりそうになるが、俺はあいつをちゃんと変人だと認識しているしそれが事実だということもじゅーぶんに理解しているため、やはりうかつな気持ちは錯覚にしか過ぎないと結論しておくことにする。

 そんな胡乱な考えを巡らせつつ、俺はプランターに目線を向ける。

「……やれやれ」

 俺がハルヒの手伝いをしているのは、こうやって、あいつの指示した配置を俺が微妙にずらしておくためだった。そんなのはハルヒの行動と同じく無意味なんじゃないかと早朝の俺のような疑問を持たれるかも知れないが いやしかし、これは十分に意味のあることなのだ。

 なんせ長門いわく、学校の物品がハルヒの思い通りに配置されてしまえば、この学校が異空間と繋がっちまう恐れがあるというんだからな。コンピ研部長の自宅に出現したあの巨大便所コオロギのことを思えば、次は北高にベルゼブブの招来があっても不思議ではない気がしないでもない。こういった連想をしてしまう俺の頭はもうどうにかしちまってるんだろうね。

 カマドウマに続き蠅の姿を想起したところで、既に昼食を済ませておいて正解だったとつぶやきつつ大きく息を吐きつつ、俺はハルヒよりも先にと文芸部室へ向かった。




「これでよかったんだろ? 長門」

 部室に着くなり、俺は疲れた様子を隠すこともなく部室の備品に言った。

 椅子に座って本に視線を落としていた宇宙製アンドロイドは、

「いい。この時空間内の境界条件に不確定な乱れは観測されていない」

 変わらず本を読みながら抑揚のない声で言った。

「どうもお疲れのようで」

 笑いかけてくる古泉を慣れた手順で無視し、俺は笑顔で湯のみを差し出してくる朝比奈さんに対応しながら席に着いた。

「とにかく、これからが大変だろうぜ」

 俺は汗ばんだ顔を手であおぎながら古泉に話しかける。

 ハルヒの計画その一については、俺がハルヒの行為に干渉したことで危うきを逃れた。

 難しいのはここからで、計画その二についてである。 

 俺がこれからの苦難を想像して渋面を作っていると、古泉は機嫌の良さそうな涼やかな顔を俺に向け、

「今回の涼宮さんは特に張り切るでしょうね。なんせ彼女は、あなたが積極的に計画に献身していると思っているのですから」

「ふん」

 俺は鼻をならす。

 確かに長門から言われたこととはいえ、先程のハルヒの手伝いは俺が自らあいつに志願してやったことだ。団長殿からすると確かに俺は相当乗り気にみえるだろうし、それに……。

「ま、今回ばかりは俺も気合を入れざるをえないからな」

 計画その二の阻止に関しては、誰に言われずとも十分に気合が入るってもんだ。

 俺がやる気を出す理由なんてのは一つで、

「でしょう、朝比奈さん?」

「はいっ!」

 元気よく微笑む給仕の天使の尊顔に、俺は俄然やる気を出す。

 そう――計画その二の件には、未来の安寧の是非がかかわってくる。

 俺も朝比奈さんも、そりゃあ使命感が出るってもんさ。




 長門が言うにはこうだ。

 もしもハルヒのメッセージがそのまま電波に乗ってしまった場合、遥か未来にどこかしらの宇宙人が「なんか用?」と言いながら地球に到来する危険性があるらしい。つまりハルヒが適当に送った手紙がハルヒの望む相手に届く確率なんてのは今更言うまでもなくそれは確定事項なのであり、それを防ぐのは朝比奈さん達未来人にとっても最初から既定事項として予定に組み込まれていたようだ。望まぬ未知との遭遇から朝比奈さんを守る役目があるというのなら俺だって喜んで引き受けてやるとも。

 今回の事件の事情を再確認するように俺と朝比奈さんが決意の眼差しを交わしていると、

「やる気を出すのは良いのですが、あまり肩に力を入れすぎないで下さいね。あんまりやり過ぎると、そのツケは僕に回ってくるでしょうから」

 わかってるともさ。ハルヒの機嫌を害してあの奇天烈空間を発生させちまうことなんか、俺だってご免だからな。

 言う俺に古泉が笑いを見せていると、

「さ、男子はどいたどいたっ! みくるちゃん、さっさと着替えるわよ! さっきテレビクルーのやつらも収録の準備してたみたいだし、こっちもいつでも対応できるように準備しとかなきゃだわ!」

 快活に叫びながらハルヒが部屋に押し入ってきたと思いきや、俺が目をやったときにはすでに朝比奈さんに組み付いて彼女の服を脱がしにかかっていた。

「ふわわ……!」

 不可知の速度で制服をまくりあげられ白いお腹を晒される未来美少女は、あらわになっている腹部を感覚して一気に顔を赤くする。

「す、すすす涼宮さんっ、ちょっと!」

「いいから早くこれに着替えるの! まずは脱がなきゃ話になんないでしょ!」

「だ、だからちょっとっ……ひう!」

 この騒動に宇宙人は相変わらず本を読むばかりだし、超能力少年はにこやかに退席の所作をみせている。これはまあ、いつもの部室の光景だった。

「やめろハルヒ」

 いつものごとく俺はハルヒを制し、これまたハルヒはいつもと同じようにむっとして眉根を寄せる。

「なによ。あんたも早く出ていきなさいよね。さっさとしないとみくるちゃんが着替えらんないじゃないの」

「着替えるもなにも、いったい何に着替えるってんだ」

 はあ?とハルヒは間抜けな顔を作ると、

「あんた、これがみえないの?」

 そんなことを言いながら俺に片手を突き出し、俺はその手にぶら下がっているものを見た。

 同時に、俺は呆れて言った。

「カーテンじゃねえか」

「おバカボンね、カーテンなわけないでしょ。ちゃんと見なさいよ、ほら」

 と、ハルヒが両手で広げて見せたのは、よく分からない透けた生地で出来たフリフリの衣装だった。

 はっきり言って今でも俺にはカーテンにしか見えないが、それでもハルヒはそれを服だと言い張ってやまない。いやまったくそれは朝比奈さんが絶句するのがよく分かる代物であり、その薄っぺらな生地にはどう考えても肌を隠すという機能が皆無である。いいとこレースカーテンだし、これを衣服にしてしまった行為はシャネルがジャージで婦人服を仕立てたのとはまた違った無謀さがある。

 俺が無謀と無茶の違いについてどう説明したものかと考えあぐねていると、

「すごいでしょ?」

 ハルヒは眩しい笑顔を向けて、

「あたしも見つけたときは目を疑っちゃったわ。とにかくインパクトの強いやつをって思って探してたらさ、宣伝文句にちゃっかりデザインのコンセプトは「宇宙への人身御供」だなんて書いてあるんだもん。即買いよ、即買い。これはもうみくるちゃんのために誰かがあつらえたとしか思えないわ」

 んなもんすぐ買わなくたってお前以外に買い手なんかつきゃしないだろうよ。それに朝比奈さんを宇宙人に食わせてどうする。

 だいたい宇宙人になにか言いたいことがあるんだとしたら、手紙でも書いて長門に渡しといてもらえばいーんだ。なんてったって、サンタクロースへの手紙と同じ理屈で伝えたい相手に意思が伝わるんだからな。本人に渡してるんだから、方法としてはよっぽど確実だ。

 方法といえば、今回のテレビ収録にあたってハルヒは、できるだけ誰にも気づかれないようにカメラに写りこもうと画策している。その理由は明快で、つまり無茶をしてテレビに映りこんだとしても収録なら編集でばっさりいかれてしまうからだ。これが生放送だったらまたハルヒの行動がどうなっていたのか知れたもんじゃないが、いずれにせよ朝比奈さんのセクシーショットはすべて部室のパソコン内に貯蔵するだけで十分だとする俺としては、彼女のあられもない姿が公共の電波に乗っかってしまうような事態が起こらないように細心の注意をもってこれを回避しなければならない。

 もちろん本旨の計画でも、単純に後ろを歩いて見切れるなんてことで満足するような団長殿ではない。そして、それを阻止しようと企む団員達である。階層的に下に行くにつれ仕事が地味さを増すが、それに反比例してその仕事に伴う危険度は跳ね上がる。特に俺達のところまでくれば、毒電波を仕込もうとする爆弾を処理しなければならない状況にまでなっているんだからな。ここで俺達の意図がハルヒにばれて、あの無駄に輝きの良い瞳が俺達に向くことだけは避けなければならない。

 もしあの瞳がバチリと火花を飛ばせば、未来が吹き飛ぶほどの大爆発を見ることになりかねないからな。




 夏の暑さのなかに小さな思惑が混じり合う中、部活動生への取材がはじまった。

「あれってちゃんと撮れてんのかしら」

 グラウンドではカメラが被写体に向かい、ハルヒ以下俺達はそれを校舎の陰から遠巻きに窺う姿勢となっている。撮影は意外と淡々としていて、ここからではいつキューがかかっているのかいまいち把握しにくい。

 ハルヒはなぜか手にしている黄色いメガホンを腕組のままポンポンと鳴らし、

「もうちょっとテイクの前には緊張感ってものが必要でしょうに。いくらローカルだからって撮影をナアナアで済ませすぎだわ。これじゃみくるちゃんの開幕オープニングのぶっこみが撮れないじゃないの」

 開幕オープニングって。

 陽射しを受けて肌が汗ばみ、俺がつっこむ気力もなくしている中、

「開幕とは言い得て妙ですね。ですが、本当にのっけからこれでいくのですか?」

 古泉も俺とは由来の違った苦笑を浮かべる。

 こいつの苦笑の元になっているのは暗幕を羽織っている朝比奈さんであり、本人は可哀相に建物の陰で小さく身体を縮めている。

 もちろんそれは暗闇に同化しようと試みているわけではなく、いうなればこれは出番待ちの役者の体である。暗幕から覗く白い顔が泣き顔になって震えているのはこれまた寒いからではなく、ハルヒの無茶に逆らえずに出番待ちをしているからだ。

 生や死を連想させるモチーフは無意識的に人の注意を引く、というのは広告界の手法であり、先程ハルヒが俺達に話したものでもある。この手法はジュースの泡で騙し絵的に髑髏を表現することで検証されたらしい。この手法の良いところは、それがサブリミナル的効果のある理論だということだ、と、これもハルヒが語ったところである。そもそもが今回は普通の人間にはそれと気づかせることなくメッセージを入れる計画なのであり、この方法を使わない手はないと言うのである。

「とりあえず、いいわ。やっちゃいましょ。もしもだめだったら何回もやっちゃえばいんだし」

 ハルヒはやおら動きだす。その動きには「ついて来い」というニュアンスが含まれており、古泉や長門や俺も同時に追従する。

 頑として動こうとしない朝比奈さんをハルヒが力ずくで引っ張るが、今回ばかりは勝手が違った。

「ふぎゅうっ!」

 これは渾身の力で抵抗する朝比奈さんの声で、彼女はいつになく本気で嫌がっている。いつもなら素知らぬ顔でズンズカ歩くハルヒであるが、初めて富士山でも引っ張ったようにたたらを踏んだ。

「ちょっと、ほら! わがまま言わないの!」

 覚悟を決めなさいとハルヒも声を張り上げるが、しかし朝比奈さんは諦めない。

 そりゃそうだろう。なんたって朝比奈さんが暗幕の下に着てるのはあのスケスケ衣装なのだ。その姿はほぼ裸といってもいいと評したのは長門で、つまりここでのハルヒの思惑は、あの広告界の理論に則って生の象徴たる女の身体をテレビ画面に映そうというものだったのである。

 どうやって映すかといえばカメラに写る位置まで俺達が誘導して、そこで一瞬だけ姿を晒すというものだった。

 そんな無理無体な計画があわや実行にまで移ろうとしているのはSOS団の合議制が形骸化しているせいによらず、これは無理な計画をあえて通して後に頓挫させるつもりだったからだ。オッペンハイマーよりはホッブズやロックの理屈の方が浸透しているこの国では、独裁者の圧政など通用しないのさ。まさかハルヒもこんな馬鹿げた計画を本当にやるつもりはあるまい。

「ちょっとみくるちゃんっ。このままじゃ野外の撮影終わっちゃうわよ! ちょ、こ……こらっ! ここじゃないとこの計画は出来ないんだからね!」

「なんでここじゃないと出来ないんだよ」

 思わず訊ねる俺に、ハルヒは依然朝比奈さんと格闘しながら、

「だって、体育館とか音楽室でこんなのが歩いてたら不自然じゃない!」

 息を切らしながら言うが、どこであろうがこんなもんがいて自然なロケーションなんてありゃしないだろうよ。あるとすればスピルバーグの現場か、というよりは、先鋭的というものを勘違いした監督が制作した日活ロマンポルノの世界ってところか。

「こうしていては日が暮れてしまいます。ここは策の切り替えも有効な手かと」

 拮抗状態の女子二人をなだめにかかったのは、二人の男子団員のうち微笑を絶やさない方の奴だった。

 ハルヒも暗幕をぱっと放し、

「諦めるには惜しいけど、固執して全部のチャンスを逸するよりはましかもね。もういいわ、別の計画を考えましょ」

 計画は立てるだけじゃ意味がないという考えのハルヒだが、それよりは面白けりゃなんでもいいという方に考えがいく奴である。熱しやすく冷めやすい傾向のあるこいつのこういった見切りの早さには普段であれば辟易させられるところだが、今回ばかりはこれが非常にありがたかった。

「……やれやれ」

 なんとかハルヒの無茶を一つやり過ごした。

 一難去ってほっと一息する朝比奈さんだが、今回ばかりは古泉も長門も同時に胸を撫で下ろしたことだろう。

 ハルヒはといえば校舎の壁際に生えていた猫じゃらしを引っつかみ、ちぎったそれを振って悠然と先頭を歩き始めている。その頭の中ではどんな智謀策略が展開されていることだか、これまたちっとも想像できないのが恐ろしい。

 とにかく、計画を回避するごとに溜まっていくであろうハルヒの鬱憤も上手く処理しながら、今日一日を過ごしていかなければならない。そう考えるだけでもすでに青息吐息である……。

 と、脱力したのも最初のうちだけだった。

 意外にもあっさりと俺達はハルヒをごまかし続けることに成功し、次第に俺は不可思議な現象に見舞われることになる。

 完璧と言っていいほど計画が順調に進んでいくなかで、どうやらハルヒではなく、別の奴の心中に鬱憤が溜まってしまっていたみたいだったんだからな。 




 それは、何を隠そう俺自身だった。

「うふ。また上手くいきましたっ」

 朝比奈さんと古泉が小声でハイタッチをするのを、俺は毒づくのとはまた違う渋面で見つめる。

「おや、どうなされたのですか?」

 こういったことには敏感な爽やかスマイルが、その笑みを絶やすことなく俺に訊ねてきたので、

「別になんでもねえよ」

 うそぶいてみたものの、やはり無性に居心地が悪い。

 俺は朝比奈さんの注意が逸れている隙に古泉に語りかける。

「はっきり言ってなんだが、ちっとも面白くねえ」

「これは驚きですね。それでは、あなたはなにかしら不測の事態がここで起こるのを期待していたというのですか?」

「そういうんじゃない。だが、お前はやってて虚しくならないか?」

「僕がですか?」

 仰々しく目を見開いたこいつは、

「こちらとしては万事順調でなによりです。こんなに計画通りに事が運ぶことなど滅多にありませんよ。そういった意味では不安ではありますがね」

 と、屈託のない柔和な笑みを俺に向ける。

 しかし、それが俺のメランコリー状態を更に加速させてしまうのだ。

「……こんなに空虚な気持ちになったのは久しぶりだな」

「いつにもましてメタですね。一体なにを俯瞰しているのですか?」

「こんなのちっとも面白くねえ」

 俺は同じ言葉を繰り返す。

 だが……考えてみれば、これはこれでいいのだろうか?

 そもそもハルヒは己の願望を叶えるために俺達を集めたのだし、逆に古泉や朝比奈さんなんかは、ハルヒに胡乱な行動をさせないために集っていると言ってもいい。だからこそこうやってハルヒを満足させながら行動するというのは、ハルヒの目的も叶っているし、周囲の人間の思惑も果たされているということになる。それぞれの要求がうまくハマっている形じゃないか。

 だがなんなんだ? この胸がムカムカしてくる感じは。

 こんなの、ハルヒは無意識のうちにマッチポンプやってるだけで、むなしいだけなんじゃないか?

 それに俺達だってこいつの願望をかなえるための道具なら、それは火をおこすマッチと変わりゃしないんだ。結局、俺達はただ騒ぎたいだけのこいつに気まぐれに選ばれた道具にしか過ぎず、そしてまた古泉達にとっても、果たしてハルヒが道具以上の意味を持った観察対象であるのかどうか疑わしい。

 一言で言えば、このつながりの中で、誰も相手そのものを見てやしないのだ。

 俺がそのわだかまりを古泉に伝えると、

「そうでしょうか?」

 超能力者担当の少年は俺の冷えきった視線に温もりのある瞳を向け、

「僕は以前、この世界は涼宮ハルヒという一人の女の子が見ている夢なのではないかという、人間原理の話をしました。彼女の夢であるこの世界では、涼宮さんの心が願ったことであればなんでも叶ってしまう、とね。しかし、この世界は欺瞞に満ちているのも確かです。ですが……僕は、この状況こそ涼宮さんの望んだものだと言えるではないか、とも思えてならないのですよ。というのも涼宮さんにはおそらく、僕達にブレーキになって欲しいという願いがありますから」

「えらく断じ切ったもんだな」

 だが……確かに、ワクチンのないウイルスに利用価値がないのと同じで、ブレーキのない車には自由というものはないんだろう。だから、ハルヒがそれを求めるのも自然の運びなのだろうか。

「あながちそう単純な話でもありません。涼宮さんという人物はブレーキがないどころか、ブレーキが利き過ぎる人なのですから」

「ハルヒにブレーキがある?」

 古泉の頭のネジはいつ外れたのだろうかと思っていると、

「ええ。その抵抗が強力であればこそ、涼宮さんが内部に溜める力は膨大なのです。また、その力を自身の強すぎるブレーキで押さえ込んでしまえば、彼女のフラストレーションは限界を超えて高まるばかりでしょう。その爆発を逃れるために安全弁として機能しているのが、つまりあの閉鎖空間だといえます」

 古泉は人差し指を立て、無駄に顔を俺に近づけて小声で、

「そして僕達はそのブレーキの代替……といえば聞こえは悪いですが、要は彼女は僕達を信頼してくれているのです。安心とは車の助手席で眠ることだという言葉がありますが、僕達に自分の安全をすべて任せてくれるというのは、なかなかないことではありませんか?」

 古泉のウインクにはイライラしたが、俺はふっと肩の力を抜く。

「……ハンドル切ってるのはあいつじゃないのか?」

「それはあなたの役目で、涼宮さんはいうなればエンジンです。好意的な解釈を与えれば未来人はスタビライザーで、僕達超能力者はリミッターないしABSといったところでしょうね。集団において役割は特化している方がいい。長門さんはなんとも判じえませんがね」

 それは全員がお互い様だろう。しかし……。

 この世界が続いているのは、全員がそう望んだからでもある。そこを思えば、SOS団に破滅を目論むような獅子身中の虫がいるなどとは考えなくてもいいだろう。そういったどんでん返しは俺達にはない。

「いつぞやの閉鎖空間拡大の際のように、彼女の世界に最後まで残るのは、ハンドルを握った者であるあなたです。涼宮さんがその役目をあなたに与えているのは、なにがあってもあなただけは裏切らないという確信に近いものを感じているからなのでしょう。ですが、その気持ちをあなたに託しているのは我々も同様です。いいですか? 最後にこの世界の行き先を決めるのは、あなたなのですよ」

 言われた俺は黙り込んでみせたが、不思議とさっきまでのわだかまりは霧消していた。

 なんせ、夏休みに入ったら合宿だってあるのだ。今のうちからこんな気分になってたってしょうがない。楽しむものは楽しめばいいんだ。変に気に病みそうになっちまったのは、俺のバイタリティの瞬間的な低迷がゆえんなのだろうね。

 そうやって俺の精神がいつもの平穏を取り戻したときだった。

「あのー君達ちょっといいかな?」

 まるでテレビのアシスタントディレクターのような風貌の男が声を掛けてきたのは、これまたどういった了見なのだろう。

「この学校の文芸部が面白いって聞いたんだけど、その、ちょっと見てみたいと思うんだけど、君達がそれで合ってる?」

 男がなんとなく疲れた日本語をしているのは、きっと当人が実際に仕事に疲れているからだろう。そうやって目的外の範囲にまでディレクターが手を伸ばしておこうとするから、こういった下の人間が奔走しなければならないんだ。たぶん。

 面白いもなにも一人っきりの文芸部員はひたすら無口だし、活動している実態も予定もないために紹介できることなどひたすらない。紹介できない理由ならいくらだってあげられるが、その無口な文芸部員はちょっとばかり可愛い見た目をしてるってくらいが唯一のネタだろう。ただ、しゃべらないそいつを映しても放送事故になるだけだろうが。

 そんなわけで俺が事実に事情を絡めて「違います」と答えようとしたとき、

「違わないけど、一体なんの話?」

 いつの間にかそばに仁王立ちしていて、語調とは正反対にニンマリとした表情をつくっているのは――やはり涼宮ハルヒだった。




 結局、俺達は文芸部として一応の取材を受けてこの日は終わった。

 文芸部室は改修中のため利用できないという理由で撮影の場は教室を借り、意外にも長門はカメラに向かって一人で良く喋ったものだった。読書物に関する所感を述べただけだが、こいつが一般人を前にして途切れなく喋っているというのはそれだけでプレミアものである。残念ながらこの映像は放送されなかったものの、その記録テープは古泉の組織の伝手で今は俺の手元に保管されている。ひょっとしてこれは本当に宇宙的規模の価値がある品物なんじゃないだろうか。きっとそうに違いない。

 長門が滔々と喋ってる教室の後ろで、かくれんぼよろしくごそごそとやっていた俺達。それがもしかしたら映りこんでいたために没になったのかもしれないと今日も俺はテープを再生してみたが、やはり掃除用具入れの中に潜んでいる朝比奈さんも、一度書いて消した黒板の象形文字的な記号の名残もついぞ認められはしなかった。

 ビデオを止めて不意に俺の口から漏れたのは、なぜか微笑と軽い吐息だった。

 なんだかんだいって、楽しい気持ちもあるのかもしれない。

 こんな姿はだれにも見られちゃいけないな、と思い、俺は古泉の機関がうちを盗撮なんかしてないだろうなと急に不安になる。そしてまた笑えてくるのは、これまたどういった気持ちの表れなのだろうね。

 俺がハルヒの奔放な行動に溜息を吐くことになるのは、まだ先のようである。

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