第未定
飯河ネロ
Canaria Stories
後書き:N氏のケース
どのように取り繕ったところで、後書きの大半は無粋である。しかし、どんな些細なものであれ、一人で作品を成すには他人には理解できない苦しみを伴うこともわかったし、成し終えた後にそれを誰かに語りたくなる気持ちは今ならわかる。作家にとって、書く周囲で起こったこともまた作品の一部で、だからこそ作品に収まらないそれらを後書きで聴いて欲しくなるのだ。この後書きもそのようなものにすぎない。
インプラントの些細な故障から始まり、ゾンビ化したボットパーソナリティの暴走と認証バッジとクラスタの乗っ取り、遮断。瞬く間にモブ認定されてしまった私は社会に存在しないものとなりつつある。流れの速さにいくばくかの意図を感じない訳ではないが、この状況を脱するためには何某かのアクションを起こさねばならない。その結果として世に出されたのがこの作品だ。成果を生み出すのはこれから先の話だが、一つでもリンクが再構築できれば良いと思う。そのようなことを長々と書いても退屈なので、ここからはこの作品の背景について触れておこうと思う。
紀伊国屋本店に行こうと新宿駅の東口から広場に出た時のことだ。パースが狂っているように見える一角があることに気づいた。よく見ると周囲から頭三つほど抜きでたスーツ姿の男がいる。パースが狂っているように見えるのは、背が高くて抜き出ているというよりも、その男だけ綺麗に拡大表示されたように感じるためだ。彼は、誰か人を探しているようだった。
紳士的に人を呼び止め(呼び止めようとする手の指は異常に長く、それがまたパースの狂いを助長する)、
「失礼、私、!○**¥星系から来た〜ー+>#%と申します。この星の代表者を探しています」
と始めた。名前と出自は聞き取れない発音だった。彼にとって不運だったのは、その呼びかけはボットパーソナリティの「近寄りたくない人フィルタ」による自動的な受け答えで処理される範疇であったことだ。「この星の代表者」などといった様々な解釈や政治的諸々が成立する問いかけに対して、考える対象として処理をするわけはない。彼は、無視されるか、警察を案内されるか、ものの役に立つとは思えない検索結果を教えられか、とにかく考えうる限りの適当なあしらいを受けていた。
その様子が面白く、またあわよくば私も話しかけられたりはしないか、という野次馬的根性もあり、舞台のヘリに腰掛けて様子を見守ることにした。
しかし、一向に私に気づくそぶりも見せない。避けられる存在であることはモブであることよりも遥かにましなのではないのか、と内心歯噛みしながら、私は彼に話しかけてみた。
会話が成り立たない。正確には会話を成り立たせるだけの知的水準に私が達していない。彼から投げかけられる質問に答えようと四苦八苦すればするほど、表情に落胆の色が濃くなっていく。明らかに面倒な表情で、切り上げるタイミングを図っている風の対応に気づかないふりをしながら、対話の緒に食らいつく度に、私という人格の骨にしがみついたプライドが削り落とされる気がした。自分の存在に失望されるということは、これほどまでに痛みを伴うものか。
とりあえず彼の主張をまとめるとこうだ。
一.彼は地球外の知的生命体の外交官である
二.彼の母星は地球の知的生命体(つまりは我々人類)と友好関係を結ぼうとしている
三.ただし、友好関係を結ぶにあたって、ある一定の知的・道徳的水準は要求したい
四.水準に満たない場合は友好関係を結ばない(なお、道徳的水準に満たない場合は、安全保障のために植民地支配からの矯正もありうる)
五.上記交渉をするために地球の代表者を探している
質問の回答に要求される知的水準が高いのは、要するにテストということらしい。テストの水準はともかくとして、これらの主張をボットパーソナリティが相手にしないのはよくわかる。異様に背が高いことを除けば地球人にしか見えない相手から言われて信じられるような話ではない。担がれているか、何かを受信しているかと判断されるのがいいところだ。彼の真面目な語り口は前者であると感じさせないので、おそらく後者と判断されていたのであろう。信じていないのは私とて同じだった。しかし、いかにもな「あしらい」ではないコミュニケーションに飢えていた私は、この対話が途切れてしまうのを恐れる程度には切羽詰まっていた。次第に彼が質問する内容に困り始めるのを目の当たりにしながら、わずかな緒を探し続けていた。
しかしそれも時間の問題である。やがて、彼も完全に失望したらしい。外の宇宙に興味を持たない人たちとはそもそも関係も築けません、と言い残して去って行った。新宿アルタの方へ向かい始めた。見るものにパースの狂いを感じさせる背の高さがあるはずなのにすぐに見失う。彼がアルタの方へ向かって少し経った後、垂れ込めた雲の進行方向に当たる一部分が丸くくり抜かれたようになり、その部分だけ青空が見えた。状況があまりにできすぎていて、偶然の自然現象に片付けることができなかった。
ここで私はふと気づく。過程や、相手の露骨な失望によって傷つけられた自身のプライドはともかくとして、見ようによっては、これは地球を救った行為ではないのか?モブである私の行為は誰に知られることもなく、今の世においては発生しなかった事象に等しいが、本来は人類史上の一大事件として扱われるべき事象ではなかったか?
私は、このことを書こうと思った。つまり、この作品は起こらなかったカタストロフィーによって引き起こされる全人類的な物語を描いたものだ。
ボットパーソナリティによる存在のフィルタリングがもたらしたものは、個人の精神衛生と引き換えにした人類全体の進化の袋小路だ。もしかしたら袋小路を逆走し、人類という共通の物語すら持てなくなってしまっているのかもしれない。彼の我々に対する評価は如何許りであったか。すでに我々は、人類以外の知的存在にとって興味をもたらす存在ではない。そして、己のクラスタに閉じこもって物語を共有できず、いわば自閉状態になってしまった今の人間社会が袋小路を脱するために必要なものこそ、全人類的な物語であると考える。
人類全体という視点で語られる大きな物語によって、人類の外という概念を捉えることができ、別の知的存在の想定を通じて高い次元に至る可能性を担保する。この想像力に満ちた活動を少なくとも我々はどこかの段階までは積み重ねてきたはずだ。この作品は、それを取り戻すための一つの復元力になることを目指している。どこまで達成できたかは読者諸氏の判断を待たねばならないが、少なくとも現状におけるファーストペンギンにはなれたと自負している。
そして、この後に私ができることは、セカンドペンギンやサードペンギンを生み出すことだ。いつしか、私の作品だけではなく多くのペンギンたちが海に飛び込んだ時、我々は大きな物語を再び生み出すことができるようになるだろう。
後書きの最後には諸氏に対する感謝の念が続くものではあるが、生憎私には読者諸氏以外にこの感謝の念を受け取ってくれる相手がいない。いささか重いものとなっているかもしれないが、受け取っていただければ幸いである。
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