瞳、音の色

東広

#1 観察は趣味じゃないですよ


心地好い風に新緑が音を奏でる。葉一枚一枚が調律された楽器のように、気持ち良いハーモニーが僕を揺らす。

 しかし、その音も長くは続かない。

 風はいつか止まる。周囲は自然とざわつく。

 いや、周囲は最初からざわついていた。葉が奏でる音に僕が酔っていただけに過ぎない。

 閉じた目を静かに開くと、なんとも場違いな場所だと認識させられる。

 一観祢(ひとみね)神社。どこにでもあるような、なんの変哲も無いこの神社に、昨今は全国の若い女性が参拝に訪れている。

 理由は簡単だ。この神社が縁結びで有名だとゴールデンタイムのテレビ番組で紹介されたらしい。

 なんでもおみくじの的中率が異常らしく、何年後に結ばれるやら、明確な数字まで記載されていてわかりやすい。ただそんな理由だ。

 見渡すかぎり女性の団体やカップル。中には男の集団もあるが、それはなんでも「一観祢神社でのナンパの成功率は半端じゃない」という解せんな下心のためだ。

 当然、僕は一人なわけだが、別に恋焦がれる気持ちで来たわけではない。

 ただ、見ておきたかった。

 有名な神社を――というわけではなく、そこに来る人を。

 正直、一観祢神社には見るものなどない。その証拠に多くの人はおみくじ売場に列を成し、賽銭箱の前には、恋愛よりも健康面を祈っていそうな高齢者のほうが多い。

 恋を成就させたいという気持ちが神にもすがる思いという人を見ておきたかった。ただそれだけのために僕はここにいる。

 たいそうなことを言っておきながら、わざわざ大金払って電車を乗り継いで来たわけでもない。

 家からも近いし、先ほどは恋に憧れる気持ちではないとか言っておきながら、ミーハーな気持ちを微塵も持っていないわけでもなかった。

 僕だって青春、真只中の大学生である……遅いか。


「そりゃ恋の一つや二つもしたいわな」

 おみくじ結果にきゃっきゃっ騒ぐ女子大学生集団を横目にすると、なんだか虚しくなった。

 拝殿の広場から少し離れ、参道にある木製のベンチに腰を降ろす。


「なんか疲れた」

 肉体的疲労ではない。多分、いや、絶対、気持ちの問題だ。

 視線が痛かった。

 それもそうだ。男一人でこんな場所にいたら、見られて当然だろう。

 結局、よくわからなかった――神にもすがるという人の心が。

 鞄からペットボトルのお茶を取り出し、一口含むと空になった。まるで僕の心を表しているみたいで、凹(へこ)む。

 ペットボトルの蓋を閉めて横に置いてから、少し俯いた。

 風が吹いて、木々が揺れる。

 目を閉じ、またこの風に酔いたいと思った瞬間、ペットボトルが舗装(ほそう)されたコンクリートの地面にからんという音を立てた。

 興が冷める思いだった。

 風は勢いを増して、ペットボトルは僕からどんどん離れていった。

 見送ればどこまでいくんだろうか。

 あの空っぽのペットボトルは何処にいくのだろうか。

 そんなどうでもいいことをずっと見ていたいと思った。

 瞬きを忘れ、回るボトルを細い目で追っていると、細くて白い腕がそのボトルを拾いあげるのが見えた。

 我に返って、僕は目を広げた。


「感心しないわね。神社にゴミを捨てるなんて」


 右手に僕の落としたペットボトルを持ち、左手に竹箒を持つ女性。紅白眩しい巫女姿に身を包み、すらりと伸びた黒い髪が風に揺れる。

 言葉を失うという使い方を初めて実感した気がする。

 僕は今、どんな顔をしているのだろうか。そんなことすらわからない。

「どうしたの? 馬鹿みたいな顔して」

 とりあえず表情はわかった。

「すみません。風で転がってしまったみたいで」

 とりあえず、立ち上がってペットボトルを取りに行く。

「いいわ。どうせ掃除の途中だし、あなたに返したらまた捨てられて私の仕事増えるかもしれないし」

 そう言って、ペットボトルを持つ手をぶらりと下げた。

「失礼ですね。捨ててないですよ」

 さすがに少しイラッとしてしまった。まあ、転がったペットボトルをすぐに拾わなかった僕が悪いのだけど……。

「まあ、いいわ。ところであなたはこんなところで何をしているの? 一人で」

 確かに一人だが、それを付け加えられると、「男一人で、こんな場所に何しに来たの?」とあざ笑われているようにも聞こえた。

「えっと……人間観察」

 情けない。人間観察をしに来たにも関わらず、逆に僕が観察されて精神的ダメージによりうなだれていたなんて。

「変わっているわね。素直に成就したいって言えばいいのに」

 どうやら嘘だと思われたらしい。それも当然か。

「いや、ほんとに。ちょっと情報収集を」

「なんの情報よ? ここに来る人は決まって同じ理由よ」

「だから来ているんですよ」

「意味わかんない」

「あなたは恋を成就させるために神にすがりますか?」

 僕の唐突な質問に巫女さんは少しだけ首をひねり、「立場上」と素っ気なく返した。

「なるほど。立場上ねえ」

 本心は違うというわけか。

「何がしたいかわかんないけど、人の気持ちを観察するなんて悪趣味はやめたほうがいいんじゃないかしら」

 さすが巫女さん。おっしゃることも立派だ。

「観察は趣味じゃないですよ。あくまで情報収集ですから。話作りの」

「話作り?」

「はい。今、小説を書くことにはまっていましてね。趣味と言えばそっちになりますね」

 これが情報収集の本意。

 僕は別に小説家を目指しているわけではない。ただ、現実をつまらなく生きるより、楽しくなるような空想の世界を作るのが好きという根暗な考えで書き始めたに過ぎない。

「小説ねえ。まあ、いいんじゃない。やりたいことは人の自由だし。でも、あんたが作る話なんだから、人の気持ちを知ってどうするのよ? それじゃ、あんたの気持ちは伝わらないわよ」

「確かに」

 そうだ。人の気持ちをそのまま書いていたら、それはもう僕の作品ではない。

「あんたが何を書きたいか知らないけど、ここに来ている人達じゃ多分参考にならないわよ」

 先ほどから気になっていたが、あなたからあんたに格下げになっている。

 この際、それはどうでもいいとして、「どういうこと?」と聞き返してみたが、巫女さんは「いずれわかるわよ」と少しだけ笑った。

 その笑みの理由は理解できなかった。

 笑っていたが、それが作り物で、寂しさを我慢しているように見えた。

「ねえ、巫女さん」

「何よ?」

「名前は?」

なんで名前を聞いたかはわからない。ただ、聞いておきたかった。聞かなければならないような気がした。

「先にあんたから言ったら?」

「それは失礼しました。久波(くなみ)新(しん)」

「ふーん。変わった名前ね。私は――」

 これが一観祢鈴(りん)との出会いだった。

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