アイちゃんとスキツォフレニア

 カチカチと鳴る新品のコントローラーの音。初めて遊ぶゲームのはずなのに、シヅルの選んだ天使のキャラクターは、あたしのキャラクターをどんどん倒していく。どれだけ攻撃のボタンを押しても、避けられるか防がれるかで、ほとんどダメージさえ与えられない。

「ね、シヅル、ほんとに一回もやったことないの?」

 五回ほど遊んだところで、シヅルははっとした。

「あ、ああ、ごめんね。アイさんは初めてだもんね。僕は一応、このゲームはやったことがないんだけど、動画を見たことがあるんだ。すごく、やりたかったから。それで、ずっと見てたら覚えちゃって……」

 やったことがないゲームなのに、動画を見ただけでやりかたがわかるってこと? すごいな。じゃあ、あたしじゃ、対戦相手としては物足りないか。

「あのさ、ネット繋げてるの、これ。他の人と対戦したほうがシヅル、楽しいんじゃない?」

「え、でも、いいの? アイさんと遊ぶって約束だったから……」

「いーの。シヅルがどこまで勝てるか気になるし。見てたいな」

 そう言うと、やっぱり、シヅルは他の人と戦ってみたいようで、少し笑った。ありがと、と言ったあと、早速インターネットに繋げてみて、対戦相手を待ってみると、すぐ見つかったようだ。

「なんだか、緊張するな」

 握られた黒いコントローラーは、言葉と違って自信ありげだし、シヅルはすごく楽しそう。焼いたスコーンをツォハルとあたしで食べながら、画面とシヅルを見守る。シヅルが選ぶのは、さっきの天使のキャラクターだ。

「そのキャラ好きなの?」

 尋ねると、照れながら答える。

「え、なんだか、天使だし、ちょっとツォハルに似てるなって。なんとなくだよ」

 そんなシヅルに、ツォハルはあたしを見て、首を振る。似てないって、そう言いたいらしい。確かに、ゲームのキャラクターは明るくて子供っぽい印象で、天使だけれど、ツォハルのように神々しさは感じない。きっと、下級の天使なのだろう。

 そうしている間に対戦が始まったけれど、相手の動きはあたしなんかより全然動けているのに、シヅルはそれについていくどころか、圧倒する。それからまた数戦やっているけど、シヅルは全て勝ってしまった。何度もやるたびにコツがさらにわかってきたのか、どんどん攻撃を避けて、隙を見つけてはダメージを与えていくスピードははやまっていく。

 きっと画面の向こう、回線の向こう側の人はシヅルよりはたくさんゲームをやってきた人だろう。シヅルは今日はじめて、あこがれのゲームをしている。何度も動画を見ていたって、最初からこんなにもうまくやれるものなの?

「すごいね、シヅル。また勝っちゃった」

「え! そ、そうかな。でも僕じゃないんだ。頭の中で声がして、ここはこうしろって言って、それに従ってるだけだよ」

「声?」

 僕じゃない? 今コントローラーを握ってるのはシヅルなのに?

「昔から、そうなんだ。本当の僕は勉強も、運動も苦手なんだ。でも。頭の中の声が、ここはこうするんだって教えてくれるし、一度読んだ本や、教科書は全部声が覚えてた。だからさ、あの、まあ、世間に悪いから勉強はしろって言われてて、家で形式的にはしてたけど、集中なんてできないんだ。それで、さ、学校でぱらっとプリントや教科書を流し読みするだけで、声が覚えて、応用もする。テストの時、頭の中で答えはこうだって声がするんだ……」

 さっき、成績がいいから、すごく頭のいい大学に入れるのに勿体無いって言っていたっけ。声。誰の声なんて、そんなのわかってる。

 シヅルの隣でマフィンをいただいている、金髪の御使い。ツォハルにまちがいない。コンスタンティアは、悪魔に憑かれた人間は才能や知識を得ると言っていた。

 コンスタンティアが最初に憑いだ人間は芸術家で、とても有名になった。あたしは、料理が本当に、すごく、おいしいらしい。だからコンスタンティアの与えるものは、つくること。いいものを作る才能なのだろう。

 ならば、ツォハルに憑かれたシヅルは、たとえば神のお告げみたいに、ツォハルの声を常に聞いていたんだ。それは、きっと、異様な記憶能力として表れているに違いない。

 そう考えながらも、シヅルはやっぱりどんどん勝っていく。

 こういう人間が、きっとこれまでも世界を変えていったのだろう。ならばやっぱり、シヅルはツォハルと一緒に自由にさせてあげたい。きっとシヅルは、世界を良くするような、そんな人間なんじゃないかと思う。どこまでだって賢くなれるし、どこまでだって学んでいけるってことだもの。

 しきたりが嫌で深泥池から飛び出して狂った、シヅルとあたしのお母さん。アキラは、兄のヤマトは二人の悪魔を殺して死んだと言った。……御使いに憑かれれば、狂わない? シヅルには『昔から』ツォハルがいたようだし。なら、やはり、この狂った土地から出さなければ。

「アイくん! これはとても美味しいね。よければまた作ってくれないか?」

 ゲームに集中するシヅルに、ツォハルは今も声を送っているのだろう。ツォハルの表情は穏やかだ。

「うん、簡単だし、おやつにまた作るよ」

「いいわね、ツォハル……」

 と、コンスタンティアはツォハルとは違い、寂しげだ。そうだよな、あたしが気を使わないといけないけど、でも、どうしたらいいかわからない。

「きみは、食べないのかい?」

「……ふふ、食べられるけど、食べられるけどね、お腹に穴があいてるでしょう、私。だから、食べたものはここに落ちてきちゃうの。アイちゃんの作るものは美味しいけれど、そうやって私は食べても汚らしくしてしまうから。だから、食べないわ」

「味覚はあるのに?」

「ええ。私はアイちゃんが大好きだから、アイちゃんの作ったものを、汚くしてしまいたくないの。においをかぐだけで十分だわ」

「それはなんて、ひどい呪いだ……。悪魔ってのは、こんなことをするのか?」

 ツォハルは驚いているようだった。呪いだとか、そういうのが、やっぱりわかるのか。

「いいえ、これは罰なのよ。私の罪なの。私は罪人なの。だからなの」

「……強力すぎて、ぼくにはどうにもなりそうにない。まさか、こんなひどい……、こんな綺麗なひとに対して、ひどすぎる」

 コンスタンティアは悪魔の王様に子宮を取られたと言った。子宮どころか、お腹ごと赤ちゃんも持って行ったのだから、そのあたりの臓器、悪魔の体のしくみはわからないけれど、それを持って行かれたのだろう。キラキラ輝く、氷のような背骨。

「呪いを解く方法をぼくが探してみよう、知り合いにたしか得意なのが……」

「やめてちょうだい!」

 ツォハルを止めるコンスタンティア。シヅルもびっくりして、コントローラーを落としてうずくまる。あたしも、急に大きな声を出されて、頭を抱えた。

「あ、ああ! 二人とも、ごめんなさい。大きな声が、苦手だものね、ごめんなさい。大丈夫?」

 あたしは黙っている。シヅルも黙っている。ツォハルはシヅルに駆け寄った。

「シヅル。ぼくの呼吸にあわせて。大丈夫だ、もう誰も殴ったりしないよ」

 過呼吸になっているシヅルの背中をさすりながら、わかりやすく呼吸する。

 あたしにもコンスタンティアが寄り添って、あたしの背中を抱いた。

「アイちゃん、落ち着いて、私がいるわ。本当に、ごめんなさいね」

 柔らかい胸。香るのは獣と女のにおい。胸と胸をあわせて、鼓動を感じていると、古くてしまっていた記憶を、なんとか片付けることができていく。最後のにおいを肺にたっぷり押し込めたあと、シヅルも落ち着いたのか、よろよろとコントローラーを拾った。

「……つい、大きな声を出してしまったわ。ごめんなさい。シヅルくんも、大丈夫で良かったわ」

「いや、デリケートな話に突っ込んで悪かったね。ぼくも。すまない……」

「一応説明しておくと、私はこの呪いを受け入れているの。もちろん、今日みたいに悲しくなる気持ちになることもあるけど、呪いをといたら、またあやまちを犯してしまうからよ」

「そ、う、か。きみの力になれればと思ったんだが……」

「今で十分、なっているわ。御使いが私を殺しにこないか心配で、なかなか寝付けなかったの」

「ああ、そのことは本当に安心してくれていいよ。この地に来るな、って言ってあるから。姿を見ることだってないはずさ。今日からしっかり眠るといいよ。肌に悪いからね……」

 そう言ったツォハルに、コンスタンティアはクスクス笑った。コンスタンティアの肌は緑だもの、肌を気にしたって、つるつるして、できものがある事なんて見たことがない。

「ふふ、そうね。ありがとう」

 シヅルも落ち着いて、ゲームに戻ったところに、キリのよさそうなところで声をかけてみた。

「ね。交代。あたしの選んだやつやりたいな」

「あっ、そうだよね! じゃあ、終わらせるよ」

 シヅルはにっと笑った。ゲーム機に近づいて、ディスクを入れ替える。きっと、すごく楽しかったろう。

 今度はあたしがコントローラーを握る。可愛らしい、カートゥーン調のキャラクター。

「女の子、すごく可愛いね」

 と、シヅル。たしかに、ガールと表示されているキャラクターはとても可愛い。ガールを選び、肌の色は白めで、ピンクの目。これがあたしの、キャラクター。

 チュートリアルがはじまって、慣れないコントローラーにまごまごしながらも、ゲームの舞台である街に辿り着いた。ネットに繋いで対戦してみるけど、なかなか難しい。

「アイさん、アイさん、これ、敵を倒すゲームじゃないんだね」

「ん、そうだね。味方を助けるゲームだね」

「楽しそう。味方を助ければ陣地が広がって、動ける範囲が広がって、敵を倒しやすくなって、また色陣地が増える……、ってことかあ」

 ……これはツォハルの声? それとも、シヅルの声?

 なかなか勝てないんで、ちょっとやってみてとシヅルにコントローラーを渡してみると、数戦でルールがわかったらしく、どんどん動いて、どんどん敵を倒していく。同じ武器で、同じキャラクターのはずなのに。

「わあ、これも楽しいね、アイさん!」

 はしゃぐシヅルを見ていると、あたしも楽しい。だって、こうやって友達と遊ぶことなんてなかったから。ずっと怒られて、怒鳴られて、汚い格好で外に放り出されて。

 今じゃ、家の中で友達とゲームをしてる。小さな頃のあたしに伝えてあげたい。じきに、楽になれるから。助けてくれるから、だから、耐えてねって。言ってあげたい。そうしたら、今のあたしも、大きな声に震えなくて済んだかもしれないから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る