お題箱『ハーゲンダッツ ストロベリー味』(登場:伊桜)
ここはどこかの倉庫の中だ。九月に入っても一向に暑さは引かず、壁に断熱材もないここはひどく暑かった。
命の危険を脅かされているわけであるが、伊桜は努めて冷静を保ち、一切動じなかった。誘拐されるのは初めてのことではないし、誘拐された時に備えて訓練だって受けていた。名家に生まれたものの宿命だと受け入れる気持ちもあった。まだ小学三年生だとか、そんなことは関係ない。とにかく犯人の言う通りに、協力的にしていれば無傷で返される可能性が高まる。犯人にとってもわざわざ殺人をするのは面倒だということは伊桜も習って知っていた。自分に課せられた役割は犯人が速やかに金銭の受け渡しを済ませられるよう、無抵抗に邪魔をしないことだ。娘の命を助けたい一条家と、できる限りスムーズに金銭を得たい誘拐犯と、人質の幼い無力な自分。この三つのチームワークを高めるのだ。金と人質のスムーズな交換というミッションが果たされた後、犯人は逃走、一条側は金銭を取り返す、といった第二ラウンドを開始すればいい。まずは一致団結して人質交換ミッションを成功させるのだと。
それにしても暑い。
そのとき、倉庫の扉が勢いよく開き、もう一人の男が入ってきた。
「おーい! アイス買ってきたぞー!」
二人の見張り番と拘束された伊桜は、一斉にその男の方を向いた。その手にはアイス。「しかもハーゲンダッツだ!」
群がるようにして犯人たちは手を伸ばす。箱入りのファミリー用らしく、ミニサイズのアイスクリームが「バニラ」「ストロベリー」「クッキー&バニラ」と三種二個ずつ、計六個あった。
「親分、ハーゲンダッツだなんて、贅沢っすねぇ!」
「あたぼうよ、身代金が手に入りゃ安いもんだろ? へへ」
親分と呼ばれた四十半ばの男が舌なめずりして笑い、三人は協議ののち仲良く二個ずつ、バニラはストロベリーと、クッキー&バニラはバニラと、など味が重ならぬように均等に分け合った。
だがそこへ声を上げるものがいた。
「いおは、ストロベリーがいい!」
三人は固まって伊桜を振り返る。そして人質として身動きできぬように拘束されて地べたに座らされている伊桜を穴があくほど見つめて言った。
「嬢ちゃん、立場わかってんのか?」
「お前は人質なんだぞぉ!」
伊桜は頷き、尚も言った「いおも食べたい!」。
「ばーか、ハーゲンダッツなんて飽きるほど食ってんだろ金持ちは! だめだだめだ! ぜってぇやらんぞ!」
犯人のうちの一人が、そう言ってバニラを食べ始める。
「ああおいしい……。こんなにうまいのか、ハーゲンダッツはよぉ……」
「もしかしてお前、ダッツ食ったことないのか?」
「あるわけねーだろ、こんな贅沢品……ああうまいうまい」
「かわいそうなやつだな……おっと、溶けちまう……」
「あーうめぇ! 俺たちにはとても買えない味がするぜ! ちくしょう!」
うだるような暑さの倉庫の中、これ以上ないほど美味そうにハーゲンダッツを食べる犯行グループ。伊桜は唇を尖らせた。
そのうちの一人が、伊桜の目をちらっと見て、眉を吊り上げた。
「あんだよ!? ハーゲンダッツ一つでこんなに感動して悪いかよ!? 憐れかよ!?」
その怒りの大きさと、内容に伊桜はきょとんとして、言った。
「憐れってなにが?」
何を言い出すんだろうかと。
三人は、アイスを食べる手を止めて、口々に叫び始めた。
「こんな風に子どもを攫って、悪人で、貧しくて、悪かったなあ!?」
「それで俺たちがハーゲンダッツ一個くらい食ったって、罰はあたらねえだろ!?」
「幸福なガキにはわかんねえだろうけどなあ!」
「お前らばっかりいい思いして、ふざけんじゃねーよ!」
伊桜には意味が分からなかった。
自分に宛てられた言葉というより、独り言みたいな。
だったら聞く必要もないかと思い、伊桜は続けた。
「ねえ、いいから、早く! アイスとけちゃう! いおはストロベリーがいい! あとクッキー&バニラ!」
その純粋さを失わぬ叫びに三人は毒気を抜かれたように、顔を見合わせた。食べかけのままだったアイスが溶けかけている。
沈黙を破ったのは親分だった。
「はあ……もう、仕方ねえ。おれの一個やる」
ストロベリー味を伊桜に差し出し、伊桜の結束バンドを解いた。
「ええ? 親分、そんな……じゃあいいっすよ俺らがあげますよ」
子分たちが慌てて自分の分から、未着手のアイスを一つ差し出す。
「いおはストロベリー! あとクッキー&バニラがいい! バニラは、やっ!」
「うっわ、わっがままだな……」
「いいよおれのやるって」
「ええ……すんません親分。あとおまえも……悪いな俺だけ二個で」
「……ってか、あれ? 人質もアイス二個ってずるくねーか普通に」
「おれらは一個か……」
伊桜は食べ終わると、ん、と両手を差し出す。「はいバンド」
伊桜に促され、親分は頷いてまた結束バンドを巻く。
「おいしかった。ね?」
伊桜が微笑むと、親分も笑った。額の汗が光っていた。
「ま、金持ちもおんなじだわな。こんなに暑い場所で食ったら、うまいのは」
そうしてそのあと金銭の受け渡しが行われ、伊桜は救出。犯行グループは逃走した。だが、すぐに捕まった。近隣のコンビニの防犯カメラに顔がしっかりと映っていたことで、警備網が先回りで敷かれていたのだ。
憐れか? と犯人たちに聞かれたとき、伊桜はまったくそうは思わなかった。そんなに貧しく生まれたのなら、自分だってそうしたかもしれないからだ。ただ一つ、胸を張って言えることは、どんなに暑くても、コンビニでアイスを買うのは自分ならすべての犯行が終わった後にするだろう、ということだった。
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