お題箱『柴犬、郵便ポスト、天井』(登場:暁)

 矢取やとり家は江戸後期より平成現代に至るまで代々、一条家に仕えている。矢取暁やとりあきらは、一条家次期当主である勝己の付き人を生まれながらに担当していた。

 暁は今回勝己が主催する取引先向けのレセプションパーティの案内状を出すという仕事を任されていた。封筒と招待状のデザインまで今回の事業内容に合わせてデザイナーにオーダーして新規に作らせた。冬の絵柄の切手を貼って季節感を出し、万年筆で宛名を書く。幼い頃から暁は書道を習わされているから字は得意だ。文章の原案も暁が考えるが、個々人宛に盛り込みたい内容を勝己に考えてもらう。それを暁が効果的に反映させ、代筆する。そうして用意がすべて調ったら、勝己に最終確認をしてもらい、郵便局へ持っていく。最終確認は勝己がするとはいえ、そこでの指摘をアテにしたりはしない。勝己に手間を取らせたり責任を押し付けたりしたくないから。義務というより、暁の本能がそうさせていた。勝己が心から満足するような仕事をして尽くしたい。

 時々、勝己でない主人が相手でもそう思っただろうか? と暁は考えることがある。たしかに自分の主人がどんな人格の持ち主であっても、ある程度はアイデンティティのため、自己実現のために忠誠を尽くし、邁進しただろう。でも、ここまで尽くしただろうか?

 暁は勝己の、立場の垣根を飛び越えるほどに優しく親しみやすい人柄が好きだった。それは暁にはない感覚で、温かくて、まあ時折、もっと自身の立場を考えてほしいと思うことはあるけれど、でも威張りもしないし人を見下したりもしないで接してくれるから、こちらも勝己という個人を、大切にしたくなるのだ。

 けれど、こんな風に手紙たった一通に、人件費合わせて数万円をかけることを思うと、住む世界が違うことを忘れてはいけないと思う。これはつまり人と犬のようなもの。勝己と、勝己に飼われている犬……暁は日本人だから、黒柴だろうか? 人が愛犬をどんなに「友」だと言ったところで、犬は犬だ。犬の方もどんなに主人を恋しく思ったところで、やはり所詮は人と犬の関係でしかない。同じ立場で言葉を交わせないのだ。友人にはなれない。そんな風に、「立場」の天井が見えることがある。

 招待客の中の「岩岬令央」宛の手紙に差し掛かり、暁は手を止めた。

「岩岬家の、令央様……」

 勝己自身は「悪友」と称する友人。同じ立場の人間で、気心知れた仲。

 暁は思わず目を閉じて祈った。

 どうか、あの方を一人にさせないでください。

 もちろん暁は令央にそんなことを頼めるような立場でもないし、仮にもし頼めたとしても、誰かに頼まれたから一緒にいるという関係なら意味がない。二人が自然とそうなってほしいのだ。

 だから暁は心の中で祈った。そして封をして、郵便ポストへと向かうのだった。

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