グリムリーパー

 風が花びらをさらい、舞い上がらせ、薄桃色の幻想的な景色を生み出す。

 僕は診療所の個室の窓からその様を眺め見て、いつかあの木の下で薄桃色の世界に包まれるのを夢見ていた。

しかし、それは叶わない願いで、僕は生まれつき体が弱く、不治の病に犯されていたのだ。

 もう何年も学校に行ってない……勉強は両親が雇った家庭教師の人が教えてくれているが、正直な話、勉強しても学校に行けないのでは意味が無いと思っている。

 小学校の最初のころに出会った子供達は、今頃、高校生活を楽しんでいるに違いない。

 僕も高校に通ってみたかったな…。


 ガララ…


 個室の引き戸が引かれる音がし、先生が入って来た事に気付く。

「先生……僕に何か用ですか?」

「あぁ、大事な話をしに来たんだ」

 先生の言う大事な話が何なのか、なんとなく察しがつく。

自分の体の事は先生よりも理解してるつもりだ。

「僕の体がもう持たないんでしょ……?」

「そうだ……持っても3日といった所だろう……」

 3日……それくらいしか持たないのかと少しガッカリはしたが、別にこの世に未練は無かった。

やっと人生の殆どを過ごしたこの殺風景な個室ともやっとおさらばする事ができる。

「それで、死ぬ前に君の願いを叶えたいと思って……なにか未練があったりする物はあるかい?」

「……未練…」

 僕の人生は実に未練が多い人生だった。

今見ている桜の世界を木の下で見てみたいし、海にも遊園地にも行ってみたい。

友達や恋人も作ってみたかった。

「先生……急に言われても困りますよ」

 苦笑を浮かべて後ろを振り返る。

 今日初めて先生の顔を見た。

 ——……ん?先生の後ろになんかだか黒いもやが……

「そうだろうね……とりあえず今日1日考えてみてよ、彼女と一緒に」

「彼女?」

 先生が"彼女"と口にすると、黒いもやが増幅し、先生の隣に人の形を作った。

 もやがすーっと晴れると、そこには黒い髪を後ろで簪で束ね、真っ黒な着物のタイプの喪服を着た女性が慎ましやかに立っていた。

 そのあまりの美しさに思わず息を飲んでしまう。

「彼女はグリムリーパー…日本語で言うと死神で、死者のお願いを1度だけ叶えてくれる存在なんだよ」

「グリムリーパー……死神……」

「それじゃ、グリムリーパー。後は頼んだよ」

 先生は女性だけを残して去っていってしまった。

 静寂。僕と女性との間にそれが訪れる。

「…私は死ぬ時に悔いが残らないようにし、安全に連れていくのが役目。貴方のお話を伺ってもよろしいですか?」

 女性の小さな口から透き通った、耳障りの良い声が発せられる。

「いいよ……座って…」

 僕は窓辺から離れてベッドに腰掛けた。

 彼女も、僕の隣に腰をかける。

 そして、彼女に尋ねられるまま、今までの人生を話した。

 別に大して面白い訳でもないし、殆どこの診療所で起こった小さな出来事なのに、彼女は口を挟むことなく真面目に聞いてくれた。

 僕は彼女に今まで思っていた事や、好きな事、嫌いな事を話し、気が付けば、彼女を好きになっていた。

 そこで、自分が惚れやすい体質なのだと知った。


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 一通り彼女に話終わり、すっかり外が暗くなっている事に気がついた。

「あ、もうこんな時間…」

「そうですね……では、そろそろ夕餉が来る頃でしょうし、私はこれで」

「あ、まって……」

 彼女がベッドから立ち上がった時、僕は思わず呼び止めてしまった。

 すると優しく頭を撫でられ、奈落のような真っ黒な瞳が僕を見下ろす。

「大丈夫です。明日になれば、貴方の願いを叶えるためにまた訪れますから」

 そう言って彼女は柔らかく笑って黒いもやとなり消えた。


 それから少しして夕食が運ばれ、僕はそれを食べ、食後に歯を磨き、眠りへとついた。


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 頬を撫でる冷たい感触で目を覚ました。

「おはようございます」

 昨日たくさん聞いた耳障りの良い声がし、体を起こして、声のした方を見る。

 彼女はベッドの上に座っており、左手の親指で僕の右の目元を擦った。

「何か怖い夢でも見たのですか?」

「え?……分からない…忘れちゃった」

 見た夢を思い出そうとしたが、どんな夢を見たのかすら思い出せなかった。

 なぜ涙を流したのかも、分からなかった。

「…今晩の零時が貴方のタイムリミットですが、最後の願いは決まりましたか?」

「……寝る時に思いついたんだけど忘れちゃって……きっと直ぐに思い出すから、少し待ってて」

「……分かりました。」

 彼女はそう言うと、黒いもやになり消える。

 僕は朝食を終え、ふと、ベッドの傍にあるキャビネットの上の両親から貰った、色んなお土産が目に入った。

 ——そういえば、僕の両親は遊びに出かけるのが好きな人だったな……遊び…

「……死神さん」

「思い出しましたか?」

 僕が呼ぶと彼女は直ぐに姿を現した。

「僕、遊園地に行ってみたい…貴女と遊園地に」

「ご両親じゃなくて良いのですか?」

 彼女はキョトンとした顔で僕を見た。

 確かに、普通は人生最後の日は皆家族と過ごしたいと言うだろう……。

しかし、僕にはそこまでの思い入れが両親には無いのだ。

 忙しいからなのかは分からないが、僕の両親は年に2回しか様子を見に来ないのだ。

だから、そんな両親よりも、なんでも話せる彼女と行きたいと思った。

「父や母より貴女がいいんだ」

 そう答えると、彼女は1つ頷いて僕が寝ているベッドに腰掛ける。

「分かりました。2人で大きな遊園地へ行きましょうか」

 彼女はそう言って僕の目を、懐から出した黒い布で覆い、耳元で囁く。

「この布を取った時、貴方は私と共に遊園地へ来ています。満足するまで一緒に遊びましょうね」

 掠れた小声でそう囁くと、彼女は布を取り、僕は目の前の光景に開いた口が塞がらなかった。

 目の前に広がるのはずっと行きたかった遊園地と人込み。

隣を見ると、喪服ではない女性らしい恰好をした彼女が立っていた。

「これは…一体……」

 ハッとして自分の服装を見る。

 今まで着ていた入院着ではなく、年相応のおしゃれな服装になっており、伸ばし放題だった髪も清潔に短くなっている。

「この髪型と服装は…?」

「私が似合うと思うものにしました」

 似合う。その言葉を聞いた瞬間、カァッと頬と耳が熱を帯びるのを感じた。

「……今時の高校生ってこんな格好してるんだな」

「ええ、そうですよ」

 ふっと笑うと、彼女は僕の腕を引いて歩きだした。

「早く入園ゲートをくぐりましょう?」

「…うん!」

 僕たちは入園のゲートをくぐり、マップを片手にアトラクションや食事などを満喫した。

 意外だったのは、彼女が死神でありながら、怖いものが苦手だという事だった。


 楽しい時間は過ぎるのが早く、あっという間に夜になり、閉園の時間となった。

「楽しかった!こんなに楽しい気分になったのは初めてだ!」

「それは、よかったです」

 彼女は優しく微笑むと、懐から再び黒い布を取りだした。

「そういえば、それは何?」

 黒い布を指さして尋ねる。

「あぁ、これは思念体実体化させるため物です。だから、私達はここにいるのですよ」

「思念体…だからこんなに元気なんだ…僕」

「心が健康な証拠です」

 再び黒い布で目を塞がれる。

「ありがとう、死神さん……」

「いえ…これが私の役目ですから…」


 布が取り払われて視界が開ける。

見慣れた天井と彼女の覗き込む顔が目に入った。

「…ただいま」

「おかえりなさい、お気分はどうですか?」

「普通…かな?」

「よかった」

 彼女はほっと笑みをこぼすと、入り口へと顔を向けた。

 話し声と足音がこの個室に近づいているのがわかる。

「先生かな?」

「はい、それとご両親も一緒みたいですね…」

 両親という言葉を聞いて少し気分が落ち込む。


 ガララッ


 個室の引き戸が開き、複数人の足音が入ってくる。

 僕は体を起こそうと力を入れるが、うまく入らず、起き上がれなかった。

「君のご両親が最後の挨拶に来たよ」

 そういうと、先生はベッドの傍に椅子を2つ置いて、両親をそこに座らせた。

 父と母の顔を久しぶりに見たが、こんなにやつれていただろうか……。

「今日で貴方に会えるのが最後だと思うと、もっとお見舞いに来てあげるべきだったわ…ごめんなさ、こんなお父さんお母さんで…」

 母が涙声で僕に謝る。

「お前の病を治す方法も見つからず、大きな病院を説得できなかった事を許してくれ…」

 父が僕の手を強く握って涙を流す。

 なんだ…父も母も僕のために尽くしてくれていたのか…僕はなんて浅はかだったんだろう。

「…父さん、母さん。僕もこんな体でごめんね…でもいままで僕のためにありがとう、2人の子供でよかった」

 僕がそう言うと、2人は声をあげて泣いた。

「時間です」

 それまで黙っていた彼女が口を開く。

「…それじゃぁ、僕、行ってくるね」

 僕は両親の頭を優しくなでる。

 視界の隅で彼女が大きな鎌をふるうのが見えた。


 気が付くと、僕は彼女と共に大きな門の前に立っていた。

辺りは薄暗く、とがった岩があるだけだった。

「ここは?」

「地獄へと続く門です」

「地獄…!?僕は何も悪い事はしていないぞ!」

 なぜ地獄に自分が来ているのかもわからず、僕は後ずさる。

「天国に行く人も必ず一度は地獄に訪れるのですよ…そして審判を受けて天国へ行くのです」

 彼女は怯える僕に淡々と説明をし、手を差し出してきた。

「遊園地ではありませんが、また一緒に手をつないで歩きましょ?」

 その言葉に、僕はなぜか気持ちが少しだけ高ぶってしまい、手を強く握った。


 こうしてしばらくの間、彼女と地獄をデートすることになった。


 ―完―

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