ウィル 1-4 ファースト・インプレッション
およそ半年前のこと。
ウィルはロアンギ・グラッタという男に連れられて〈幽霊船〉にやってきた。
ロアンギは、元いた国では高級官僚のひとりだったが、政争に敗れ、処刑されかけたところをギリギリ逃れてこの船にたどり着いた。
「なんだと? 艦長は会わぬというのか」
「そうだ。あの方は決して、このような場所には現れん。よって、この私……レギル・フォルカーが貴様たちを臨検する」
憲兵隊長はサーベルを杖がわりにして一行の前に立ちはだかり、威圧するように深緑の目を左右に走らせた。
このとき、ウィルは他の使用人たちいっしょに固まっていたが、レギルの視線が自分の上を通り過ぎた瞬間、氷でできた手で首根っこをつかまれたように、全身に震えが走った。
なんという冷たい目。ゴキブリを見るときでさえ、もうすこし温かみのある眼差しを向けるのではないか。
「ふふん。たおやかな見かけに似合わぬ物言いよ」
怒りに顔を赤くしかけていたロアンギだったが、すぐに下卑た笑いを口許に浮かべた。
彼はまだ、美女と見まごう憲兵隊長の容姿に惑わされ、その眼差しの意味にも気づいていないようすだった。
このレギルという男は、ロアンギのかつての地位や立場などに一片の価値も見出していない。
それどころか、この場にいる全員、彼にとっては塵芥以下の存在でしかない。
(なんなんだ、この……住んでいる世界そのものがちがうとでもいうみたいな態度は……)
指一本動かせない戦慄に、ウィルは囚われていた。
ロアンギが、手にしたアタッシェケースをひらいて、中の札束をレギルに見せた。
「……なんだ? これは」
「全部で一億ギリーある。これでわしを、この艦で最高の住処に案内せい」
「ほう」
レギルの顔に、はじめて表情らしきものが浮かんだ。
おそらくは嘲笑。
あまりに滑稽なものを目の当たりにして、思わず漏れ出てしまったという感じだった。
レギルはアタッシェケースを受け取ると、ロアンギの顔を見て、からかうように小首を傾げた。
それから突然、腕を振りあげてケースを後方に放り投げた。
「な――ッ!?」
バラバラと音を立てて札束が降り注ぐ。ロアンギはパクパクと口を動かすばかりで声も出ない。
「こんなものは、この船ではただの紙クズでしかない。尻をふくか、焚き付けにするか。あとは……そうだな。
「お、おのれ! 無礼な!」
予想外の対応に憤怒の声をあげ、ロアンギは護衛の兵に命令を下そうとする。だが、音もなく忍びよっていた憲兵たちが、あっという間もなく彼らを取り囲んだ。たまたま列の外側にいたウィルの喉許にも、憲兵のサーベルが突きつけられた。
速い。憲兵隊の動きに、ウィルはもちろん一行の誰ひとりとして反応することができなかった。
「んな……ッ……な……ッ」
ロアンギは腕を振りあげたまま硬直し、ぷるぷる震えた。ここで彼や護衛兵がわずかでも逆らう素振りを見せれば、たちまち鋭利な切っ先に喉笛を切り裂かれていただろう。
「勘違いするな。べつに、貴様たちを受け容れないとはいっていない」
傲慢さをまとった猫なで声で、レギルは囁いた。
「この艦は、いかなる者も拒まない。そして、そやつらがなにをするも自由だ。もちろん、長生きするための暗黙のルールは存在するがな。そのひとつが、我ら正規クルーには逆らわぬということだ」
わかったな、というように、レギルはロアンギの肩を叩いた。
ロアンギの膝から力が抜け、へなへなとその場にへたり込んだ。
「規定により、ひとり頭二十パールを支給する。パールというのはここ独自の通貨で、だいたいひと月分の生活費にあたると思え。それをどう使うかは貴様らの自由だ。家が欲しければ空き家を探すか自分たちで建てろ。もちろん、誰かから奪うのもアリだ。その後どうなるかは保障せんがな」
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