リーゼル 2-2 害虫退治


 ありえない大きさだった。

 害虫駆除というから薬でも撒くのかと思っていたら、現れたのは木立から頭が飛び出すほどの巨大な生物だった。


 クワガミ――というらしい。


 その恐ろしげな大顎で堅い果実を食い荒らすだけでなく、毒液を撒いて自分の餌以外の植物を枯らしたりもする。

 黒光りする甲殻に鎌のような前肢を持ち、無数の節のある長大な胴体をうねらせ素早く動く。

 セレスタが「趣味と実益を兼ねている」と言った意味がよくわかった。

 街でよく見かける、ちょっと武装した程度の自警団員では束になってもかないそうもない。

 強敵と戦うことが三度の飯より好きなセレスタにとっては格好の遊び相手と言えるだろう。

「ハッハァ!」

 喜々とした表情で、セレスタは振りおろされる鎌をひらりひらりとかわしていく。

 様々な効能のある薬草を効率よく集めるため、薬草園にはべつの場所に通じる〈門〉がいくつも設置されている。見た目は人間大の暗黒の渦という感じで、クワガミはそこを通ってやってくるらしい。

「もぉ~ッ! なんで閉じておかないんですか!?」

 傍で見ているリーゼルも、戦いに巻き込まれないよう必死だった。

「でかけるたびに〈門〉をひらくのは魔力の無駄遣いなんだってよ。大丈夫、ほんとうにヤバい奴は潜れねー大きさだから」

「こんなのよりもっと危険なのがいるんですか!?」

 勘弁してくれ、というリーゼルの叫びは、轟音と土煙にかき消された。セレスタの爪が、クワガミの胴を真ん中あたりで断ち切ったのだ。

 頭を失った胴の後ろ半分は、切断面から体液を噴き出しながら狂ったように暴れている。残る半分も、虫らしい生命力を発揮してセレスタに噛みつこうとしたが、頭を踏まれて動きを封じられた。

「これで二匹……っと!」

 セレスタが足に力を込めたように見えた。

 次の瞬間、クワガミの頭部は熱した卵のように破裂した。体重をかけたのではなく、たぶん、リーゼルには視認できないほどの速さで蹴りを繰り出したのだろう。

「もう終わっちまったかぁ。今日のはちっと小物だったな」

 ぱたぱたと翼をうちわがわりにしながら、セレスタはつまらなそうに言った。

 セレスタの戦うところは何度か見ているが、いつも圧勝だった。

 もともと竜人族フォニーク人竜族ツイニークは戦闘に長けており、亜人種に限れば、こと身体能力にかけてかなう種族はない。

 中でもセレスタはとりわけ好戦的で、常に実戦で己を鍛えているわけだから、相当強いのではないだろうか。

 なんでそんなに戦うのが好きなのかと訊ねたところ、「男なら最強を目指すもんだろ」と頭の悪い答えが返ってきた。

「ほんと脳筋」

 リーゼルはこっそりと呟く。

 その耳に、ガサガサという異音が飛び込んできた。

 ふりかえったときには、すでに遅かった。

 背後の茂みから飛び出したクワガミが鋭い鎌を振りあげるまでの動きがはっきりと見えた。でも、足が動かない。プルプルと震えるばかりで、膝と足首を複数の腕でがっちりホールドされているかのように固まっている。

 やばい。これはやばい。

 竜の血の力で死にはしないにしても、痛いのはイヤだ。そもそも、脳天を真っぷたつにされたら復活なんてできるものなのだろうか?

「呆けてんじゃあねえぞッ! リーゼルッ!」

「ぐえっ」

 襟首をつかまれ、ものすごい力で後ろにひっぱられた。ごろごろと転がり、勢いあまっておでこをぶつける。

 もう、助けるにしてももうちょっと優しく、と抗議しかけたが、左腕で鎌を受け止め、だくだくと流血しているセレスタを見たとたん、文句はのどの奥に引っ込んでしまった。

「どうして……二匹だけじゃなかったんですか……?」

「ムハナは今朝の時点でっつってたからな……そのあと出てきたんだろ」

「そんな……」

 なんてマヌケ。その可能性に思い至らないなんて。

 鎌はセレスタの腕にかなり深く喰い込んでいる。

 ……うう……痛そう。あれはたぶん、骨まで達してる。

 動くとゴリゴリ音が聞こえてくるようだ。痛そう。

「……ンの野郎ッ!」

 セレスタは吼えた。

 痛みなど感じていないのか、それとも痛みを意識の外に飛ばすためにそうしたのか。

 力任せに、自分より何倍も重量のありそうなクワガミを押し返した――かと思った瞬間、身体を反転させ、背負い投げの要領で地面に叩きつける。

 とはいえ、クワガミは身体が長いため、投げ技はさほどの効果はない。セレスタの狙いは、マウントを取ることだった。もつれあうように身体を回転させ、気がつけば相手の首のあたりにまたがっていた。

「オラッ! オラッ! どーだ虫野郎! オラッ!」

 セレスタはクワガミの喉許に、何度も何度も貫手ぬきてで突いた。

 素手によるただの突きだが、竜人族フォニークの怪力と鋭い爪の合わせ技で、鉄製の槍にも勝る威力を発揮する。

 ことさら隙間を狙わなくとも、三、四発目には甲殻が割れ砕け、その下にある柔らかい肉がみるみるえぐられていく。

「うええ……」

 見るにたえられなくなり、リーゼルは視線をそらした。

 さわるだけでもイヤなのに、体液まみれになる接近戦で虫を駆除するなんて、どういう神経をしているのだろう。

 もし今後、リーゼルもやらないかともちかけられたとしても、絶対に断ろうと心に決めた。

「終わったぜ」

 ひと仕事やりきったという表情で、セレスタは額の汗をぬぐった。

 クワガミはまだうねうねと胴をくねらせたり、尻尾の先をびっちんびっちん地面に叩きつけていたが、中枢神経を破壊されているので、そのうち完全に動かなくなるだろう。

 死骸はあとで、毒液袋を除いたうえで細かく刻み、畑の肥料にするらしい。

「なんだ、疲れた顔しやがって。テメーはただ突っ立って見てただけだろーが――ん? おい、血ィ出てんじゃあねーか」

 そういえば、おでこがひりひり痛い。さっき転んだとき擦りむいたのだろう。

「大丈夫です。精神に負ったダメージにくらべたら、たいしたことはありません」

「まあ、どーせすぐ治るけど、いちおう傷は洗っとかねーとな」

 見せてみろ、近づいてきたセレスタから、リーゼルは後退って距離を取った。

「おい、なんで逃げるんだ?」

「そんな汁まみれの格好でさわらないでください。あと、臭いです」

「なんだとこのヤロウ」

 セレスタは声を荒げたが、思ったほど勢いはなかった。地味にショックだったりしたのだろうか。

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