リーゼル 2-1 霊薬工房
「あんまりきょろきょろすんじゃあねーぞ」
セレスタが、いつもの三割増しの大声で怒鳴った。
職人街にくるのははじめてだったが、とにかくにぎやかなところというのが第一印象だった。
雑然とした空気に混じって機械油の匂いが漂う中、あちこちから槌を打ったりノコギリをひいたり、なにかを削っているような音が響いてくる。必然、会話するときは声をはりあげなければならなくなる。
「たしかにここには面白れーモンがたくさんあるけどなぁ、見てまわるのは、ちゃんと用事を済ませたあとだぜ」
「どっちかっていうと、セレスタがなにかを見つけてすっとんでいっちゃうことのほうが多い気がするんですけど。こんなところで置き去りにされるなんて嫌ですからね」
そもそも、リーゼルはここを見物したいなんてひと言も言っていない。はしゃいでいるのはセレスタのほうだ。
居住区を一個の塊とすると、職人街はそのほぼ中心部分にある。
半ば閉鎖された空間である船内では、とりわけ物を作り出す技能を持つ者は貴重である。そこで、モールゲン・シュトラフという男が音頭を取り、各種の職人や技術者を一か所に集めて保護に乗り出したのが、およそ三百年前のこと。
以後、モールゲンの意思を継ぐ〈ギルド・ガラニア〉がこの一帯を仕切っている。
〈
ちなみに、ガラニアというのは初代モールゲンの奥さんの名前だそうだ。
「で、どこにあるんですか? そのお店」
「もうすこし先のかどを左だ」
今日はなんでこんなところに来ているかというと、お使いを頼まれたからだ。
〈
リーゼルやセレスタのグループのリーダーは、グラナートという
グラナートは毒々しい赤の鱗に似合わず、穏やかで紳士的な人物だった。しかし、彼もまた竜にありがちな「怒ると怖い」タイプであり、傍若無人なセレスタでさえ、彼を恐れているようすだった。
そんなグラナートから、朝食時に「ムガナ・ムハナの店」にいって、注文してあった品物を取ってくるよういいつかったのだ。
「セレスタが面倒を起こさぬよう、くれぐれもよろしく頼む」
感情の読めない銀色の瞳を、グラナートはリーゼルに向けた。なんでだよ、というセレスタの抗議も、彼は無言で受け流した。
その通りは〈薬屋横丁〉と呼ばれていた。
様々な材料から薬を調合する薬師、医者、治療師の類が多く店を構えていることからそう呼ばれるようになったらしい。目的の店は、そのもっとも奥の一角にあった。
〈
どうやら、ここが「ムガナ・ムハナ」の店らしい。
小ぢんまりとした石造りの建物の入口に、薄汚れた看板が掲げられている。
扉は開け放たれているが、中は暗くてよく見えない。
カウンターがあると思しき場所に、小さなロウソクの灯りがゆらゆらと揺れていた。「M・M」というのは、「ムガナ・ムハナ」の略にちがいない。
「いらっしゃい」
店内に足を踏み入れると、カウンターに座っていた人物が、読んでいた革表紙本を置いて顔をあげた。
若い女の声だった。ロウソクに照らされた口許からすると、少女と呼んでいいかもしれない。
ごてごてとよくわからない装飾が施されたつば広のとんがり帽子にローブ姿。ローブにも、帽子とおなじように護符やらまじない紐やらがたくさんくっついている。
「そこのアンタ!」
いきなり指を突きつけられて、リーゼルはビクッとなった。
「そう、アンタだよお嬢ちゃん! いまアンタ、ワシのこと魔女っぽいとか思ったジャロ?」
「ジャロ? あ、いえ……いえ、わたしはなにも――」
「ショージキにっ!」
「はいっ! すいません、思いました!」
ひょっとして、なにか失礼があったのだろうか。
「ピンポンピンポン! 大正解! ようわかったねェお嬢ちゃん」
そう言って、彼女は白い歯を見せた。
「合ってるんですか!? 謝って損しました!」
「なかなかハッキリいう子じゃネェ、セレスタ。アンタんトコの新人?」
「おう。リーゼルってんだ」
心なしか、セレスタは誇らしげに見えた。
「セレスタ坊やにも、よ~やくイバれる相手ができたわけカァ」
「誰が坊やだ」
「初めまして。よろしくお願いします」
挨拶しながら、リーゼルは自身の変化に驚いていた。
卵から出てきたばかりの頃にははじめて接する人や物にいちいちビクビクオドオドしていたのに、それらに慣れてくると、割と反射的に思ったことや言いたいことを口にするようになってきた。
そのせいで、よくセレスタからは生意気だと叱られたりもするが、案外これがリーゼルの「素」なのかもしれない。
「ワシはムガナ・ムハナ。この工房で
差し出された手はすこし骨ばっており、長く伸びた爪のあいだや指のしわに薬草の汁によるものと思われる染みがこびりついていた。
帽子を取ってあらわになった顔は、意外なほどかわいらしい。
くるくるとした巻き毛に猫のように大きな瞳。ぷくんとしたほっぺたは、思わずつんつんしてみたくなるほどだった。
「ドンタッチミー!」
「はぇっ!?」
いきなり大声で怒鳴られ、リーゼルは無意識にのばしかけていた指をひっこめた。
「いくらわしがかわゆらしゅうても、さわったらイカンぞえ、お嬢ちゃん」
「こ、心が読めるんですか?」
「さぁ~? どうジャロ~」
くふふ、ふ、とムハナはのどの奥で笑った。
頼んでた品は? とセレスタが訊ねると、ムハナは棚から木箱をひとつ手に取り、カウンターに置いた。
木箱には精緻な装飾が施されており、それ自体でひとつの美術品のようだった。ムハナの説明によると、これは彼女の家系に古くから伝わる術装紋で、中に収めた
蓋をあけると、赤や緑や紫や黄色の液体の入った小瓶が、大粒の宝石のように行儀よく並んでいた。
「はぇ~。きれいですねえ」
「この瓶と箱だけでも売り物になるんじゃよ」
ムハナは、むふん、と鼻を鳴らす。
「ハチミツとか入れてもよさそうですよね……って、なんだか美味しそうに見えてきちゃいました」
「飲むんじゃねーぞ」
「しませんって。セレスタさんじゃないんですから」
「てめ……この」
尻尾の先を踏まれた。痛いです。
「大長老様はお悪いんか?」
ムハナが訊ねる。
「そう聞いてる」
「向こうにその気があれば、直接診てもええんじゃが」
「どうだろな。当人は、これも寿命だとか言ってるらしいが」
「長すぎる生というのも考え物かもしれんなあ。生きるのに倦むようになってくる」
ため息をつくムハナを見て、リーゼルは首をかしげた。
「そういうアナタは何歳なんですか?」
「秘密ぢゃ。なぜって? こういう商売には神秘性というものが大事なんじゃよ」
はぐらかされたような気もするが、ムハナの表情からは冗談とも本気とも読み取ることはできなかった。
「ところでセレスタよ。例の話は考えてくれたかい?」
「例の話?」
「オレたちの血を薬として売ってくれってんだよ」
「竜の血には強力な治癒能力があるからのう。ぜひ、ウチで扱いたい」
「卑しい行為だなんだって、上の連中が許可するわけねーよンなモン。だいたい、竜の血の力は自分にしか効かねえ。自分以外は、同族にだって劇毒なんだぜ」
「薬なんてモノは用法用量を知らなければ大概がそういうモンじゃ。竜の血には未知の可能性があると、とワシは睨んどるんじゃがねえ」
ふひひ、とムハナは不気味な笑いを漏らす。
「まっ、その話はいずれまたグラナートあたりを通して伝えてやっからよ。それよか……こっちも相談があるんだ」
セレスタは、店の入口を気にするような素振りを見せつつ、ムハナの耳許に口をよせた。
「ああ、ええよ。やっとくれ」
ムハナは、よっこらと椅子から降りると、カウンター横の壁を杖で、コココン、コンと叩いた。
すると、叩いた部分がぐんにゃりとかたちを変え、扉が現れた。
ガチャリ――鍵の開く音がして、ひとりでに扉がひらく。
「どんぐらいいる?」
「今朝の時点で、二匹ってとこかのォ」
「りょーかい」
あっけにとられているリーゼルを、セレスタが手招いた。
扉を出るとそこは屋外で、両側に垣根を立てて作った通路につながっていた。セレスタは勝手知ったるようすで、ずんずん歩いてく。
「すごいですね! 魔法を使った隠し扉ですか?」
「まあ、そんなようなもんだ。この先にある薬草園で、たまに害虫が発生するんだ。ソイツを退治して、薬代替わりにしてもらう」
「ひょっとして、それで浮いたお金を……?」
「もちろん、オレの懐に入る」
グラナートには言うなよ、とセレスタは釘を刺した。誰も損してねーし、黙ってりゃ旨いモンでも食わしてやっからよ。
「いや、べつに言いつけたりしませんって。そんなにグラナートさんが怖いんですか?」
「はあ? ちげーよ、めんどくせーだけだよ。つか、実際やりあったらオレのほうがつえーから。たぶん」
はいはい、と答えると、額を尻尾ではたかれた。
「血を売るより、害虫駆除のほうが楽なんですか?」
「さっきも言ったろ。ジジイどもが許さねーんだよ」
それに――と、セレスタは凶暴そのものといった笑みを浮かべた。
「コイツはサァ。趣味と実益を兼ねてんのさ」
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