リーゼル 1-2 卵から産まれた少女


 リーゼルに残っているいちばん古い記憶は、ぬくぬくとした暗闇だ。

 その中でとろとろまどろんでいるところに、突然光が差した。

(うわ、まぶし!)

 思わず身を縮めたが、なにも起こらない。おそるおそるまぶたをひらいてみた。ゆっくりと、光に目を向ける。

 気づけば手をのばしていた。

 たぶん、求めたのだろう。光を。闇の向こうに広がる外の世界を。

 文字通り、

 亀裂に指をつっこみ、力いっぱい押し広げた。額をぶつけた。脚を突っ張り、頭をそこにねじ込んだ。

 外へ出た。ぷはぁっ、と息をつく。

 おお……という声があちこちからあがった。

 誰だろう? 知らない顔ばかりだった。幾つも。皆、口をぽかんとあけ、緊張したようすでこっちを見ていた。

 いや――見おろしてる? のかな? 彼女と、彼女を包む卵の殻は半ば埋まっていて、彼らは土に掘られた穴の上に立っていた。

「う、生まれた!?」

「女の子! 女の子だぞ!」

「ヌルヌルしとる! テカテカしとる!」

「いや、てか、生まれたてにしてはデカくね?」

 ざわついている。なんだか失礼なことを言われている気もした。

「あの……」

「おお! しゃべった!」

「すごいぞ! どうなってんだ!?」

 野次馬のひとりが降りてきて彼女の腕をつかみ、穴の上までひっぱりあげてくれた。誰かがタオルのようなものを肩にかける。そこでようやく、自分が裸であることに気づいた。

「ええっ、なんで!?」

「そりゃオメェ、生まれたばっかなんだから当然だろ」

 タオルで身体を隠そうとするが、いかんせん長さが足りない。しかたなく、その場にしゃがみ込んで大事なところだけでも見えないようにした。

「ええと……わたし、いったい……」

「名前は?」「どうしてこんなところに埋まってたんだい?」「卵から出てきたということは、きみはつまり、赤ちゃんてことでいいのかな?」

 こちらが質問る前に、次々質問が浴びせられる。訊きたいのはこっちのほうだ。

「わからないんです……なにも……」

 ここはどこで、自分はいったい何者なのか。いっさいの記憶がない。なにか思い出せないかと頭を巡らせても、ひっかかるものが何もない。

 靄で覆われただだっ広い空間を、手探りで歩いている感じだ。

「…………リーゼル」

 口をついて出たのが、その名だった。

「それがあんたの名前かい?」

「……えっと……たぶん……はい」

 自信はないが、他には考えられなかった。なんとなくではあったものの、自分の名はリーゼルだ、と意識すると、足許がおぼつかないような不安感が、ほんのすこし和らぐ気がした。

「きみは、竜人族フォニークなんじゃあないのかね?」

「ふぉ、にーく?」

「誰か、鏡を持っていないか?」

 その男が周囲を見回すと、若い女の人が、持っていた手鏡を差し出した。

「おお、ありがとう――ほら、見てごらん」

 のぞき込むと、ひとりの少女が中から見返してきた。

 これが……わたし? たぶん、リーゼルという名前の知らない女の子。ほんとうに? ほんとうにあなたが、リーゼルなの?

 ちょっと目尻の吊りあがった目。瞳は金色で、縦長の虹彩はすこしぶきみ。

 生意気そうな、つんとした鼻。

 短めの金髪が、生まれたてなのでしっとり濡れて、おでこや頬にはりついている。

 それから、頭の上にはふた又に分かれた角が二本、なんだか恥ずかしそうなようすで生えていた。

「あわっ、なにコレ」

 角に手をのばそうとして、ギョッとする。

 手の甲から二の腕にかけて、肌の色がおかしかった。

 最初、苔でもくっついているのかと思ったが、よく見るとそれは鱗だった。

 ワニやトカゲ――唐突に頭に浮かんだ。見たという記憶はないのに、そういう生き物がいることは知っている。

 いったいどういうことなのかわからないが、とにかくそれらとよく似たエメラルドグリーンの鱗が腕にのだ。

 鏡を見直すと、髪の毛に隠れて気がつかなかったが、額と両頬にもちょびっとずつ、おなじような鱗があった。下を向き、おそるおそるタオルをめくると……ひざとすねにも鱗が確認できた。

 それから、お尻。

 ここまできたら、あるんじゃあないかと思っていたら、やっぱりあった。

 尻尾。ひかえめに言って、ぶっとい。

 顔や手足とちがって全体が鱗に覆われてるし、さわるとカチカチだし、硬いトゲトゲまで生えててかわいくない。うええ……。

「わたし……爬虫類なんでしょうか? 卵産んだりとか……変温動物で、寒くなったら冬眠とかするんですか?」

「さあ、それはわからんなあ。竜人族フォニークというのは、ドラゴンの血をひくとされる人たちのことだよ。彼らよりもっとドラゴンに近い、人竜族ツイニークという種族も、には住んでいる」

って――いったい……どこ、なんですか?」

 周囲を見回す。

 野次馬たちの多くは目を丸くして。何人かは面白がるようにニヤニヤしながら彼女を――リーゼルを見ている。

「そこからわかんねえのか」

「やっぱり赤んぼみたいなモンなんだな」

「大丈夫か、この先」

 やめて、不安を煽るようなこと言わないで。

 そう叫びたかったが、舌がうまく動かなかった。ふたたび膨れあがった不安感がリーゼルの胸を押し潰しかける。


 ここはな――鏡を見せてくれた男が言った――船ン中だよ。

 船。

 船?

 はて。聞き違いだろうか。

 だって足の下にはこんな土が、というか地面があって、リーゼルは卵に入った状態でここに埋まっていて――

 それで、掘り出されたわけだよね?

 それに、すこし離れたところには家と思しき建物が並んで――というか、積み重なっている。船内だというなら、いったいどれだけの広さがあるというのか。

 頭の中を疑問符でいっぱいにしているリーゼルをよそに、周囲の人々は額を集めてなにやら相談を始めた。

「それで、先ほどの続きですけれど」

「なんの話だったかいの?」

が誰にあるかという話です」

 どう考えても土いじりには向かない、小ぎれいなスーツに身を包んだ男が、きびきびとした動きで他のメンツの顔を見まわした。

「そんなモン、オラが畑から出てきたんだから、オラのモンだべ」

「いや、待ってくれ。ここの土を採ってきたのは俺たちだぞ」

「どこの土だい?」

「ウィスキア緑洞だよ」

「あー、あの深層にでっかい樹の生えてる」

「そう。そうの辺りに、よく土の肥えた一帯があるんだよ」

「……ダンジョンで発見された物は……発見者の物」

「そうだ! だから、所有権は俺たちにある! 豊かな場所ってえのは生き物も多い分危険なんだ。見返りはデカくなってしかるべきだろォ?」

「でも、採ってきた土はもうモーガスさんに売っちまったんだよな?」

「ンだな」

「いーや。モーガスさんの依頼は、新しい畑に使う土を採ってこいって内容だった。つまり、土の中に混じっていた異物は含まれないってこった」

「それはおかスィ。いっしょくたになってるミネラルやら栄養やらナニやら全部ひっくるめて畑用の土だっぺ」

「だいたい、土を引き渡す前に余計なモノが混じってないか中身を確認しなかったのか?」

「い、いや……確認は、したハズなんだが……」

「だったら、いまさらって話だべなァ……ふひひ」

「おいおい、モーガス、鼻の下のびてンぞ」

「な――ッ! だ、誰がそったらコト……!」

「若い娘が手に入ったからってハッスルしすぎんなよ?」

「バカいうな! ワシは、あくまでこの娘っこの保護を――」


「お待ちください」

 スーツの男が、よく通る声で言った。

「貴方いま、若い娘とおっしゃいましたが、それはあくまで見た目の話。よくよく調べてみなくては、コレが本当に生き物であるのか、はたまたそれ以外のナニカであるのかさえ断定することはできません。となれば、それまで彼女の扱いは『物品』とされるべきです」

「ナニが言いてえだ、トブラックの」

「皆さまもご存知の通り、この〈幽霊船〉内の流通を把握することこそ我がトブラック・カンパニーの存在意義。故に、新たに発見されたこの『物品』は、我が社によって管理されるのが妥当であると考えます」

「なんだと! そんな勝手な!」

「ンだンだ! 横暴がすぎるっぺ!」

 スーツの男の発言に、畑の主と土を運んできた業者だけでなく、それぞれに肩入れしていた連中までが騒ぎはじめた。

 しかし、スーツの男が「もちろんそれ相応の金額を支払う用意がある」と続けたとたん、ぴたりと怒鳴るのをやめた。

「ほほう。ほうほう。……で、ソイツはお幾らほどになりますでしょうか?」

「ま――待って。まてまてまてまて、待ってってば――!」

 リーゼルは声をはりあげた。

 なんなのだこの茶番は。無関係の野次馬のひとりであれば気楽に眺めてもいられただろうが、話し合われているのが自分の処遇とあっては、とても黙ってはいられない。

「なんなんですか、さっきからァ!」

「うるさい! アンタは黙ってろ!」

「そうだそうだ。大事な話をしてるのがわかんねェのか!」

「い……いやだって……」

 リーゼルは涙目になった。マジか、この人たち。

 なんだか、誰に引き取られてもロクなことにならない気がする。そしておそらく、その予感は当たっている。

 もういっそ逃げ出すべきかとリーゼルが思案しだしたとき――


「てめーら、いいかげんにしときな」

 雷鳴が轟くような、力強い声が響いた。


 文字通り、その若者は天から舞い降りてきた。

 もっとも、ここでは視線を上に向けても、黒っぽい天井にさえぎられて空を見ることはできなかったが。

 皮膜のある大きな翼をバサリとひと打ちすると、砂や石ころが舞いあがり、その身体は地面すれすれで停止した。

 彼はほとんど音をたてず、優雅に着地した。

 にしし、と笑いながら周囲を睥睨すると、皆気を呑まれたように黙り込んだ。

 偉そうに場を仕切っていたスーツの男さえ、目を剥いてカチカチと歯を鳴らしていた。

 一瞬で、リーゼルは悟った。


 彼はだ。それも、圧倒的な。


「竜の子が見つかったと聞いて飛んできた」

「そ……それはまた、ずいぶんとお早い……」

「オレたちは色んなところに目と耳を持ってるからな」

 にしし、とくちびるの端を上げる横顔は、無邪気かつ残酷そうだった。まるで、いたずら好きの子供だ。

 若い。見た目だけなら、たぶん、この場にいる誰よりも。

 やたらと整った顔立ちに反して、荒々しい表情はまるで肉食獣のそれのよう。

 銀色の瞳はリーゼル同様、虹彩が縦に長い。

 無造作にのばした金髪は、あまり手入れしていないのか、毛先があちこちに跳ねていた。

 引き締まった手足には、ところどころにリーゼルとおなじような鱗があり、その色は晴天のように透明感のある青だった。

 二本の角はリーゼルのものよりも鋭く、いきり立つように天に向かって伸びている。

 丸太のような尻尾は、すこし浮かせた状態でゆっくりと左右に揺れていた。たぶん、バランスを取っているのだ。いつ、何が起こっても即座に対応できるように。

 そして――背にはリーゼルにないもの――蒼い翼が生えていた。

「さっきから聞いてりゃなんだ。こんなガキをつかまえて、まるで物みてーに好き勝手いいやがって」

 若者は不機嫌そうな声音で言った。意図的にそうすることで、周囲を威圧しているのかもしれなかった。

「いや、しかし……貴方もおわかりのはずだ。この船ではどんなことでも起こり得る。どんな不思議も不思議ではない――彼女が本当に見た目通りの存在なのかは調べてみないことには――」

 トブラックのスーツ男が、なけなしの勇気をふりしぼる。その彼を、若者はギロリと睨みつけた。

「コイツは人――オレとおんなじ竜人族フォニークだ。オレがそう言ったからにはそうなんだ。この――セレスタ・チュードがさァ!」

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