飛行機雲
浅縹ろゐか
ep1.飛行機雲
真っ直ぐに引かれた横線は、飛行機雲のようだった。
* * *
日直の仕事である学級日誌を書き終えて、ふと黒板を見ると誰がやったのか明らかな悪戯書きが残っていた。この教室には私と彼しかいないからだ。
「黒板、消しておいてよね」
「なあ、一寸見てろよ」
私の言う事は聞こえていなかったのか、彼は黒板に白く横線を走らせる。これが一体何を意味しているのか、私には分からなかった。暫く口を出さずに眺めていると、黒板の端から端を白いチョークが分断した。どうだ、やってやったぞという満足気な様子で、彼は振り向いた。
「飛行機雲みたいだろ?」
「え? 何が?」
「だから、コレ」
黒板を軽くノックして、彼はそう言う。どうやら、白いチョークの線を飛行機雲と見立てているらしい。濃い緑色を裂く様に走る、真っ白な線。確かに、言われてみればそんな風にも見えてくる。
「うん、まあ、そう見えなくもないかな……。如何したの?」
いつもの様に軽口を叩く彼の様子は見られなかった。急にまじめな顔付きになり、私を見つめてくる。その視線は、鋭くはないがこちらが緊張する位には強い視線であった。
「いやあ、うん。実はさ、引っ越すんだ」
「え……。いつ?」
「来週」
彼は少しぶっきらぼうに、そう答えて黒板の端と端を結んでいた白線を消し始めた。そして、口を開き言葉を続ける。
「親父の仕事の都合でさ。九州に行く事になったんだ。もう、こっちにはなかなか戻って来れないと思うんだ」
あまりに急な事で私は頭が上手く回転せず、言葉も出てこなかった。机に開いたままの学級日誌の上に、雫がぽたりと落ちて初めて自分が泣いているという事に気が付いた。如何やら、新学期からは九州の学校へと通う事になっているらしかった。
「あのさ、俺ずっと言えなかったけど、好きだったんだ。ずっと、前から」
こういう時に、そんな冗談は止してくれと私は思った。酷い冗談だ。丸きり笑えない。目元を拭って、漸く言葉が出てきた。
「なんで……今、なの」
「もう会えなくなるかもしれないと思うと、怖くて……。だから、今言いたかったんだ」
「ずるいよ。置いてかれる私は、如何したらいいのよ」
ハンカチで目元を覆って、私は自分の心の内を少しずつ吐き出していく。そんな事を言って、私を置いて去っていく彼はとてもずるいし酷いと思った。此処から九州へ行くには、飛行機で行く事になる。それで、彼は飛行機雲を描いていたのかと漸く思考が追い付いた。
「ごめん、ずるいよな」
「本当だよ。なんで、もっと早く教えてくれなかったの?」
「引越しの事? それとも……」
「両方ともよ!」
私も彼を好きだったし、一緒にお付き合いが出来たら素敵だなと思う事もあった。私達は互いに、自分の気持ちを見てみぬふりをして過ごしてきてしまったのだ。切っ掛けやタイミングが掴めなかったとも言える。黒板の白線を消し終えた彼は手持ち無沙汰な様子で、腕をぶらりと下ろした。
「私も好きだよ。ずっと前から」
「そっか、それなら良かった。向こうでも頑張れそうだ」
「何よそれ」
「遠距離でも、俺達なら大丈夫だろ?」
彼は当たり前の様に、私と付き合う事前提に話を進めている。まさか、本当に付き合う事になるとは思ってもいなかったのだ。遠距離なら無理だろうと、私は何処かで諦めの気持ちを持ってしまっていた。しかし、彼は違ったのだ。私達の数週間後、数年後まで考えていた。
「なんでこんな我が侭な人を、好きになっちゃったんだろう」
「なんでこんな泣き虫を、好きになったんだろう」
互いにそう呟いて顔を見合わせた。何故かなんて、理由はつけない方がいい。きっと私は彼を好きになると、決まっていた。そう考えた方が、しっくりくる。
* * *
彼が出発する日は、とてもよく晴れた日だった。青空には、チョークの様な飛行機雲が引かれていた。
飛行機雲 浅縹ろゐか @roika_works
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