機械人形の幻夢
南雲遊火
起
「何故、裏切った! シエル!」
怒声をあげるコウガを、ただ淡々と、シエルは冷めた目で見下す。
人間と妖魔……和議のための花嫁引き渡しに指定されたのは、深い森の中であり、そこに現れたのは、数日前から連絡の取れない、親友であった。
「裏切った……とな」
クスクスと笑うシエルだが、コウガを貫くその視線は相変わらず、まるで汚いものでも見るかのように、嫌悪感に満ちていた。
シエルとは長い付き合いだったが、いつも温厚な彼が、このような顔をしているところを、コウガは今まで見たことがない。
「貴様がシエルと呼ぶ、「この身体の主」からすれば、裏切ったのは「コレ」と、貴様の後ろで震えているその男であろうよ……」
シエルに生気を完全に吸い取られ、まるでミイラのようになって絶命した月晶族の族長……シエルの父親の死体を、シエルはなんのためらいもなくその場に打ち捨てた。
ビクッと、コウガの背後でシエルの弟……バーン=セレニタスが震える。
「バーン?」
「ち……父上が……妖魔王所望の義姉上を、率先して差し出せば、きっと、月晶族は安泰だって……だから……」
兄が、邪魔になった。
コウガには、バーンの言葉が、すぐには理解できなかった。
この世界において、身内殺しは大罪である。なのに、彼の父と弟が、彼を、殺した……。
そんなコウガに追い打ちをかけるよう、妖魔の王は親友の顔をして、優しく囁くようにコウガを追い詰める。
「我は、崖の下に捨てられたこの身体を見つけ、有難く利用させてもらうことにしたまで。花嫁殿と引き換えに、侵攻をやめる……との約束だが、「この男」の「最期の願い」、聞き届けてやるのも、悪くはない」
「最期の……願い?」
それは……なんだ? 動揺のあまり、コウガの声が震えた。
妖魔は死体に寄生する前、肉体の主の魂を喰らい、肉体の主の記憶を得るという。
その話が本当であるならば、シエルは……。
先ほどとは一転、戦意を喪失し、呆然と震えるコウガの様子に、妖魔王は呆れたような表情を浮かべる。
「聞いてどうする。貴様が、代わりにこの男の仇を討つとでも言うつもりか?」
ただでさえ数が減っているというのに、同士討ちとは、いやはや……。
「人間とは、あいも変わらず愚かなものだな」
ぞっとするような……それでいて優しい笑みを浮かべながら、妖魔王はうわ言のように「ごめんなさい」と繰り返すバーンの首に、手を伸ばした。
「……いっそ月晶族だけではなく、人間全て、滅ぼしてしまおうか」
「おやめください!」
突然、凛とした女の声が、広い森に響き渡る。錯乱するバーンと茫然自失のコウガ……二人では役に立たないと判断したのか、花嫁……ミレイ=ラジスティアが、輿から降りて三人に詰め寄った。
「……これはこれは花嫁殿」
「約束が違います!それに……あの人が、そんなことを望むわけがない!」
ふと、コウガは違和感を覚えた。ほんの一瞬だが、妖魔王の表情が、曇ったような気がする。
しかし、それは本当に一瞬で、先ほどと同じよう、妖魔王は微笑をたたえて口を開いた。
「我は、嘘偽りは申しておりませんよ。花嫁殿。この者が絶望の中で何を思ったか……我に、何を願ったか……」
ミレイに触れようと手を伸ばしたとたん、ミレイが妖魔王の顔に平手打ちをした。短く小気味の良い音が、森の中に響く。
「あの人を、貶める真似はやめなさい!汚らわしい!」
その時、コウガは確信した。
……彼は、妖魔王ではない。
確かに、シエルの父を殺したあの能力……妖魔の力は有しているのだろう。だが。
……彼は、シエルだ。
目の見えないミレイに、彼の表情の僅かな差異はわからないだろう。しかし、ミレイが妖魔王をなじり、夫であるシエルを庇うたび、彼の表情は曇り、そして複雑そうな感情が、顔に浮かぶ。
それは、単に肉体の持ち主の、「記憶」という名の「情報」を得ただけの妖魔では、あり得ない反応。
シエルの魂は、無事である……安心したのもつかの間、コウガは新たな絶望感に苛まれた。
シエルが妖魔王の魂を逆に喰らったのであるなら、シエルが妖魔王のフリをし、ミレイを迎えに来る必要はない。しかし、実際彼は妖魔の王としてこの場に現れ、父をその手で殺している。
「人間を滅ぼす」。その言葉は紛れもなく、妖魔となってしまった自分に対してと、父と弟に裏切られ、人間という種に対して絶望した彼の、本心に他ならないのではないだろうか。
何も知らず、ノコノコと加害者である族長とバーンの護衛を受けてしまった自分もまた、彼から見れば加害者と同じ……きっと、自分の言葉に、説得力はない。
なら……オレは……。
「なぁ、「シエル」」
コウガの言葉に、妖魔王とミレイ、両方が、「その名で呼ぶな」と言いたげに、不愉快そうに顔を歪めた。
「バーンについては、オレが……いや、オレたちが責任をもって、処罰を下す。だから……」
「命乞い……か」
鼻で笑うシエルに、コウガは深々と頭を下げる。
「頼む。「オレの親友」に、父殺しだけではなく、弟殺しの罪を、着せたくないんだ」
突然、シエルの周囲に、ビリビリとした空気が立ち込めた。彼の怒りに反応してか、精霊の蠢く気配が辺りに満ち溢れる。
「親友……とな。その貴様の親友は死んだ。……その事実を、しかとその身に刻め」
「おやめください!」
ミレイの制止を振り切り、シエルの拳がコウガの腹部にめりこんだ。一撃で皮膚や筋肉に相当する装甲が吹き飛び、バラバラと壊れたパーツが地面に落ちる。
「その男を庇うなら、『聖闘士』。貴様が代わりに死ぬか?」
なんて
「シエル……お前が、そう望むなら」
バキッ! シエルに触れた手が、シエルに付き従う闇の精霊に砕かれる。連鎖するように、腕、反対側の腕、両足と弾け飛び、コウガの緊急生命維持装置が作動。その際、なんらかの要因で視神経が遮断され、視界がブラックアウトした。
「コウガッ!」
ミレイの悲鳴ととともに、シエルの淡々とした声が、薄れる意識の中響く。
「興がそがれた。当初の目的通り花嫁殿をいただき、我は帰る……」
……ったく、やっばりシエルちゃんは優しいや。踵を返し、遠のく足音を耳にながら、コウガは思った。
コウガ唯一の生体パーツである「脳」。どんなに他が壊れても問題はないが、唯一修復不可能なその弱点を彼は知っているにも関わらず、コウガの脳を納める頭部を、彼は最初から狙ってはいなかった。
コウガの身体はすぐに修復され、月晶族族長の起こした一連の行為は、すぐに人間側の上層部に明るみになり、バーンを筆頭に月晶族の地位は地に落ちた。
妖魔の王は約束を守り、妖魔の侵略はピタリと止まる。
「シエル」と「ミレイ」の存在は、事実を知り、恐れた人間たちに抹消され、人々は仮初めの平和を得て、年月を重ねた。
あの事件の前年に生まれていた、シエルとミレイの息子……ワタルをコウガは引き取って育て、そして、二十五年……。
再び、妖魔が侵攻を開始する。
人間たちの、「約束の破棄」によって……。
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