第24話 荒療治

ボクは只々、目を丸くしていた。

異様な空気感の漂うこの空間でフェネックさんから渡された一枚の絵。

……その内容が、僕の予想の斜め上を行っていたからだ。





「私も驚いたよ。 まさかあの真面目なジェーンが? ……ってね」

「……」



本当にフェネックさんは驚いているのか……むしろその声は愉悦を滲ませているように感じる。

それとは相対的にマーゲイさんはじっと黙り込むだけ。

ボクは確認するように問う。


「こ、これって……マーゲイさん……」

「………」


何かが吹っ切れつつも自ら話すことにまだ抵抗があるのか、少々の苛立ちを感じている様子。

……それもそうだ、今まで誰にも言わずに隠し通してきた事を暴かれたのだ。 仕方が無いだろう。



「……かばんさん、その絵もうちょっとよく見てみなよ」

「え? ……は、はぁ……」


ふと、フェネックさんがそう言ってボクを促したため、言われるがまま再び手元の絵を見やる。



────するとどうだろう。

中心に描かれていた衝撃的な姿に気を取られていたが、よく見ると端の方にチラチラと何かが映り込んでいるのが確認できた。

これは…………手、足、……それに尻尾……?

明らかにジェーンさんのものではないのは、映り込む位置からして明らか。

そしてそれらが意味することは………。



「……まさか他にもいるって言うんですか……」

「────だってさ、マーゲイ」

「……あなた本当に趣味悪いわよ、あくまでも私に自身の口から言わせようとするのね」

「まあ、自分の事だからさ。 他人から言われるより踏ん切りつくんじゃないかなって思ってね」

「……」



いつもより格段に意地の悪いフェネックさんを一瞥するマーゲイ。

そして小さな溜め息の後、重い口を開いた。








「……私が関係を持ったのはジェーンさんだけじゃないわ。 それがそこに写ってる────────イワビーさんとフルルさんよ」





─────ボクはその瞬間、PPPの闇を悟った。

ならあの時の反応は……コウテイさんとプリンセスさんの、あの雰囲気は…………。

その全てが、ボクの頭の中で悪い方向に繋がってしまった。


「きっとかばんもフェネックと同じように、私の相手はコウテイさんかプリンセスさんか、それかそのどちらもって考えてたんでしょう?」

「………」


プリンセスさんやコウテイさんのあの表情、あの空気感、視線の向く先…………。

そしてジェーンさん達の本気で心配するような表情、必死さ。

その様子に僕は、そしてフェネックさんは完全に騙されていた。


あの時駆け寄ったのはマーゲイさんに対する心配の念からではなかったのだ。

──――カメラの中には何が入っているのか。

全てはそれを知って故の行動であり、………そして演技。


いち早くマーゲイさんの持つカメラの周りを取り囲み、そのしゃしんの存在を周りから遮断。

本当に何も知らないかのような演技を見せ、疑いを掛けさせること無くトラブルをやり過ごそうとしていた、……という訳だ。

姑息………言い換えれば平和的に、ボクらから逃げようとしていたとも言える。



「これが周囲に知られれば私たちは終わる……。 ファンも離れ、快くカメラをくれた博士達を裏切ることにもなりかねないわ……」

「でもタイミング悪かったね。 私の気持ちが危うい時にそんな場に出会っちゃったんだもん」

「………」


全く悪びれない様子のフェネックさんに顔を引き攣らせ、腕いっぱいに抱え込んだ紙の束を固く握りしめるマーゲイさん。

………しかし先程の話から、この態度が野生解放の副作用だということは分かっているのだろう。 溜息を何度も吐きながら気持ちを落ち着かせようとしている。




「あの…………、一つ良いですか?」



───────そんな中、ボクは一つ疑問があった。

それはとても素朴で、当たり前の疑問。



「────どうしてそういう関係になってしまったんですか?」


「あ、聞いちゃうんだ、それ」

「……」


どうしてここまで深い闇を抱えてしまったのか。

その経緯を聞かない限り、ボクは納得しかねてしまう。

きっと何かしらの事情があるのだろうが、今のままではただ一方的で理不尽な行為としか捉えることが出来ない。


「……言い訳みたいになるけど、いいかしら……」

「私たちの経緯も話すからさ。 私もこのままだと何だかしっくりこないからね」

「……っ」


一瞬、何かを堪えるように顔を歪ませたマーゲイさん。

その後、静かに話始めた……。


「あまり思い出したくないんだけど、仕方ないわ────」








────────────────────








PPPのマネージャーとして雇われてから、どれ位経っただろうか。


……あの日から私の生活は大きく変わった。

図書館でアイドルの事について調べ上げ、遠くの彼方で輝く彼女たちをただ見守るだけだった日常から一変、その彼女たちが今や手の届く位置にいる。

それだけではない。 彼女達をマネージメントするという唯一無二の存在となることが出来た。


それは全て、偶然木の上でかばん達と出会い、偶然練習見学に同席させてもらい、偶然プリンセスさんから指名を受けた為。

言わば偶然重なり続けた産物、ただただ運が良かっただけだ。







しかし。


運の尽き、というものは必ずやってくるものだ。


………私の場合、それが無慈悲にも────PPPのコンサート当日に訪れてしまった。






「っ……?」


朝、目が覚めた瞬間。

私は体の、そして思考の違和感を覚えた。


「………っ……ふぅ…………ふゥ…………」


荒い息、熱を帯びた体、そして謎の疼き。

フレンズの姿になってから初めての経験………。

働くことを放棄しかけた頭を無理にでも回して対処法を考えてみるも、過去に同じような経験がないためまったくもって思いつかない。



………しかし、そんなことを一々気にしている暇は無かった。

何故なら今日は、PPPのコンサート当日。 しかも今までやってきた中でも特別とも言える今回は、PPP結成後10回目記念という節目でもある。

多少体調を崩したくらいでのこのことサボるわけにはいかないのだ。


枕元の眼鏡を付けて上体を起こし、体の具合をチェックする。

……妙に鼓動が早い気がするが、問題ない。 PPPの皆さんと一緒にいるときよりずっとマシだ。


「……あ……、いそがないと…………」


壁の上方に取り付けられた一枚の四角い板。

その上で円を描くように回る針二本。

太陽が上り沈みするタイミングに毎日同じ場所を指すその針は、どうやらこのジャパリパークの時間を可視化する道具のようだ。

何という名前かは分からないが、コンサートの時間やプログラムをこの道具に沿って決めると大体計画通りに進行できることに気付き、随分前から重宝している。


今その短い針が指すのはコンサート開始の四目盛り前。

いつもなら五~六目盛り前には本格的な準備を始めるのだが、今日は幾らか寝過ごしてしまっていたようだ。

これは急ピッチで準備をしなければ間に合わないだろう。




………しかし。


「………あれ……」


慌てて立ち上がろうとする………が、何故か腕に力が上手く入らない。

なんとか立ち上がっても酷い目眩に襲われ、立っているのがやっと。


「……きのう………なにかへんなものでもたべたかしら……」


思い当たるフシは一欠片も見当たらないが、考えられるとしたら食事くらいだろうか。

きっとラッキービーストが誤って傷んだジャパリまんを持ってきたのだ。

……きっと、そのはず。



全神経を立つことに集中させ、体を安定させようとする。

しかしいくら経っても体の異変が収まる気配はない。

……むしろ更に悪化し続けているようにも感じる。


耳に届くくらい大きな鼓動の音。

脈打つ全身は火傷をしてしまうかのように火照り、疼きも酷くなっていく。

そんな体の異変に襲われる中、私は一歩を踏み出す。


「………いかなきゃ…………」




──────そう呟いたその時だった。







「………マーゲイさん、起きてますか?」

「っ!?」



その声に、私の体が大きく反応した。


どくんと高鳴った心臓。

ドアの向こう側から、聞き馴染みのある声が聞こえた。

耳から入ったその優しい声は頭の中で反響、増幅され、動悸を更に激しいものへと変化させる。


「だ、だいじょうぶです……すこしねすごしてしまった………だけですから……」

「………マーゲイさん? 具合でも悪いんですか?」

「しんぱいしないでください………あとからいきます………ッは………はぁ…」


口から飛び出そうなほどに暴れ狂う心臓。

目眩はさらに激しくなり、荒々しい吐息は尋常じゃないほどの熱を帯びる。


「本当に大丈夫ですか? とりあえず入りますね───────


「────ダメっ!!」

「!?」



……私の中の何かが、それを拒絶した。

本来であればアイドルに起こしてもらうというのは、ファンにとって願ってもないシチュエーション。

普段の私であれば、その優しさを胸いっぱいに甘受し鼻から流血しているレベルだ。


……それを、何故か反射的に拒絶してしまった。


「す、すみません………っ! でもほんとうに…だいじょうぶですから…………」


はっと我に返り、謝罪。

今日が本番である彼女の、彼女たちの負担を増やすことはご法度。

それを理解している私の心が勝手に喉を震わせたのだろう。






────が。



現実は………彼女は…………、優しすぎた。


「何か私にできること、ありますか!?」


そんな慈悲の溢れる言葉とともに、私と彼女を隔てる一枚のドアは開け放たれ─────







──────その瞬間、謎の疼きが………限界に達した。



「大丈夫ですか! マーゲイさ─────きゃっ!?」


焦りの形相で飛び込んできた彼女………ジェーンさん。

不用意に近づいてきたその腕を強引に掴み、引っ張った。


「いっ……! …………マ、マーゲイさん…………?」

「っ…………フゥぅぅっ…………っはぁ…………」



………まずい、と理性が呟く。

体が何かを求めている。 何かをしようとしている。

それが私の本意ではない事、PPPにとって不利益な事だということは、微かに残っている私の意識とジェーンさんの不安そうな表情から見て明らかである。


しかし分かっていても、体は言うことを聞こうとしない。

ジェーンさんの腕を握りしめた手に力がこもる。


私は辛うじて残っている理性を手繰り寄せ、行き絶え絶えに告げた。


「………ジェーンさん…………はなれてっ………ください……!」


これが私に出来る、精一杯。

体を突き動かす何かに抗い、腕を掴む力を弱める。

ジェーンさんは確か、動物だった頃はペンギンの中でも大型の部類だったそうだ。

力を入れれば安々と振り解くことが出来るはず。


「きょうは………わたし、やくにたてそうにありません………ごめんなさい…………」

「………マーゲイさん………」


しかし、当のジェーンさんは一向に逃げる素振りを見せなかった。

ましてや心做しか、じりじりと詰め寄ってきている気がする。



「お、おい! 何やってんだよマーゲイ!」

「ジャパリまん、食べる?」


追加で部屋に飛び込んでくる影が二つ。

………イワビーさんとフルルさんだ。

外で待機していたのだろうが、様子がおかしい私の声を聞いて駆けつけたのだろう。

………しかし、実にタイミングが悪い。



「みなさん………おねがいします…………このへやからでてください………」


目を固く瞑り、限界に近いほど微かな声で懇願をする。

それでもジェーンさんはその場から動こうとしない。


「マ、マーゲイ! 体調が悪いならあんまり無理するなって!」

「きっとお腹へってるんだよ、だからほら」


明らかに異常すぎる言動に焦る二名。

………その言葉に便乗するかのような形で、私は僅かに残った最後の理性を振り絞る。


「おねがい………します………っはぁ……ハぁ…………おねがい………っ……」












「────嫌です」

「!?」


………何故。

何故ジェーンさんは、私を拒まない……?

何故自らが傷つくことを、厭わない……?

………分からない、わからない。



「………私、プリンセスさんにアイドルやらないかって誘われてから、色々勉強したんです。 アイドルの事……歌やダンスのコツ……、どうやったらアイドルとしてお客さんに楽しんでもらえるかな、って」

「………ジェーン?」

「その中で………自己管理の大切さを学んだんです。 ……私は本が読めないので博士さん経由でしたが、そもそも私達自身が万全の状態で挑まないと元も子もない、と………」


ジェーンさんの腕を掴む手に、もう片方の手が優しく触れる。


「自己管理の方法を勉強する中で、博士さんに言われました。 『私たちは元々動物の姿であり、フレンズとしての体を手に入れてからもその頃の特徴を引き継いでいる方は沢山いる』……と。 そう言われて、自分が動物だった頃のことも調べました。 ………その中で博士さんが一番気をつけるように言っていた事があります。     ──────"発情期"です」


不思議に思って目を開け、顔を見る。

くらくらと揺れる視界に映ったその顔は………まさに真剣そのものだった。

まっすぐに見つめる目には、何があっても動じないという強い決意が込められているようにも感じる。


「年?……に1回、もしくは数回訪れるそれは、オス……っていうのはよく分からないんですが、そのオスがいないフレンズにとって自らを苦しめる脅威になりかねない、とのことです。 その症状の大きさは個体差があるらしいんですけど…………、今のマーゲイさんの様子にピッタリ当てはまるんです」

「………あぁ………なるほどな………」

「えぇ……? 何の話してるの?」


視界の端で、何かを悟ったように表情を曇らせるイワビーさん。

その横で何も分かっていない様子を見せるフルルさんも、雰囲気につられて不安そうにしている。


「……マーゲイさんが私達のもとに来てくれてからというもの、私達の結束も強くなりましたし、コンサートに来てくれるお客さんの数も日に日に増えていますし……。

 今やマーゲイさんもPPPの一員、マーゲイさんがいるからこそのPPPなんです。 ですから、コンサートを控えているにも関わらず体調が悪いまま臨もうとするなんて言語道断です」


「ジェーン、お前………─────はぁ、仕方ねぇか……マーゲイのためだ、俺も付き合うぜ。 ………ちょうどいいタイミングで博士達がジャガー達を連れて加勢に来てくれたからな、準備は心配しなくてもいい、って言ってたぜ?」

「………マーゲイ、大丈夫? 私に出来ること、ある?」



………彼女達は……、どこまで優しいのだろうか。

自らを顧みず、私の事を一心に心配し、支えてくれている。







私は改めて感じた。

………ジェーンさんと………PPPの皆さんと一緒に過ごせるこの時間が、どれだけ幸せでどれだけ満たされているかを。


私は初めて感じた。

そして私という存在が……………PPPにどれほど大切に思われているかを………。



ジェーンさんは手を私の背中に回し、軽くハグをする。

鼓動が、温もりが、吐息がダイレクトに伝わり、全身の血液が煮え滾る中………………ジェーンさんが耳元で、囁いた。



「……………ですから、我慢しないでください。 コンサートがあるので軽く、ですけど─────












─────私の事、マーゲイさんの好きにして……いいですよ─────?」

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