第6話 患い

あれからどれくらい平和な夜を過ごしただろう。

あの夜の事をすっかり忘れてしまうくらい長い時が経った今日、私とアライさんはパーク中を駆け回っていた。


「フェネック!しょうぶというのをやってみたいのだ!」

「ライオンたちなら多分平原だねー」

「早速行くのだ!」

「はいよー」


アライさんは走る。


「うおぉーーーーーっ!!!」

「アラーイさーん、そっちは逆方向だよー」


自分に正直で、


「フェネックぅ!今度はかふぇに行くのだ!」

「いいけどさー、今度はアライさんがゴンドラ漕いでねー」

「まっかせるのだ!」


猪突猛進で、


「わっせ、わっせ…、わっせ……」

「おおー、アライさん速いねー」

「あ、足がもう……限界なのだ……」


純粋で。


「んぐっ…んぐっ………」

「アライさーん、急いじゃダメだってばー」

「……ぷはぁ!やっぱりカフェは美味しいのだ!おかわりなのだ!」

「これはお茶……」

「そぉんなに飲んだらお腹タプタプになっちゃうよぉ?」


でもどこか抜けていて。

そんなアライさんが私は大好きだ。

一緒にいるだけで楽しく、幸せな気持ちになれる。

あさっての方向に突っ走って失敗する事も沢山あるけど、それもまた面白い。

アライさんが楽しければ私も楽しい。

そして、これはこれからもずっとずっと続いていく……。


そう、思っていた。


でも、私は忘れていた。

アライさんも、元は一匹の動物だということを。


そして、私は気づいていなかった。

何かが、刻一刻とアライさんに迫っていたことを……。



―――――――――――――――



私は今、ゴンドラのペダルを漕いでいる。

そしてそのすぐ後ろには、少し苦しそうなアライさん。


私たちはさっきまで、こうざんの頂上にあるカフェにてお茶を飲んでいた。

かばんさんを追っている最中に一度立ち寄ったことはあったけど、アライさんはその時満足にお茶を飲めなかった事が気に入らなかったのか、カフェに行くと言って急に私の手を引っ張って逆方向に走り出したのだ。

……もちろん止めて方向修正を施す。


「フ、フェネック、もうちょっとゆっくり漕ぐのだ……」

「アライさんが調子に乗るからそうなるんだよー」

「揺れが……結構……ツラいのだ……うっぷ」

「アライさーん、もう少しの辛抱だから頑張ってよー」


上りのゴンドラで体力を消耗したアライさんは、美味しいお茶を飲むなりたちまち元気になったものの、運動後の喉の乾きとお茶の美味しさの相乗効果によって勢いが止まらなくなった。

その結果がこれだ。

あんなに散々アルパカやトキから指摘されたにも関わらず、胃袋の限界を超えて飲んだのだ。


「アライさーん、着いたよー」

「助かったのだ、フェネック……」

「大丈夫ー?無理しちゃダメだよー」

「これに乗ってる間に少しマシになったのだ、余裕なの……だ……」


マシになった、つまり水分が胃から降りていったという事だ。

じゃあその後、多すぎる水分はどこに行くのか……


「……アライさん、あそこに何だかちょうど良さそうな茂みがあるねー」

「な、何を言ってるのだフェネック……、でもありがとうなのだ……!」


やはりアライさんは我慢の限界だったようで、一目散に茂みの中に飛び込んだ。

基本的に他のフレンズには弱みを見せたがらないアライさんだけど、ちゃんと謝るしちゃんとお礼も言う。

そういう所がアライさんの良いところだ。

……一応耳を塞いでおこう……。


しばらくすると、アライさんが戻ってくる。


「よーし、次はジャングルでジャガーの乗り物に乗るのだ!」

「アライさん、なんだか張り切ってるねー」

「早く行くのだフェネック!」


……今日のアライさんはいつもより勢いが三倍増しだった。

何でだろう……。

まあ、楽しいからいいけどね。


「あらいさーん、そっちじゃないよー」






……私はまだ、この時点でのアライさんの異変にまだ気づいていない……。



―――――――――――――――



アライさん完全復活とはまさにこのこと。

ゴンドラの上でのグロッキー状態のアライさんは何だったのか、というくらいのテンションだ。


私たちは今、川の上に立っている。

別にカメレオンが好きな忍のようなことをしているわけではない。

ただ単純に、川に浮いていた。


「これは、なかなか面白い景色だねー」

「周りの木がどんどん流れていってるのだ!」

「ね?たのしーでしょ!わたしジャガーちゃんのこれ大好きなんだー!」

「かばんと橋を作ってから寂しくなると思ったけど、あんまり跳べないフレンズやカワウソが毎日乗ってくれるんだ」


かばんさんとサーバルが乗ったと言ってたジャガーの乗り物だ。

名前は無いらしいけど、こういう時は何と呼べばいいんだろう。


「かばんさんの橋もすごいが、ジャガーのこれもいい仕事してるのだ!」

「ジャガーちゃんのこれってやっぱりすごーい!」

「みんなでそんな寄って集って褒めたって何も出ないよ?」


いつの間にかこの乗り物の名前は"ジャガーのこれ"で統一されたらしい。

アライさんとカワウソは結構気が合うようだ。

川下りの間ずっとジャガーを褒めちぎり、いつの間にか下流に到着するくらいに。


「いやいやどうもありがとー」

「楽しかったのだ!ありがとうなのだ!」


下流の流れが緩やかなところで下してもらい、各々お礼を言う。

アライさんも大満足のようだ。


「またいっしょにあそぼうねー!」

「いつでも歓迎するよ」

「そうだねー、またアライさんと一緒に来るよー」

「……」


……あれ。

アライさんの声がいつも聞こえるタイミングで聞こえない。

横を見ると、アライさんの様子が少し変だ。

どうしたんだろう……。


「アライさーん、どうしたのさ―、お茶まだ残ってたのー?」

「……もう、…れが……なのだ……」

「……アライさん?」


アライさんが聞き取れないほど小さな声で何かつぶやいた。

そしてその直後、突然はっとした顔になり、瞬時にいつものアライさんに戻る。


「ご、ごめんなさいなのだ!ちょっとボーっとしてたのだ」

「……アライさーん、無理しないでねー?」

「大丈夫なのだ、ジャガー!カワウソ!来るのだ!絶対なのだ!」

「ばいばーい!」

「待ってるよー!」


そうして、私たちはまた来る約束をしてジャングルを後にした。


「どんどんいくのだ!次はゆきやまに行くのだ!」

「……」

「どうしたのだフェネック、早く行くのだ!」

「……はいよー」





……やっぱり何かおかしい。

さっきのあの雰囲気と、今日のアライさんの勢い。

私にはそれが何か無理している、そして何かを急いでいるように見えた。

いつの間にか、さっきまで晴れていた空に雲がかかっている。


……なんだか嫌な予感がする。



―――――――――――――――



「はぁ……、はぁ……、ゆきやまは…まだなのか……?」

「アライさーん、大丈夫ー?」

「問題ないのだ……、アライさんにお任せなのだ……、はぁ……はぁ……」


さっきまでの威勢はどこに行ったのだろう。

雪山に向かって歩くにつれ、アライさんの体調が徐々に悪くなっていく。

空もいつの間にか今すぐにでも雨が降りそうなほど薄暗い雲に覆われていた。

……この状態のアライさんを雨ざらしにするのはちょっと心配だ。


「雨も降りそうだし、さっき途中にあった岩陰でいったん休憩しようよー」

「……だめ…なのだ……」

「アライさーん、具合が悪いならなおさら―――――――」





「それじゃあもう間に合わないのだ!!!」





「?!」


アライさんが突然叫んだ。

突然の大声に私は驚きを隠しきれない。

それに、『間に合わない』とはいったいどういうことだろう……


「あ、アライさーん、突然どうしたのさ、大声何か出して」

「……アライさんは……もっとフェネックといろんなところに行きたいのだ……、もっとかばんさんのことも知りたいのだ……!でも……、アライさんはもう……ダメなのだ………」


アライさんはフラフラの身体を支え、今まで見たことない表情で話す。


「ダメって……、何言ってるのさアライさーん、いつの間に冗談の練習したのー?」

「だから……まだ体が動くうちに………色んなところに……行きたかった………のだ……」

「アライさん、ほんとに冗談ならもうちょっとまともに………」

「フェネ…ック……、ごめんなさい……なのだ………………」





そしてアライさんはその直後、糸がプツンと切れたかのように地面に崩れ落ちた。


「アライさん!?しっかり―――――――っ!」


熱い。

即座に駆け寄って触れたアライさんの身体は、信じられないほど熱を帯び、呼吸も荒く乱れていた。


「アライさん!しっかりして!」


ぽつり。

その時、倒れたアライさんの頬に細かな水滴が落ちた。

雨だ。

それはやがて、どんどんと勢いを増していく。


……とりあえずさっきの岩陰に向かおう。

他はそれからだ。

私は力の抜けたアライさんを強引に背負うと、来た道を引き返して岩陰へ走った。




―――――――――――――――




雨は、あの日を思い出させる。

お互いに忘れると約束した、あの日の出来事を。




―――――――――――――――




「んっ……、あれ、ここは……?」

「!……よかった、目を覚ましたんだね……」


いくらか時間が経ち、ようやくアライさんが目を覚ました。

ここは二人がギリギリ入れるくらいの岩陰で、頭上にせり出した岩が傘の役割を果たしている。

……雨はまだまだ止みそうにない。


「そうか……アライさん………まだ生きてたのか……」

「……物騒なこと言わないでよー」


アライさんの額には、雨で濡らした私のリボンを乗せている。

本来はもう少し四角い布でやるみたいだけど、今回は時間が無いしそもそもそんな布は持ってなかったのでしょうがない。


「アライさん、体調はどう?」

「……さっきよりだいぶマシなのだ」

「そう、よかった……」


アライさんはむくりと起き上がり、額に乗せていたリボンが膝に落ちる。

マシと言ってもまだ熱は高く、呼吸も荒い。

……幸か不幸か私にはこの症状に見覚えがある。


「フェネック……、アライさんはもう…ダメかもしれないのだ」


その時、アライさんが弱々しい声で呟いた


「いつからかは分からないが……、アライさんは重い病気かもしれないのだ」

「……何言ってるのさアライさん、さっきまであんなに元気だったじゃないか」

「あれはただの痩せ我慢なのだ」


それは、私が聞いた初めてのアライさんの弱音だった。

そして、アライさんの表情はこれまでに無いほど暗かった。


「今日、目が覚めた時から、身体がいつもよりずっと重かったのだ」

「…」

「それに、何だか胸もドクドクなってるし、お腹の下の辺りもずっと苦しいのだ」


あぁ……、やっぱりそうなのか。

私の予想が、真実に近づいていく。


「アライさんはもうそろそろ、いなくなっちゃうかもしれないのだ……」

「大丈夫だよアライさん、きっと大したことないさ」

「……フェネック、一つお願いがあるのだ」


そう言うと、アライさんは堪えていたのだろう大粒の涙を流しながら、精一杯の笑顔を浮かべて言った。


「…………最期まで、ずっと一緒にいて欲しいのだ……」

「アライさん……」


アライさんが急に倒れた事で失なわれていた冷静さが、少しづつ戻ってくる。

信じたくはないけど、この症状は間違いなくそうだ。





アライさんに"時期"が来た。





正確には"発情期"と言うらしい。

動物由来の衝動と、その解放を急かす苦しみ。

フレンズになったことで理性を得た私たちは衝動をある程度抑えられるようになったものの、苦しみはどう足掻いても消えることは無い………と、何故か博士ではなく助手から色々教えて貰ったのが印象的でよく覚えている。


その助手が言うには、解決方法は大きく2つあるという。

一つは、耐える事。

苦しみを全て自分の中で抑え込み、収まるまで待つ。

そしてもう一つは、発散する事。

感情を受け入れ、性的刺激で満足する事。


……アライさんは、自分の状況を全く理解ができていない。

そしてそれに関する知識も全くと言っていいほど持っていない。

さらに、アライさんは元々の動物が持つ衝動がほぼ無いに等しいほど欠落しているようだった。

その結果、経験も理由も無い謎の苦しみに苛まれ、自分が消えてしまうと勘違いをしてしまうほどの大きすぎる不安を背負っていた。



……何が正しいのだろう。

どうするのが正解なのだろう。



私はアライさんの事が好きだ。

それは純粋にアライさんと一緒にいるだけで幸せだという事。

性的な関係を持ちたいとは微塵も思っていない、寧ろ許されない事だと思っている。


でも、このまま苦しみ続けるアライさんを放置出来るのか。

自分がこのまま居なくなるのではないかという恐怖に怯えているアライさんを、そのまま放っておけるのか。

……それは出来ない。

苦しそうなアライさんを見ているだけで胸が痛いのに、こんな状態がいつまで続くかわからないとなると私の心が壊れてしまいそうだ。



アライさんを性的に見ることは私の気持ちに反する。

でも、このままいつ鎮まるかも分からず苦しみ続けるアライさんを放っておけない。



……葛藤。

私の中の相反する二つの気持ちが衝突する。



私はどうすればいいんだろう。

どうすれば……








……





「アライさん……」


異常なまでに火照ったアライさんを、私は抱きしめる。


「ふ、フェネック……?」


行為を拒絶する心を抑え込み、決意を固める。


「私、アライさんを助けたい」


そう、これは一種の治療だ。


「フェネックやめるのだ…、うつったら大変なのだ……」


静かに息を吐く。


「ごめんね、アライさん……」


何もやましい意味は無い。


「少しだけ、我慢してね」


全てはアライさんを苦しみから解放するため。


「何をするのだフェネ―――――――んむぅっ!?」






私は静かに唇を重ねた。

熱、そして鼓動が唇を通して伝わってくる。

アライさんは拒絶しない……いや、できないのだ。

心は何も知らなくても、身体はそれを求めているから。


私が顔をゆっくり離すと、アライさんは全身を弛緩させ蕩けた目を向けてくる。


「……フェネック……、いま……なにをしたのだ………?」


準備は整った。

最後に、全てを押し殺した冷たい声でこう告げる。







「じゃあ―――――――始めるね」


そして私はアライさんに、手をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る