第3話 歪み

……理解が追いつかない。

……頭が回らない。


ボクはいったい何をしているのだろう。

ごちゃまぜの頭に今の状況が流れ込んでくる。


なぜボクは泣いているのだろう。

なぜこんなにも胸が苦しいのだろう。

なぜ。

何故。




……何故ボクはフェネックさんと……唇を重ねているのだろう。




「…………………………っ―――!」


気付いたらボクは、フェネックさんを突き飛ばしていた。


「っ……いてて………」


かなり強く力を込めてしまったのか、フェネックさんはバランスを崩して転倒し、腰を痛そうに押さえている。


「あっ………ご、ごめんなさい!」

「……だいじょうぶ、大した事ないよー」


つい反射的に謝ってしまったが、今のボクの頭の中はそれどころではなかった。

突然の事に戸惑いを隠しきれないボクは、少し寂しそうな表情のフェネックさんに問い詰める。


「……どういうつもりですか、フェネックさん」

「…」

「どうして突然、あんなことをしたんですか」

「……」

「どうし―――


「こうするしかないって、思ったから……」


……割り込んできたその声は、今まで聞いたことがないくらい弱々しかった。


「こうするしか…、今の私たちの関係を壊さずに済む方法がないって、思ったから……」

「そんな……、そんなことないです!」

「なら、どうすればよかったのさ!」


突然フェネックさんが声を荒げた。


「私は結局頭の良さじゃかばんさんには敵わないし、いつも助けてもらってばっかりで……」

「そ、そんなこと―――」

「でも、私もかばんさんを助けたかったんだよ」

「…」

「ねえ、かばんさん、私知ってるよ」

「な、何を―――」


「最近頻度が増えてるよね、事」

「――――――っ!!」


頭が真っ白になった。

誰にも知られたくなかった行為をフェネックさんが知っているとは思いもしなかった。


「な、なんで……それを……」

「私たちって、最近よく一緒に行動してるでしょ?寝るときだってそう」

「…」

「その日、全然眠れなかったから気晴らしに散歩をしてたんだ。そしたらどこからか声が聞こえてきたんだよ」

「……」

「私もサーバルと同じで耳がいいからね、声のする方に行ってみたんだ。そしたら見ちゃった……


……寝てるサーバルの横で声を殺しながら弄ってるところをさ」


何も考えることができない。

全てを目撃されたという衝撃が、思考を完全に静止させた。


「かばんさん、その時小さな声でずっと言ってたね、『サーバルちゃん、ごめんなさい』って。その時に思ったんだ、かばんさんは私と同じだ、って」

「…同じ……?」

「私ね、もう耐えることに限界が来そうなんだ」

「…それってどういう……」

「そろそろあの"時期"が来るんじゃないかなって」


……少しずつ思考回路が戻ってきた。

"時期"というのは何だろう……

フェネックさんの言い方からするとあまり好ましくないように聞こえるけど……


「その時期になると…どうなるんですか……」

「……心の制御が効かなくなる」

「……それってつまり……」

「そう、アライさんを襲いたくてたまらなくなるって事」

「…」

「一度だけその時期が来たことがあるんだけど、その時はまだアライさんと出会って日も浅かったから何とか理性を保てたんだよね」

「……」

「でも今、その時期でもないのにアライさんが欲しくてたまらない、いくら慰めても収まらない、そんな時に心の制御が効かなくなったらと思うと、怖くてたまらないんだ」


フェネックさんの体が小刻みに震えている。

自分が自分でなくなってしまう事、その結果アライさんを穢してしまうという恐怖にフェネックさんの体が支配される。


「……でもそんな時にかばんさんの同じような苦しみを知って、同じ悩みを抱えた仲間がいると知って、わたし少しホッとしたんだ。自分だけじゃないんだって」

「……じゃあ、ボクから1つ、聞いてもいいですか」

「もちろん、今更隠すことなんて無いからね」

「……どうしてボクにキスをしたんですか?」


それは、ボクが今一番知りたかった事。

ボクはそれを静かに問う。


「……さっきかばんさんのサーバルに対する本心を聞いたとき、まずいって思ったんだ」

「…」

「私はヒトの事はよく知らないし、ヒトにもあの"時期"があるのかどうかも分からないけど、このままだとかばんさんもサーバルを襲ってしまう、壊してしまうかもしれない、って」

「っ……」


「ボクはそんなことしない。」

そう言いたかったけど、できなかった。

このやり取りの中で、絶対にサーバルちゃんに手を出さないという自信はとっくに姿を消していたから。


「何とかならないか必死に考えたんだ、私たちをこの運命から救う方法は無いかって」

「………」

「そして、一つの方法を思いついた」

「……それがさっきの行為ですか」

「合ってるけど少し違うよ。私が思いついたのは―――



―――私とかばんさん、お互いがお互いの感情のけ口になるっていうこと」



「感情の捌け口…?それってつまり……」

「私がアライさんとやりたいこと、かばんさんがサーバルとやりたいことを私たち2人の間で消化する……、簡単に言えばそういう行為をするってことだね」

「……!そんなことしたら―――!」

「分かってるよ、こんなに歪んだ感情でも"好き"ってことには変わりはないし、裏切ることになっちゃうからね」

「そんなこと…ボクには無理です……」

「……かばんさ―――――……?」


その時、突然フェネックさんがドアの方を振り返った。


「――……サーバルたちが帰ってきたみたいだね」

「――!」

「……かばんさん」


フェネックさんは壁に掛けてある丸い板を指さしながらボクに一言。


「あの二本の針が一番上でちょうど重なるくらいに、『しっとり』で待ってるよ」

「そ、それって……――」


そして、ボクが言葉を言い終える前にロッジの玄関扉が勢いよく開いた。






「ただいまなのだ!」

「まさかほんとに図書館にいるとは思わなかったよー」

「ゴメンゴメン、ちょっと行ってみたら興味を惹く資料があってね、夢中になって見てたらいつの間にか」

「取り敢えず事件解決ですね!このアミメキリンにかかればこの程度の事件ヨユーです!」

「ふはははは!アライさんにお任せなのだ!」


ロビーが一気にさわがしくなる。

ちょうどいいタイミングで、アリツカゲラさんもタオルを抱えて戻ってきた。

外は今も雨が降り続けてるため、その中を通ってきた四人は全身びしょ濡れだ。

フェネックさんとの話は今できたものじゃないので、とりあえずアリツカゲラさんからタオルを受け取ってサーバルちゃんのもとへ。




「私は本気だよ」

「えっ……――」




不意にフェネックさんの小さな声が耳に入った。

しかし振り返るとすでにフェネックさんはアライさんに駆け寄っていた。


「かばんちゃん、どうしたの?」


そうだ、今はサーバルちゃんがずぶ濡れなのをなんとかしないと……


「ううん、何でも………――――っ!」


ボクは思わず息をのんだ。

目の前に立つサーバルちゃんは今水浸しの状態。

故にその服は体のラインに沿ってぴったりと張り付いている。

……一瞬であれど、ボクは今サーバルちゃんの身体に夢中になってしまった。

……違う、ボクはこんなサーバルちゃんを求めてはいないはずだ。

ボクはいつも無邪気に笑い、楽しそうな表情で過ごすサーバルちゃんが好きなんだ。

違う、決してボクは……サーバルちゃんを………


「かばんちゃん、なんだか元気無い?おなか空いたのかな……」

「っ――――………ごめん、大丈夫だよ、サーバルちゃん」


……はっと我に返った。

何かがおかしい。

ボクの中で何かが急速に変わろうとしている。

そんな不安を抱きながら、ボクはサーバルちゃんの濡れた体を拭き続けた。






夜。

辺りはすっかり暗くなったものの、雨はまだ降り続けている。

そんな雨の中を走り回ったサーバルちゃんたちは、横になるなりすぐに寝息を立て始めた。


静かな空間にサーバルちゃんの寝息が響く。

呼吸をするたびに上下するサーバルちゃんの肩。

無防備に垂れるスカート。


……ボクは何をやっているのだろう。

サーバルちゃんの無防備なその身体が艶めかしく映る。

今ボクは、その身体に手を伸ばそうとしている。

ダメだ、絶対にダメだ。

そう心に言い聞かせようとするも、体が言うことを聞かない。

体が熱い…息が苦しい……

……そして、ついにその手がサーバルちゃんの胸に触れ――――――


「………うみゃぁ……、かばんちゃん……だいすき……………すぅ」


「っ!?」



……ボクは悟った。

これがフェネックさんの言っていたことだということを。

そしてその過ちを、犯しかけていたということを。




――サーバルちゃん、ごめんね……ボク……





ボクは静かに立ち上がる。

静かに扉を開け、ロッジの廊下をゆっくり歩く。

壁に立て掛けてある丸い板の針は、ちょうど真上で重なっていた。



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