1.新卒サラリーマンに癒しを~叱られる営業マン2~

「さゆりさん、大丈夫ですか……?」


 カウンター内に入り、困り顔のさゆりさんに小声で話しかける。普段はカウンター越しで話すことが多い分、距離が近いと緊張感も半端ない。


 前々から感じていたけれど、さゆりさんは細いのに胸がでかい。いわゆるボンキュッボン体型だ。豊かなそれはエプロンの上からでも主張していて、どうしても目が行ってしまう。見ないように、見ないように。さゆりさんに変態って思われたくないだろ、俺!


 何度も自分に言い聞かせ、雄の部分をひっこませようと奮闘する。なんとか落ち着かせて、目線をさゆりさんのつぶらな瞳まで合わせた。


「ええ、私は大丈夫ですけど、奥側のお客様が――」

「――わかりにくい説明しやがって。おまけにこんな狭苦しい店に連れてきやがって、お前は本当に営業か!?」


 お客さんの怒鳴り声によって、さゆりさんのか弱い声がかき消されてしまった。……許せん。


「大変申し訳ございません。ご、ご質問いただいた内容は持ち帰らせていただき……」

「客の質問にすぐ答えられてこその営業だろう! お前なんかに俺の貴重な時間はやらん!」


 おっさんのお客さんは勢いよく立ち上がると、そのまま店を出て行ってしまった。乱暴にドアを閉められると、身体に響くくらいの大きな音が生まれた。あのお客さんの態度や店への文句にはむかついたけど、「きゃっ」と声を漏らし、肩を震わせて驚くさゆりさんが見られて少しだけ得した気分だ。


「ご、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


 取り残されたサラリーマンのお客さんは、席から立ち上がって深々と頭を下げた。


「頭を上げてください。幸い他にお客様はいませんでしたし、店が狭いのは本当のことですから」

「そ、そんなことはありません……。他に誰もいなかったのは、偶然ですよね? こちらはこのあたりでも評判の人気店だと、商店街の方々に聞きましたから」

「商店街の方々はうちの常連さんなので、それで薦められたのかもしれません。こちらこそ、ご期待に添えなくて申し訳ありませんでした」

「いえ、そんな。アイスコーヒーはとてもおいしかったですし、僕はどこかレトロで落ち着いた雰囲気のある、素敵なお店だと思いますよ」

「わあ、ありがとうございます。……そうだ、お時間よろしければ、コーヒー淹れ直しますよ。こちらにお座りください」


 さゆりさんは、手でカウンター席を指し示した。お客さんは突然の展開に困っている様子。


「えっ、でも……」

「気にしないでください。うちの店長はサービスするのが好きなんです」

「は、はあ……」


 お客さんは戸惑いつつもカウンター席に移動した。暑いのか、額には汗がびっしょりだ。


「お客様、よろしければ上着をお預かりしましょうか?」

「ああ、何から何まですみません。お願いします」

「いいえ。……冬馬くん、お客様の上着をお預かりして、壁にあるハンガーにかけてもらえます?」

「わかりました」


 俺は言われた通りに、テーブル席近くの壁にあるハンガーにお客さんの上着をかけた。「世間ではクールビズが推進されていますが、やはり営業はスーツってイメージがあるので、真夏の昼間でも着ないといけないんですよ」


「大変ですねえ。って、そうだ、今お昼ですよね? 昼食はもうお済みですか?」

「いえ、まだです」

「それじゃあ、コーヒーの前にまずは腹ごしらえですね」

「……えっ?」


 ぽかんとするお客さんをよそに、さゆりさんは一人で話を進めていく。

 なぜかるんるんと楽しそうだ。


「何がいいですかね? メニューにあるものでも、ないものでも大丈夫ですよ? 材料によっては作れないものもありますけど」

「あの、ええと、さすがにご飯までご馳走になるのは、気が引けるというか……」


 たしかにそうだ。俺も、頼んでもいないショートケーキを出されたときは戸惑ったしな。親切にされて嬉しいのは事実だけれど、初対面の人にいきなり優しくされると、素直に受け取れないかもしれない。


「気になさらないでください。次お越しいただいたときに、たくさん注文していただければいいんですから」

「……はは! そうですか。では、今回はお言葉に甘えさせていただきます」


 このとき、俺は初めてこの人の笑顔を見た。思えばおっさんと一緒にやってきたときからずっと、顔が強張っていた。よほど緊張していたのだろうか。


 そんな彼をリラックスさせて、笑顔まで引き出せてしまうなんて、さゆりさんはやっぱりすごい。天使でも女神でもなくて、その正体は魔法使いだったりして。


「では改めて……。何か食べたいものはございますか?」

「そうだなぁ。……和食がいいですかね、ご飯とみそ汁。あと、そうだ。煮物、たとえば肉じゃがなんかが食べたいですね」

「わあ、よかった。そのメニューでしたらすぐに準備できそうですよ。少々お待ちくださいね」


 さゆりさんは冷蔵庫にあった肉じゃがを温め直している間に、ご飯とみそ汁、サラダや漬物を用意する。十分もかからないうちに肉じゃが定食が完成した。

 味噌の匂いと、煮物特有の甘い匂いによだれが出そう。俺も昼食の途中だったことを思い出した。

……そういえば、さゆりさんはまだ何も食べていない。

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