第31話『2人の過去』
「
10分ほど泣き続けた後、瀬戸さんから出た最初の言葉がそれだった。
「樋口真澄……伊織からは聞いていない名前だね」
「俺も初めて聞くぞ。この2日間で、神岡から過去のことは特に訊いていないし」
昨日も今日も、きっと伊織は元気がなかったのだろう。そんな状態で自分の受けたいじめのことは訊かないよな、普通。
「じゃあ、彼女のことも話すね。真澄は……伊織の元カノで、伊織へのいじめの中心人物になった女の子なの」
「……そっか。伊織は樋口さんのことが好きだったけれど、樋口さんは伊織を全く好きじゃなかった。伊織のいじめが明らかになるまで、樋口さんはそういう素振りを見せていたのかな」
「ううん、そういったことは全然なかったよ。あたし達は中学を入学したときに同じクラスになったことで知り合いになって、1年生のときはクラスメイトの友人って感じだったかな。樋口さん、伊織やあたしとも仲良くしてくれたよ」
中学1年生の段階では樋口さんは伊織と友人の関係を持っていた。それは瀬戸さんとも同じだった。
「いつから、樋口さんは神岡に嫌悪感を持つようになったんだ? 瀬戸や沖田の話を聞くと、女性同士の恋愛感情が原因かなって思っているけれど」
「いじめを行なう上ではレズビアンを主な口実にしていたけれど、いじめのきっかけは、樋口さんが想いを寄せていた
「なるほどね……」
つまり、伊織への嫉妬が原因だったのか。
伊織に好意を抱いていた男性がいたんだな。過去のことなのに、伊織と距離を置いている状態だからか胸が締め付けられる。
「その花園っていう男子生徒は伊織に告白したの?」
「そういう話は聞いていないよ」
「……そっか」
不覚にも安心してしまった。
「ただ、樋口さんも花園君に告白はしなかった。2人とも相手への好意を心に留めていた状態だったの」
「なるほどな……」
緒方、感慨深そうに相槌を打っている。彼はまさに今、相手への好意を告げずにいる状態だからか。
「伊織は特に花園君を異性として気になったことはなかったみたい。むしろ、その時期は樋口さんに恋愛感情を抱き始めていたから。でも、樋口さんは……花園君が伊織に告白して付き合う可能性を恐れたのか、自分が伊織と付き合って花園君に諦めるように仕向けたの。伊織はレズビアンであると印象付けるために」
「伊織の恋人という席に自分が座って、伊織がレズビアンだと知れば……花園君が伊織を諦めてくれると考えたんだろうね」
「そういうこと。そして、花園君が伊織を諦めたと分かったとき、伊織へのいじめが始まったの。多分、花園君に伊織についてネガティブな印象を植え付けるためかな」
念には念をということだろう。樋口さんと別れた後に、花園君が伊織に告白する可能性も否めないから。
「伊織、親しい人には積極的にスキンシップする性格だから、キスぐらいまではしていたと思う」
「キスのことは伊織も言ってた。その……僕とキスをするとき、前にも経験があるって言っていたから」
親しい人には積極的にスキンシップをしてくるというのは納得かも。伊織、付き合った初日に自分からキスをしようって言ってきたし。
「……なるほどね。伊織曰く……え、えっちをしようとしたときに樋口さんの態度が豹変したみたい。そこまではできないって。伊織に性的な行為を迫られたっていうのを口実に、複数人の女子で伊織をいじめたの。もちろん、そのときに樋口さんとの恋人関係は解消。伊織は何もできず、樋口さん達のいじめが原因で不登校になった。そして、不登校になっている間に樋口さんは花園君に告白して……今も付き合っているわ」
つまり、樋口さんの思うとおりになったということか。というか、結局、樋口さんから告白して花園君と付き合っているんだし、それを考えると伊織が可哀想すぎるぞ。
「今の話を聞くと、神岡があまりにも可哀想すぎないか。結局、自分で花園っていう男子生徒に告白しているし。ただ、樋口さんにとって神岡が強大な敵だと思ったんだろうな。だから、神岡をいじめることにしたと」
さすがに、緒方も同じことを考えていたか。彼の言葉に瀬戸さんも頷く。
「あたしもそう思ってる。ちなみに、樋口さんは伊織に行為を迫られたときに、自分はレズビアンじゃないと気付いたって言ったそうよ。本気の恋愛は男子じゃないとできないって分かったとか。まあ、伊織に恋愛感情は全く抱いていなかったみたいだから、それは本当なんだろうけどね」
「……自分勝手な樋口さんの考えに巻き込まれたんだね、伊織は。そのせいで、伊織は不登校になるほど、心に傷を負ってしまった」
「そういうこと。友達から聞いてそれらのことを知ったあたしは、伊織を何としても守るって決めたの。あたし達が卒業した中学は、地元の公立高校に進学する生徒が多いから、遠い高校にすれば自分以外は誰も進学しないって伊織は考えたみたい」
「そこから、神岡や瀬戸は白花高校に受験しようって考えたんだな」
「そう。寮はあるけれど、白花高校と同じくらいのレベルの高校はもっと近くにあったからね。伊織から白花高校を受験するって聞いて、あたしも一緒に受験しようって決めたんだ。狙い通り、うちの中学から受験したのはあたし達しかいなかった」
伊織も瀬戸さんも合格して、一緒に進学することができたと。瀬戸さんは高校生になっても伊織のことを守ることができると思ったわけだ。
「瀬戸。神岡が受けたいじめのことを花園は知っているのか?」
「多分、知らないと思う。あたしが言おうとしたこともあったけど、伊織はあたしに迷惑を掛けたくないって言って。それよりも、2人で一緒に白花高校に進学したいって言って受験勉強を頑張ることに決めたから」
「そっか。当時は辛かったと思うが、気持ちを切り替えて瀬戸と一緒に受験勉強を頑張ることができたのは凄いな」
きっと、当時の伊織は瀬戸さんに救われたんだろうな。
今の話を聞いていたら、何としても伊織を守ると瀬戸さんが決意したのも納得できる。本人は気付いていなかったんだろうけれど、伊織と一緒に過ごしていく中で彼女への好意が育まれたんだ。
樋口さんは自分のいじめがバレるかもしれないとビクビクしているのかな。それとも、伊織がバラすわけがないと安心しているのか。もしかしたら、伊織のことをもう忘れているかもしれない。
伊織の受けたいじめのことについてはこれで一通り聞けたかな。樋口さんの身勝手さがよく分かり、気分が悪くなったけれど。
「瀬戸さん、ありがとう。伊織が過去にどんな経験をして、そんな伊織のことを瀬戸さんが献身的に支えてきたことが分かった気がする」
「……あたしも、2人に伊織のことを話して分かったよ。沖田君は樋口さんのような悪女じゃない。伊織の言う通り、あたしは……樋口さんと同じなんだよ。自分の恋を実らせたいために、沖田君のカミングアウトの内容を漏らした。本当に……ごめんなさい」
そう言って、瀬戸さんは涙を流しながら僕に向かって深く頭を下げた。
「……樋口さんっていう女とは違うと思うぞ、瀬戸」
「緒方君……」
顔を上げた瀬戸さんのことを緒方は真剣な表情で見つめている。
「確かに、沖田にしたことは酷いことだと思う。でも、彼女とは違って、瀬戸は自分のやったことが間違っていたことが分かって、沖田に謝った。それはとても立派なことだと俺は思う」
「……そうだといいな」
「いや、絶対にそうさ。僕も緒方と同じ考えだよ」
過ちを犯したという意味では同じだけれど、そのことをどのように捉えて、どういう態度を取るのか。その点で樋口さんとは雲泥の差がある。伊織にもそれを分かるときがきっとやってくるだろう。
「さてと、そろそろ……僕は帰らせてもらうよ。会って話したい人がいるからね。僕1人で大丈夫だから、緒方はもう少し瀬戸の側にいてあげてほしい」
「……沖田が1人で帰れるなら、俺はそうするつもりだったよ」
へえ、言ってくれるじゃないか。瀬戸さんも緒方となら一緒にいても大丈夫だろう。
「じゃあ、僕はこれで。お邪魔しました」
僕の言葉に対して緒方は小さく手を振ったけれど、瀬戸さんは僕の顔を見るだけだった。
瀬戸さんの部屋を出て、僕は女子寮を後にする。
今は午後5時過ぎか。まだ、伊織は茶道部の活動に参加しているかな? 浅利部長と三好副部長にその旨のメッセージを送ると、副部長から伊織は30分ほど前に家に帰ってしまったという返信が来た。
「30分前なら……伊織はもう家に帰っているかもしれない」
伊織と会うために、僕は彼女の自宅へと向かうのであった。
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