第25話『ぼくのゆめ』

 家に帰ってきて、母親に事情を説明し学校をしばらく休むのを許してもらった。

 部屋に戻り、缶コーヒーを飲みながらスマートフォンを見てみると、案の定……何人かから心ないメッセージが届いていた。伊織や瀬戸さんは別として、どうしてここまで態度を変えることができるのだろうか。僕が大多数の人とは違うからなのか。それって、とても悪いことなのだろうか。

 今後、何かの役に立つかもしれないから、スクリーンショットで画像保存をして、家族や伊織、緒方、瀬戸さん、天宮先生、浅利部長、三好副部長以外からは着信拒否の設定にしておいた。


「まったく、誰が僕のことを広めたのか……」


 学校で緒方が言っていたように、彼が気になっている女子生徒達が自習室の前までこっそり来て、僕のカミングアウトを聞いたのか。もしそうなら、衝撃的な事実を知ってしまい誰かに話したのだと思われる。

 それとも、僕が直接カミングアウトをした緒方、瀬戸さん、天宮先生の中の誰かなのかな。昨日の態度からして、瀬戸さんが最もその可能性はありそうだ。疑いたくはないけれど、長年親友だった緒方の可能性も否めない。

 何にせよ、僕のことが多くの人にばれてしまったのは事実だ。今からそれは変えられない。


「……眠くなってきたな」


 そういえば、これまで眠れなかったのは、伊織にカミングアウトをしようかどうか悩み続けたからだった。伊織にカミングアウトした今、その悩みは消えたんだ。その代わりに、別の悩みが生まれてしまったけれど。


「……寝よう」


 眠れるときにちゃんと眠っていた方がいいだろう。

 目を瞑ると、急にふわふわとした感覚に包まれ、程なくして眠りに落ちるのであった。




「ねえ、千尋。起きてよ」

「……えっ?」


 伊織の声が聞こえたのでゆっくりと目を開けると、僕のすぐ側に制服姿の伊織がいた。さっきカミングアウトをしたのに、とても嬉しそうな笑みを浮かべている。


「どうしたんだよ、伊織。僕、伊織にカミングアウトをして、それで……しばらくの間は距離を置こうってことにしていたのに」

「カミングアウト? 何のこと?」

「だって、僕の体は男だけど、体は女だってカミングアウトしたじゃないか」

「えっ、何を言っているの?」


 そう言うと、伊織に胸のあたりを揉まれる。どうして、僕……体は男だし、特に太ってもいないから胸元に揉めるものなんて――。


「えっ?」


 僕の胸元を見てみると、はっきりと大きな膨らみがあり、左側の方を伊織に揉まれている。それに、脚の方を見てみると、女子生徒の制服のスカートを履いていて。そういえば、さっきの僕の声も高くなっていたような。


「私よりも立派な胸を持っているのに、男だなんて信じられないよ。それに、この前は一緒にお風呂に入ったじゃない」


 伊織は笑顔でそう言うけれど、お風呂に入ったことなんて一度もないよ。


「でも、伊織……中学時代に女の子と付き合っていて。でも、それを口実にいじめられたって言っていたじゃないか。だから、女の子同士の恋愛は怖いって……」

「……怖かったよ。でも、千尋は別。千尋と出会った瞬間、そんな怖さが気にならないくらいに好きになったんだよ」

「そう、なのか……」


 僕は本当に女の子になったのか?

 いや、違う。これは夢だ。

 だって、本当は僕の体は男だから。今みたいに、こんなに立派な胸は持っていないし、男としてのモノがないわけがない。それに、伊織と一緒にお風呂に入ったことだってない。

 そんなことを考えていると、僕は伊織に押し倒される。


「伊織……」


 伊織は可愛らしい笑みを浮かべながら、僕のことを見つめてきている。こういった笑顔を現実でまた見たいな。


「ねえ、千尋。家には私達しかいないんだし、思う存分イチャイチャしちゃおっか」


 目を閉じた伊織の顔が僕にゆっくりと近づいてくる中、視界が一気に白んだのであった。




 ゆっくりと目を覚ますと、部屋の中には誰もいなかった。僕の体や服装を確認すると……豊満な胸はなく、履いているものはスカートではなくズボンだった。


「夢だったんだな……」


 体まで女性になっている僕を相手に、伊織は楽しそうな笑みを浮かべていた。

 ただ、夢は思っていることを見るっていうから、体が女性だとしても、伊織と恋人として付き合っていきたいのか。あと、イチャイチャもしたいと。

 もちろん、僕は……伊織のことが大好きであり、伊織とこれからも恋人として付き合っていきたいと強く思っている。

 ただ、伊織が僕と付き合いたくない。付き合えないと決断したら、そのときは潔く身を引こう。


「体が女の子になった夢を見るなんて初めてだ」


 男として生きようと決めてから、女として生きたいと思ったことは一度もなかったんだけれどな。それでも、心の奥底では女として生きることに憧れがあるのかもしれない。女性への恋愛に恐怖心がある伊織と、恋人として付き合っていきたいと。


「それにしても、よく寝たな……」


 スマートフォンで時刻を確認すると、もう正午過ぎか。家に帰ってきてすぐに寝たから3時間近く眠ったのかな。だからか、さっきよりも体が軽くなっている。ちなみに、電話やメッセージは1件もない。


 ――コンコン。

「はーい」


 僕が返事をすると、ゆっくりと扉が開いて母親が姿を現す。


「千尋、気分はどう……って、まだ制服姿だったの?」

「うん。帰ってきてすぐに寝ちゃって……ついさっき起きたんだよ。それで、どうしたの? 学校から電話来た?」

「ううん、来てないよ。ただ、あと1時間くらいでパートに行くつもりだけれど、もし千尋が1人だと心細いなら休もうかと思って」

「それなら大丈夫だよ。むしろ、1人の方がいいっていうか。家にいるつもりだからさ。スマホの方も連絡を制限したから大丈夫だと思う」

「そう? 分かった。じゃあ、いつも通り午後6時くらいまでパートしてくるね。お昼ご飯、温かいうどんだからあと10分くらい待ってて。それまでに着替えなさいね」

「うん、分かった」


 母親が昼食を作っている間に、僕は制服から私服へと着替える。

 心は女性だとカミングアウトして、夢では体も女性になっていたからか、男性の服を着ることに違和感があった。これまで何度も着ている服なのに。何年も掛けて男性としての見方や考え方を培ってきたけれど……やっぱり、僕って女性の心を持っているんだな。


「伊織との一緒にお揃いで着たワンピースはとても良かったな。もう一度だけでいいから、伊織と一緒に着たいよ……」


 次々と頭に思い浮かんでくる伊織と過ごしてきた日々。

 伊織はまだ生きているのに、まるで彼女が亡くなってしまったかのように、彼女と一緒にいた時間が随分と昔のように思える。今もなお遠ざかってゆく。


 どうして、こうなってしまったんだろう。

 女性への好意を抱いたことでいじめられてしまい、女性同士の恋愛が怖くなった伊織のせいではない。

 僕のカミングアウトしたことを漏らした人間のせいではない。


 全ては、僕。

 体と心の性別が違った存在として生まれてきてしまった、僕。

 それを16年近くずっと隠し続けた、僕。


 全ては僕が悪いんだ。

 気持ち悪いと蔑まれ、今まで騙したと言われるのは仕方のないこと。

 そう思うことが、一番心をすり減らさずに済みそうだから。


「伊織……」


 どうにかして、伊織には笑顔を取り戻してほしい。笑顔を……取り戻したい。それが今の僕にとって唯一つの願いなのであった。

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