第4話『恋人とのマイルーム-後編-』
まさか、高校生活が始まってから最初の金曜日に、恋人と2人きりで僕の部屋で過ごすことになるとは思わなかったな。その恋人が僕のふとんの匂いを嗅いで、ベッドに入ってしまうのはもっと予想外だったけれど。
「まさか、高校生活が始まって1週間で、恋人ができて、恋人と一緒に2人きりの時間をゆっくりと過ごすことができるなんて思わなかったよ」
「僕も同じことを思っていたよ」
「……彩音の言ったとおり、思い切って告白してみて良かった」
「彩音って……ああ、瀬戸さんか」
「うん、千尋のことで何度か恋愛相談したんだ」
伊織、笑顔は見せているけれど、ちょっと切なく見えるのは気のせいかな。相談をしたときに瀬戸さんから厳しいことを言われたのかな。まさか、瀬戸さんも僕が好き……なんてことはないか。
「じゃあ、瀬戸さんは知っていたんだね。伊織が僕のことを好きなのが」
「だって、恋愛相談したからね」
「……確かに、相談されれば知っているか」
僕のことで瀬戸さんに恋愛相談したって言っていたな、さっき。
それにしても、さすがはクラス委員。さっそくクラスメイトの恋愛相談を受けて、的確なアドバイスをするなんて。ただ、伊織と瀬戸さんは名前で呼び合っていたし、きっと友達として瀬戸さんに相談したのだろう。
「ふふっ、千尋って天然なところがあるんだね」
「そんな自覚はないんだけれどな」
「天然な人ってみんな、今の千尋みたいに天然じゃないって否定するんだよ」
いや、天然じゃない人の方がむしろちゃんと否定すると思うけど。ちなみに、僕は今まで天然な人だと言われたことはない。
「でも、千尋って見た感じ完璧そうなのに、こういう一面があるなんて。それを知ることができて嬉しいな」
伊織に天然認定されちゃったよ。
あと、僕って完璧そうに見えるのかな。僕には緒方っていう見た目も性格もイケメンな友人がずっと側にいるからなぁ。きっと、完璧に見られるのは緒方のおかげだろう。
「彩音には後でちゃんとお礼を言っておかないと」
「……そうだね」
瀬戸さんは伊織と僕を繋げてくれた女の子だ。彼女とも連絡先を交換したし、もしかしたら今後、伊織のことで色々と訊かれるかもしれない。
僕も、後で緒方だけには伝えておこうかな。月曜日になれば、自ずとクラスのみんなに分かってしまうと思うけど。
「そういえば、千尋」
「うん?」
「……え、えっちな本とかってあるの?」
緊張した様子で何を訊いてくるのかと思ったら。
確かに、年頃の男子の多くはそういった……え、えっちな本を部屋のどこかに隠していたりしているイメージはある。考えてみたら緒方の家に行ったことはあるけど、えっちな本を見せられたりしたことは全然なかったな。彼は例外なのかな。
「黙っているってことは隠しているんだね?」
「……持っていないよ」
男性の体を持っていて、女性にも性的な興味はあるけど、えっちな本を買ったことが一度もない。男性の心を持っていたら、今頃……1冊でも持っていたのかな。それとも、性別なんて関係ないのかな。
「本当?」
「うん、本当だよ。でも、この前買った漫画がかなり官能的な内容だったかな」
「えっ!」
「一応説明しておくと、官能的な内容がメインじゃなくて、恋愛がメインでそのクライマックスがかなり官能的なだけだから」
「そうなんだね。……ちょっと読んでみたいかも」
「今の伊織の反応を見る限り、伊織にとってかなり刺激が強いと思うけどなぁ」
「よ、読んでみないと分からないじゃない!」
伊織、不機嫌そうに頬を膨らませている。しょうがない、一度……その漫画を伊織に見せてみることにしようか。
僕は本棚から例の漫画を取り出して、伊織に手渡す。
「じゃあ、読んでみるね」
伊織は俺が渡した漫画をペラペラとめくっていく。
刺激的なシーンを目にしたのか、段々と頬が赤くなってきて、果てには、
「はへぇ……」
あまりにも恥ずかしくなってしまったのか、床の上にグッタリと倒れ込んでしまった。
「大丈夫?」
「……千尋の言う通り、刺激的な内容だったよ。私にはまだ早いのかも……」
「そっか。一応、全年齢向けなんだけど……見せちゃってごめんね」
「気にしないで。見たいって言い始めたのは私なんだし。でも……えっちな本、千尋の部屋にあったね」
「……全年齢向けだけどね」
だから、えっちな内容はあるけれど、えっちな本ではないと僕は認識している。
「私はえっちな本って言っただけで、成人向けの本があるかとは訊いてないよ?」
「確かにそうだけど……」
「でも、えっちな内容には変わりないよね」
「……そう言われると否定できないね」
僕が見せた漫画、性的な意味で過激な描写はあるし、伊織に「えっちな本」認定されても仕方ないか。
「何だか、えっちえっちって連呼していたら……段々とえっちな気分になってきちゃったよ……」
伊織は僕をチラチラと見ながらはにかんでいる。そんな伊織が普段よりも艶やかに見えた。
「それは大変だ。紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせよう」
「そうだね」
伊織はティーカップに残っていた紅茶を飲み干すと、ゆっくりと深呼吸をする。
「ちょっと落ち着いた」
「良かった」
「……でも、あの漫画を読んだら色々なことを考えちゃった」
「そ、そっか……」
2人きりのときに見せてはまずい漫画だったかもしれない。しかも、付き合い始めた当日だし。
「……ねえ、千尋。キスしたい。……口と口で」
伊織はそう言うと僕のところに近づいてくる。
そういえば、さっき見せた漫画にはキスシーンがあり、そこから色々と性的なことが始まるのだ。伊織はそれに影響を受けたのかな。
「千尋は私とキスしたくないの?」
「したくないと言ったら嘘になるよ。ただ、今まで一度もしたことないからね。緊張するというか。もちろん、初めてを伊織にあげるのはかまわない。伊織の方が経験あるかどうかは分からないけれど」
「私は……」
すると、伊織はちょっと切なそうな笑みを浮かべて、
「……前に何度かしたことあるよ。でも、その人との関係はもうスッパリと切れてる。それに、今は千尋の恋人。図々しいかもしれないけれど、千尋と確かな繋がりがほしいの」
「……そういうことか」
もしかして、瀬戸さんに恋愛相談したと話したとき、切なげな雰囲気に感じられたのは、以前、キスした人のことを思い出したからなのかも。
「……いいよ。キスしても」
「本当?」
「うん。ただ、僕は初めてだから、伊織からしてくれないかな。こういうときは男である僕の方からすべきなんだろうけど……」
「……千尋がそう言うなら。千尋は攻めのイメージがあるけれど、意外と受けの方……なんだね」
攻めとか受けという言葉を聞くと、ボーイズラブやガールズラブを連想してしまう。
そういえば、体は男性で心は女性の僕が、体も心も女性の伊織と付き合うとガールズラブになるのかな? よく分からないな。
「どうしたの? 考え事?」
「いや、何でもない。ただ、初めてのキスをするから緊張していただけ」
「ふふっ、千尋ったら可愛い。てっきり、千尋ならキスは経験済みだと思ってた。千尋はモテそうだし」
「告白してきたときに言わなかったっけ? 僕には恋愛経験がないって」
「そういえばそうだったね」
伊織に笑われてしまった。彼女も天然が入っているんじゃないだろうか。
それにしても可愛い……か。高校生になって可愛いと言われるなんて。もしかして、女性の心が表に出てしまっているのかな。
「じゃあ、キスするね、千尋」
「分かった」
「……大好きだよ」
伊織は俺にキスをしてきた。
唇から感じる温もりと柔らかさがとても心地よい。それはキスをしている相手が伊織だからかもしれないけど。気持ちが温かくなっていく。
唇を離すと、顔を真っ赤にしつつも、嬉しそうな笑みを浮かべている伊織の顔があった。
「……凄く良かった」
伊織のその言葉に安心感とキュンとした気持ちがもたらされた。
「そうか。とても心地よかったよ。相手が伊織だからかな」
「私も千尋だったから心地よかった。口づけをすると柔らかさも、温もりも、匂いもとても感じられて。千尋に包まれているんだなって思ったよ」
「……そっか」
「そういえば、千尋って顔を赤らめるときもあるんだね」
「……へっ?」
思わず変な声が出てしまった。伊織に指摘されて初めて、頬が熱くなっているのが分かった。
「学校ではいつも爽やかな笑みを浮かべていたから、ちょっと意外だな。そういうところも可愛いなって」
「こんなに可愛い可愛いって連呼されたのは小さい頃以来だよ」
ただ、可愛いと言われて悪くないと思うのは、やっぱり僕の心が女性だからなのかな。見透かしているとは思わないけれど、伊織は少しずつ僕の中に入り込んでいるような気がする。
「ねえ、千尋。明日と明後日はお休みだから、2人でどこかに行ったり、私の家に遊びに来たり……つまり、デートしようよ」
「そうだね。伊織はまだ白花駅の周りとかあまり行ったことないよね」
「うん。学校が始まる前に、家族で1、2回駅の近くで食事をしたくらいで」
「そっか。じゃあ、白花市の街案内も兼ねて、土日のどっちかは一緒に出かけようか。お店とかも結構あるからさ」
「分かった! 楽しみだなぁ」
えへへっ、伊織は楽しげな様子で僕をぎゅっと抱きしめてきた。
伊織の背中に両手を回すと、段々と温かい気持ちになっていく。それはさっきキスをしたときも同じだった。
これって恋なのだろうか。
今まで全然感じたことがない感覚なので分からない。ただ、心地よくて、できればいつまでも感じていたいのは確かなのであった。
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