第3話『恋人とのマイルーム-前編-』
午後4時。
僕は伊織と一緒に家に帰ってきた。
父親は仕事、母親はパートに行っているので、陽が出ている間は伊織のと2人きりになれるかな。
「お、お邪魔しますっ!」
「どうぞ」
伊織、僕の家に来るのはこれが初めてだからか緊張しているな。僕と恋人になった直後であることや、両親が仕事で外出中だと伝えており、しばらく2人きりだからというのもあるかもしれない。
「どうする? 僕の部屋に行く? それとも、とりあえずリビングでゆっくりする?」
「どこにいても千尋と私しかいないんだし、千尋の部屋に行きたいな」
「分かった。じゃあ、僕の部屋に行こうか」
「……うん!」
2階にある僕の部屋へと向かう。
そういえば、女の子が僕の家に来たのって小学生以来かもしれない。中学のときも女子とは外では遊んだりはしたけれど。ちなみに、一番多く家に来たのは緒方だ。
「ここが僕の部屋だよ」
「お、お邪魔しますっ!!」
さっきよりも声が大きくなっている。本当に緊張しているんだな。微笑ましい。
「へえ……うわっ……すごーい!」
初めて来た場所だからなのか、それとも彼氏の部屋だからなのか……伊織はキョロキョロしている。
「広くて、とても綺麗だね」
「そう?」
「うん。男の子の部屋に入るのは初めてだから、これが普通のなのかは分からないけれど。ただ、今まで言った子を含めても指折りに綺麗な部屋だよ」
「……そっか。ありがとう」
物は使ったらちゃんと決めた場所に戻すし、ゴミは分別した上でゴミ箱にすぐに捨てるし、時間ができたら掃除をする。それをやっているから、初めて来た伊織が綺麗と言ってくれるのかもしれない。
「伊織、何か飲み物を持ってくるよ。コーヒーか紅茶、日本茶なら出せるけれど。僕はコーヒーにするつもり」
「私は紅茶がいいな」
「分かった。伊織は適当なところに座ってくつろいでいて」
「うん!」
僕は1階のリビングに行って、伊織の紅茶、僕のコーヒーを淹れる。そうだ、この前作ったチョコクッキーを持っていこう。
「伊織、お待たせ……えっ?」
僕の部屋に戻ると……伊織が僕のベッドの匂いを嗅いでいた。
「ああっ……いい匂い。やっぱり、ふとんには千尋の匂いが付いてる……」
どうやら、ふとんについている僕の匂いに夢中になっていて、僕が部屋に戻ってきていることに気付いていないようだ。もしかして、伊織って……匂いフェチ?
これまでの伊織を考えると、ここで話しかけると凄く驚きそうだ。なので、僕はそっと部屋の中に入り、勉強机にティートレーを静かに置いた。勉強机の椅子に座って、伊織の様子を見守ることにする。
「千尋、ちひろぉ……」
伊織は甘い声を出しながら、ふとんに顔をすりすりさせている。こうして彼女を見るのも楽しいな。意外な一面を知ることもできるし。
「千尋、遅いなぁ。じっくりと淹れているのかな。もし来ないなら、ベッドに入っちゃおうかな……えっ」
ようやく伊織が僕の存在に気付くと、一瞬だけれど時間が止まったような気がした。伊織は目を点にして僕を見てくる。
「……伊織ってさ、紅茶の匂いと僕の匂い、どっちが好きなの?」
「ひゃああっ! ごめんなさい!」
恥ずかしいのか、伊織は顔を真っ赤にしてベッドの中に潜ってしまった。
「伊織。僕は怒っていないし、ふとんの匂いに夢中になっていた伊織が可愛らしいから静かに見ていたんだよ」
「そ、そうなんだね。千尋が怒っていないんだって分かって安心したけれど、それでも、ううっ……恥ずかしい」
僕のふとんの匂いを嗅いでいるところをずっと見られ、そんな形で自分の趣味嗜好が一つバレてしまったから、恥ずかしがるのは仕方ないか。ここまで恥ずかしがっていると、彼女を黙って見てしまったことに罪悪感が。
伊織はふとんから顔だけ出して僕の方を見る。
「前から千尋の匂いがいいなって思っていて」
「えっ?」
「ほら、私……千尋の後ろの席じゃない。たまに、外から風が入ってきたときに、千尋の匂いが香ってきて。プリントを渡してくれるときも。だから、そういう意味でも気になってた」
「……なるほどね」
僕の席の前には緒方が座っているけれど、彼の匂いなんて感じたことなかったな。ただ、僕が気にしていないだけだろうけど。
「こうしていると、千尋に包まれている感じがして幸せな気分になるよ」
伊織は言葉通りの幸せそうな表情を浮かべてくる。
ふとんを被っていると、僕に包まれている感覚になるのも分かる気がするな。僕の匂いが伊織にとって、それはとても幸せなことなのだろう。
「ということは……紅茶の匂いよりも僕の匂いの方が好きってことでいいのかな?」
「……もちろんだよ。このこと、他の誰にも言わないでね」
「うん」
やっぱり、伊織は匂いフェチなんだな。はにかんでいて可愛らしい。
「あっ、ごめんね。初めて来たのにベッドに入っちゃって」
「気にしないでいいよ」
恋人に僕の匂いが好きだと言われたら悪い気なんてしない。いきなり恋人のベッドに入るなんて大胆だと思うけれど。
「さあ、伊織。紅茶が冷めちゃうよ」
「そうだね。淹れてくれてありがとね。いただきます」
伊織はベッドから出てテーブルの側に座った。
冷めちゃうとは言ったけれど、まだ熱かったみたいで、伊織はティーカップを持ちながらふぅ……と息を吹きかけながら冷ましている。湯気が立っているし、そりゃ熱いか。実際にコーヒーを飲んでみると……結構熱いな。
「美味しいよ」
「それは良かった。あと、このチョコクッキー、僕が作ったんだ。もし良かったら食べてみて」
「そうなの? じゃあ、お言葉に甘えていただきます!」
伊織、嬉しそうな表情をしてチョコクッキーを食べている。
「美味しい!」
「良かった。嬉しいな」
「でも、何だか千尋って他の男の子とは違うよね。恋人だから違って見えるのかもしれないけれど。姿がとても綺麗だし、部屋も綺麗だし、お菓子まで作れて。女の子みたいだね。もちろんいい意味でね!」
「分かってるよ。そっか、女の子みたいか……」
少し心がざわついた。
小さい頃はたまに女の子みたいだって言われたけれど、まさか……高校生になってから言われるとは思わなかった。もしかしたら、これまで誰も言わなかっただけで、伊織のように、僕が女の子みたいだと思っている人は多いのかもしれない。
「どうしたの? 千尋。何だか元気がなさそうな感じだけれど。女の子みたいだって言われるのは嫌だった?」
申し訳なさそうに言う伊織。
「ううん、そんなことないよ。ただ、僕の作ったチョコクッキーが伊織の口に合うかどうか不安だったからさ。良かったよ、美味しいって言ってくれて」
「そっか。私、甘いものが大好きなんだ」
伊織はもう1枚チョコクッキーを食べる。そのことですぐに伊織の顔に笑みが戻る。
美味しそうに食べてくれると、作った人間としてとても嬉しい。そんな彼女を見ながらコーヒーを飲むけれど、何故だかいつもよりも苦く感じるのであった。
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