1800秒の並行世界

維嶋津

1.黒い腕は舌に苦く(お題:情熱的な味)

 からりと晴れた戦場の空、地に倒れ伏した兵士たちのバーベキュー、それらをさくりさくりと踏みしめて、テッドは上機嫌で歩いていた。ひょろりと痩せぎすの体、迷彩服が似合わない青白い肌、目ばかりが大きく、その輝きは純粋な喜びに満ちている。いまにも鼻歌を口ずさもうかという風情。うしろに続くジミィの死んだようなまなざしとは対照的だった。


「いい光景だ。なあ?」


 テッドは笑いながら足元に転がった死体を蹴る。炭化した腕がわりばしのようにぽきりと折れ、ころころと風に吹かれて転がってゆく。ジミィは土気色の顔が、いかにも不愉快といった形にゆがんだ。


「やめろよ。不謹慎だぞ」


「それは誰にとってだ? ここにはいまのところ俺とお前のふたりだけだ。俺は楽しい。だとすれば、お前が俺に命じたのか? 上官の俺に?」


「調子に乗るなよ」ジミィの声色に殺意がにじむ。「お前はただ、形だけ繰り上がっただけだ。銃をもってるのは俺だ。どちらが力を持っているかと言えば――」


「――それは俺の方だ」言葉尻をテッドに奪い取られた。「俺の方だよ。間違いなく」


 ジミィは足を止めた。視線から、架空の銃弾がその前をゆくテッドの背中に飛ぶ――それが本物であれば蜂の巣になるくらい。だがテッドは振り返りもしない。どうせ撃てやしないとタカをくくっている。そして、悲しいことにそれは真実だった。彼を撃つことはできない。


「クソ野郎が」

「ふむ。俺はお前のそういう向こう見ずな情熱が、わりと嫌いじゃあないぞ、ジミィ」


 テッドは「たとえば」と言ってしゃがみ込み、さっき蹴った手を拾い上げた。たしかに人であったもの。その残滓。燃え落ちた焚き火のくずのごとくになってしまった、ある男のパーツ。


「たとえば確かにそうだ、こいつには家族があったのかもしれない。家で待つ恋人があったかもしれない。故郷で英雄になる運命が残されていたかもしれない。だがこいつは死んだ。完膚なきまでに焼き滅ぼされた。その体にはもはや魂も尊厳もありはしない」


「礼儀の問題がある」とジミィは反論する。「戦った相手への敬意だ。軍人であるならば、その高潔さを忘れてはならない」


「俺としては」テッドは肩をすくめる。「その高潔さとやらは、自分が狂わないための方便にすぎないと思うがね」それから黒く焦げた腕にかじりつき――


「やめろ。貴重な食料を!」


「それだよジミィ。お前の欺瞞はそれだ。俺たちの戦争は領土的な問題でも、歴史的な問題でもない。尊厳だとか国家とか思想の話じゃあない。俺たちは腹が減っているから殺すんだ。生きるために殺すんだ。動物性たんぱく質をとるために。ビタミン類を、脂質を補充するために。明日を生きるために。俺たちは軍人じゃない。狩人だ。なるほど経緯は必要だろう。だがそれは獲物に対する敬意であって、人としての経緯ではないだろう」


 ジミィは押し黙った。銃把を握り締める指が白く変色する。


「いい加減みとめろ、ジミィ。お前、そのままだと狂っちまうぞ。俺と同じか、あるいはそれ以上に。受け入れろ。俺たちはもう数年前と同じ時代に生きちゃいない。俺たちは食うために殺す。食われるために殺される。そうしないと生きながらえない。そういう時代なんだ、今は」


 テッドは焦げた腕を放り出して歩き出す。

 ジミィはしかし地面を見つめたまま、半ば意地のように言葉を絞り出した。


「……それでも俺は嫌なんだ。たとえ生きるためであっても」


「お前のそういうところ、嫌いじゃないよ」


 テッドは振り返らずに言った。

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