「赤い紐」

衛生長は屋上から出ると後ろ手でドアを閉める。躊躇いはない。

階段を下りるとそこでは牛御前が掃除をしている。擦れ違いざま敬礼を向けて来た二号はまだこの間の怪我の痕が生々しい。需品科の部屋の横を通ると総出で今回使った武器の手入れをしている。食堂からは良い匂いがしてくる。今夜の夕食はなんだろう。嘗て体育館として使用されていたホールでは天狗が護身術の練習をしている。

一階まで降りる。出口まで来ると傘を手に取る。雨なのはわかっているけれど、外の方が涼しい。靴が汚れるのも気にせずに門まで歩いた。

ポケットから小さな手帳を取り出す。

これは本当はリーダーに渡そうと思っていた。

ヌエが意識を失った時、ヌエのポケットからそっと抜いた。

この中にはヌエの計画の一部と長い日記が記されている。

本来なら機密事項だ。

しかし日記の部分を本当は先ずリーダーに見せたかった。しかしどうしても今のリーダーには渡せる雰囲気ではなかった。

この手帳にはヌエのリーダーへの愛がつづられている。

リーダーとヌエはかつて廃村となった村の出身である。この学校のある場所だ。

この村が廃村になったのはテロ組織に狙われたから。

赤い紐でグルグル巻きにされた爆弾で沢山の村人が死んだ。辛うじて生き残った一部の住民は外の世界に一度散り散りになった。

しかしリーダーはこの村に住んでいた時の事をほとんど覚えていない。ヌエにはある程度記憶があった。親に聞かされていたから。

だからこの部隊で、リーダーと再会した時ヌエはこれは運命の赤い糸だと思ったのだ。

衛生長にはこのヌエの愛が恐ろしく感じた。だけど自分も負けない位リーダーを愛してる。

だけどきっとリーダーは重たい愛を与えると駄目になってしまう。それがわかった。

この手帳は明日、代表に渡すつもりだ。本来なら証拠隠匿に近い行為だが、頭なら幾らでも下げるつもりだ。

自分もかつてこの村にいた。

しかしあのテロで家族を失い孤児院で育った。自分も大怪我をした。あの日、リーダーは体の小さかった衛生長を庇って頭を打った。それでも衛生長の足の怪我は酷かったし、リーダーはあのテロから二年程は記憶障害に苦しめられたと聞いている。

家族を失った衛生長が孤児院に引き取られしばらく経った時、突如目の前に代表が現れた。数日間の話し合いの結果、自分はこの傭兵部隊に引き抜かれる事になったのだ。

多分リーダーもヌエも、衛生長の過去を知らない。はずだ。少なくとも詳細までは。

というより覚えていない。そう思う。衛生長は昔は余り目立たない空気のような子供だったから。

この村がなくなるきっかけになった爆弾事件。その日の昼、境内で飴玉をくれた幼馴染。

衛生長はその笑顔を今でも覚えている。


急きょ決めた離脱だ。明後日にはここを出ていく事になっている。

明後日の夕方四時、迎えの車が来る。

門の外にあるのは鬱蒼とした木々と一本の道だ。

雨に濡れる視界は薄暗いが無現の広がりであった。

それは一本の線であり、こちらと向こうを繋ぐ紐のようにも見える。そしてこちらと向こうにあるのはたとえどんなに距離があろうとも全く別の世界だ。自分はそれを知った。

だけどねえ、知ってる?繋がってるんだよ。そことここは。そう、それこそ血管と同じ。それを、忘れないで。あの時舐めたあなたの血は今、私の舌の上に残っている。だから離れていても私はあなたを感じている。

そして外の世界からここを守り続ける。

                                    ―完 ―

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