ご依頼は幸福ですか

緑川碧

第1話 ご依頼は幸福ですね


カランカランと来客を告げる鐘の音が鳴り響く。読みかけの新聞を畳み、音の方向を見る。


黒いセータに眼鏡をかけた男がドアを開けたまま、その場でキョロキョロと辺りを見渡している。純朴で虫も殺さないような優しさが伝わってくる。


「ようこそ、幸福屋へ。私は12代目の幸福屋、幸野道士と申します。ご依頼でしょうか、ならばこちらへ」


手前の来客用ソファーに座るよう促し、対面のソファーに座る。


男は来客用ソファーに浅く座ると、真剣な眼差しをこちらに向け、口を開いた。


「僕は木戸孝文と申します。ここは、幸福屋は人が望む幸せを届けてくれるとは本当ですか」


ここに来るお客様のほとんどが聞いてくる定番の質問がやってきた。


「ええ、私はお客様が望む幸せを提供することを生業としております。ただし、それは私のできる範囲での話ですが。例えば死者を蘇らせろとか、世界を滅亡させろ等と言った大それたことはできません。ですので、限度があることはご承知おきください。それで、あなたは何をお望みですか」

「僕には好きな人がいます。五年近くずっと思い続けて、なるべく彼女の傍に居続けていました。それで、そろそろ思いを告げようと思っていたのですが……彼女には最近彼氏ができてしまったのです」

「それはそれは――では彼女を今の彼氏と別れさせ、自分が付き合いたい。それがご依頼の内容ですか」

「違います! 僕は彼女に幸せになって欲しいのです、それが僕の幸せなんです。だから彼女が幸せなのかどうか、幸せになれるかどうかを僕に教えて欲しいのです。その何というか彼女の彼氏は悪い噂を聞くので……」


木戸は驚いたように目を開けて、慌てて依頼を告げた。彼の目線、声音、手足の動きから嘘を言ってはなさそうだった。


「ではご依頼の内容はあなたの思い人の幸せ――彼女と彼氏の身辺調査と」

「そうです!後それに加えて、その……将来彼女が不幸になると判断した場合、その男と彼女を」

「成程、承知いたしました。それではこちらの誓約書と用紙にご依頼内容と必要事項をご記入してください。」


そう言って木戸に二枚の紙とペンを手渡した。誓約書には依頼の件は決して口外しないこと、そして依頼遂行の手段はこちらに全てを任せること、最後に依頼内容が真実の願いであることだ。もう一つの紙には依頼を遂行するにあたっての必要な情報の記入欄である。


木戸が書き終わった内容に問題がないことを確認する。


「ではこちらの内容で問題はありませんか。今なら依頼の取り消しもできますが」

「はい、これで大丈夫です」

「分かりました、では後は結果をお待ちください。そうですね、一カ月程あれば報告できると思いますよ。」

「はい、ちなみにお代の方は」

「依頼遂行を確認された後にあなたが払うに値すると感じたお代をいただければ結構です」

「え、でもそれでは」

「大丈夫です、代々報酬の受け取りはそのようにするよう決まってますので」


男は少しばかり目を見開き、戸惑った様子だったが「分かりました、よろしくお願いします」とお辞儀をして去っていった。



机の上に置かれた用紙には依頼者の思い人の名前が――広瀬加奈と書かれていた。

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