始祖鳥ーアーケオプテリクス
真夜中 緒
第1話 すみれの咲かない場所
古い書物の中にその銅版画を見たときの何とも言えない衝撃を、よく覚えている。
あれはまだ父が生きていた頃、懐かしい湖の畔の研究所での事だった。古い本の復刻版だというその本は、それ自体がすでに随分と古びていた。パサパサと乾ききった枯葉のような古い紙は、縁から黄ばんで、そばかすのようなシミが浮いている。
銅版画は古代の生き物らしかった。
鉤爪のついたひどく不格好な鳥。
Archaeopteryxという文字が書き込まれている。
アーケオプテリクス、始祖の鳥なのだという。
湖畔に暮らす私にとって、鳥といえば白鳥や鴨のような水鳥だ。そうでなければ鳩や梢にとまる小鳥。
どれも美しい翼を持ち、それぞれの羽ばたき方で空を舞う。
私は、鳥が好きだった。
青空に舞う彼らを見るのが好きだった。
好き、という感情で良いのだと思う。
鳥を見る私に、父さまは「ディチャセッテは鳥が好きだな。」と言っていたから。
そしてだからこそ、その銅版画の鳥の不格好さに衝撃を受けたのだ。
見るからに不器用そうな、あまりに不格好な翼は、始祖鳥を他の鳥のように空に自由に舞わせてくれそうには思えなかった。
その頃父さまは父さまの最後の作品の仕上げをしていた。
ディチョット。十八番目のピノキオ。私のたった一人の弟。
外見的には私の方が若かった。
私は少女の外見をして、ディチョットは青年の姿をしていたから。
それでも彼は弟で、私は姉だ。私の方が先に生れたのだから。
十八人の兄弟の外見はバラバラだった。
料理好きのクワトロはたおやかな美女だ。
セーイはボーイッシュな美少女で、セッテはセーイとよく似た女の子らしい美少女。
チンクエはマッチョだし、オットは美青年。
そうこうしているうちに父さまは、顔立ちが整いすぎているのは「人間らしくない」と気づいたらしい。
ディエチあたりから、顔立ちは平均的になる。
私はディチャセッテ、十七だからもちろん顔立ちは凡庸で、スタイルも特に良くはない。
それで少女型だから、お化粧も似合わないし着られる服も限りがある。しかもなぜだか少女型はセーイとセッテと私だけなものだから、一人ですごく見劣りした。
美人姉妹の余り物みたいな感じに。
ただ、花のような二人が研究所からほとんど離れられないのに比べて、私はどこにでもゆくことができる。研究所の環境に依存しない自立型は、私とディチョットだけだった。
だからあの時逃げ出せる可能性があったのは私達だけだ。
あの時、父さまが死んで、彼らが襲撃してきた時。
私達が父さまを納めたのと同じような箱に、囚われた兄弟は次々に収められていった。
ディチョットを逃したのは私だ。
ディチョットの隠れる方に、彼らが向かうのを見て、とっさに飛び出した。
私の身体は小さい。
だから小回りは聞くけれど、出力はどうしても劣る。パワードスーツを着た人間を何人も相手にできるほどじゃない。
しかも少女が一人でいるのはどうしたって目立つ。
逃げ切れる可能性はディチョットの方が高かった。
実際、私は捕まってここにいる。
そして
ディチョットはここにいない。
ここの何が悪いわけでもない。
ディチョットと父さま以外はみんないる。
すみれの咲く庭はないけれど。
システムは再構築されて、兄姉たちは立ち上げられた。
まるで、今までと同じように。
実験と研究とデータ取り。
それは私達がずっと送ってきた日常だ。
ただ、方向性は明らかに変わり始めている。
人を目指すのでなく超えるのだと、研究員たちはいうけれど、本当だろうか。
ふと、あの銅版画を思い出す。
ひどく不格好で見るからに不器用そうな始祖の鳥。
それでも先駆けて空に挑んで、不器用な滑空を果たしたとき、始祖鳥はどんな気持ちだったのだろう。
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