[16]

 捜査の打ち合わせをしているかと思ったら、捜査員たちはテーブルでコンビニの弁当やらおにぎりを食っていた。真壁が会議室に顔を覗かせたとき、最初に顔を上げたのは本庁から来た殺人犯捜査五係の水野という係長だった。

「ウチはもう応援、要らんぞ!」

 真壁は個人的な因縁ある男に身構え、思わず硬い声を出した。

「取調はどうしたんです?」

「もう調べは済んだ」

 五係の誰かから「よその事件に首つっこんでる暇なんか、あるのか」という一声が上がると、一斉に鈍い嗤い声が立った。真壁はそれには答えず、水野に訊いた。

「取調室の明かりは付いてましたが」

「しつけえ野郎だ。今は組対がやってる。これ以上、お前の話は聞かん」水野が虫を払うような仕草で手を振る。「さっさと失せろ」

「調書、見せて下さい。ガイシャ、俺の知ってる奴なんです」

「おい、真壁。何様のつもりだ?」

 水野は椅子から立ち上がり、顔をひきつらせた。明白な怒りの表情を浮かべて若輩を睨みつける。刑事なら誰でも自分のヤマを荒らされたくないし、横取りされるようなことがあったら殺意のにじんだ言葉も出てくるのは当然だ。真壁と水野の場合、真壁が所轄にいた頃に参加した殺人事件で、本庁の水野を差し置いて本ボシを捕まえた過去があり、そのことがあってから水野は個人的な敵意を真壁に向けてくる男だった。真壁は無表情で睨み返した。

「調書を見せてくれと言ってるだけです。何か疚しいことでもあるんですか?」

 水野は「バカ野郎」と本物の唾を飛ばし、「とっとと出てけ!」と怒鳴った。口論の声は低かったが、険悪な空気はたちまち広がった。真壁はいくつもの視線に睨まれてちょっと立ち尽くす格好になった。これで一歩踏み出そうものなら、たちまち力ずくで排除されそうな空気が漂う。

 真壁はそのまま会議室から踵を返した。一階の裏口から外へ出ようとすると、今度は階段の陰から現れた吉岡と鉢合わせになった。

「五係の奴ら、窓からしっかり見張ってたぞ」吉岡はニヤニヤ笑う。「他の係の奴らは一切入れるなって感じで。くわばらくわばら」

 おどけた吉岡に言われるまでもなく、情報を仕入れることに気を取られて、正面玄関から出入りしたのは失態だった。その非は真壁も認めざるを得なかった。「くそ・・・」と悔しさが口から唸りとなって漏れ出した。真壁はすぐに気を取り直して質問する。

「ガイシャ、どんな風に弾くらったんですか?」

「遺体なら地下だ」

 2人はエレベーターで地階に降りる。吉岡が先頭に立って廊下を歩いた。スチームか空調のパイプがむき出しで走っている地階の天井は、高さがいくらか低かった。

 何度か廊下を曲がった先に、《遺体安置室》と書かれた鋼鉄の扉があった。吉岡が扉を開ける。廊下よりも冷えた空気が流れだしてきた。線香の匂いが混じっている。誰かが供えてやったらしい。

 ゴムの白い遺体袋が1体、スチール製の台に横たわっていた。真壁は十字を切ってから、機械的に手袋をはめてファスナーをそっと開けた。生白い痩せた左胸に、血溜まりが凝固した赤黒い穴が2つ開いている。凶器は9ミリ弾。

「発見時の姿勢は?」

「仰向けだったそうだ」

 吉岡の言葉通りなら、三谷は犯人と向かい合っていたことになる。犯人は正面から待ち伏せていたのか。それとも背後から近づいて、犯人は声をかけて振り向かせたのか。

「犯人は2人組でしたね」真壁は言った。「どこの組の者なんですか?」

「藤枝組。誠龍会の三次か、四次団体とか」

「三谷には、ヤクザに撃たれるような前歴は無かった。撃たれるとすれば、やはりヤクの関連ですか?」

「五係の頭は、ガイシャがたまたま組同士の抗争に巻き込まれたって線らしいがな」

 吉岡がどう考えているのかは分からなかったが、真壁の脳裏には異様な信号がずっと鳴り響いていた。世田谷中央署の管内は閑静な住宅街があるだけで、暴力団に関係する事務所なども無いはずだ。発砲事件や暴力沙汰とはもっとも無縁な地域で、チンピラ2人が抗争で発砲事件を起こすとは、どう考えても異様だった。

「現場は見たんですか?」

「写真だけ。五係の方で目撃証言が1件あったそうたが、『花火のような音がした』っていう感じらしい。銃声だなんてこれっぽっちも思っちゃいない」

 都会の無関心さには、真壁も投げやりな気持ちを抱えるしかなかった。

「今は組対が取り調べてるそうですね。誰が来てるんです?」

「四課の八係。木下さんの班だったな」

 真壁はとっさに「これからどうします?」と吉岡に聞いた。吉岡は今からサウナへ汗を流しに行くと言って低く笑った。真壁は吉岡に一礼して、部屋を飛び出した。まだツキはある。そう思い直して廊下を駆け出した。足元がもつれそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る