隠し事
大学生の頃、趣味のプロレス観戦で知り合った19歳の女の子がほぼ1年中マスクをしていた。
夏場でも普通にマスクをしていたので不思議に思って聞いてみると「持病の関係で喉が弱いんです」と答えた。
仕事は食品工場らしく、仕事中も基本的にマスク着用が義務づけられている。
真夏の余りにも暑い日や食事の時、自宅や「流石に外さないと相手に失礼になるシチュエーション」では外すそうだが、基本的に外を歩く時は極力マスクを装着しているそうだ。
その時は「病気の人は大変なんだなあ」位にしか思わなかった。
そして彼女は俺の友人と仲が良かった事もあり、時々プロレス観戦の後に食事をしたりする事もあった。
マスクを外した彼女は取り立てて美人というわけではなかった。
まあどこにでもいる普通の子、田舎から出てきた化粧の薄い女の子。そんな印象。
失礼な話だから誰にも言えないのだが、むしろそんな子だからこそ気楽に色々話せた。
既に働いているのもあってか大して年も変わらないのに落ち着いていて凄いなと思った。
丁度彼女が二十歳の誕生日を迎えた頃に俺の就職が決まり、ある日プロレスを見た後に何人かの友人と共に記念にちょっと良い店で一杯飲もうという事になった。
ダーツバーのような店に連れていって貰った。
彼女とは最寄駅が隣だったので2人で皆とは逆方向の電車に乗る。
ほろ酔いの彼女はいつもより少し饒舌で、突然自分の田舎の話を始めた。今まで全く聞いたことのない話を。
「北の方の山奥の田舎だったんですけど、ちょっとおかしな村で」
………どんな風に?
「村を歩く時女性と子供はは必ずお面をつけて歩かないといけないんですよ」
………え?
「昔からの風習で、弱い者が村の奥に住む悪い鬼に悪いことをされないように、って意味があるんだそうです。高校は遠くに電車に乗って行ってたんですけど駅につくまではお面をして行ってたんですよ。私は親とあんまり仲が良くなくて頑張って県外に就職決めて出てきたんですけど。その風習のせいで、顔を晒して1日過ごすってことに違和感があって。仕事の関係でお化粧で誤魔化すってのも難しいんでマスクをしてるんです。箱買いですよ」
彼女はそこまで一気に話すと「あ、降りなきゃ。じゃ、また来月の両国で。今日は楽しかったです」と手を振って電車を降りていった。
後半は相槌を挟む暇さえなかった。
………あの子、一体なんなんだろう?
それから5年後。
ありがちな話かもしれないが、彼女はもうすぐ俺の妻となる。
寒い時期以外はマスクをせずに過ごす事にも慣れてきた。
正直田舎の話は未だにどこまで本当なのかはわからない。
だが彼女は頑なに田舎に帰ることを拒み、俺は彼女の親と電話で数回しか話した事がない。
現在結婚に際して色々面倒を見てくれているのは横浜に住む彼女の叔父夫婦だ。
叔父夫婦もあの田舎と折合いが悪く、若い頃に夜逃げ同然に関東まで出てきたのだという。彼女が今働く食品工場も叔父夫婦の口利きだそうだ。その叔父夫婦も田舎の話は必要以上にはしたがらない。
お面の話の真偽は兎も角としても、相当面倒な村なのだろう。そう解釈している。
今後、本当に必要な時が来たら流石に話してくれるだろうから。
幸いにも彼女は俺の親ともうまくやってくれている。姉とは時々ご飯を食べに行く程度にまで仲良くなったようだ。
彼女がプロレスに行き始めたきっかけは、上京したての頃に叔父さんが「野球とかサッカーは職場の人とでも見に行く機会はあるだろう。でも流石に女の子だからプロレスはなかなかきっかけがないだろう。しかし気分転換に見るにはとても派手で面白いぞ」と、連れていってくれたのだそうだ。叔父さんの同僚数人と共に水道橋まで。
その結果、俺は彼女とこうして結婚することになったのだから、叔父さんには感謝しかない。
来週には俺と彼女の職場の中間地点に借りたアパートに引っ越しが決まっている。
彼女の荷物の中にこっそりお面が忍ばせてあったら。
その時俺はどうしたら良いんだろう。
ここ数日、ずっとそんなことばかり考えている。
誰にも言えない悩み、誰にも理解されないマリッジブルーだ。
こんなこと話したら、彼女はきっと白いマスクをしたまま目だけで笑うだろう。
そして「馬鹿じゃないの」と言うに違いない。
俺は、彼女と「彼女の謎」と結婚します。
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