『エミリ・ブロンテ』について

鮮血の陽射しが、黒々とした影を伸ばしつつ、僕の肉体を軽やかに凌駕した闇で包み込んだ。

蝉が苛烈に喚きちらす。

風が肌を切り裂き、軈て鼓膜の内奥へ、密やかな女の啜り泣きを聴かせた。

もう、太陽が埋没する前触れであった。

あれだけフローリングを綺麗に、丹念に掃除したのに、またしても鮮やかな緑の苔に覆った。それは時間だ。奴が迅速に、凄絶に、これをした。

僕らの家には、壁も、天井もなかったから。

Dawn down. Dawn down.Dawn down....

「ちょっと面白いね、十四行詩ソネットでも思い付いたかい?」

「いいや」

「きみには、才能がないんだよ。やめちまえ、詩人なんか」

「じゃあ、僕は何になれと、君は言ってくれるかな」

「科学者にでも、なっちまえ」

「それは、いかにも実践的で、建設的で、経済的だね」

「君の魂を救ってやれるのは、君だけなんだ」

そう、自己愛。

「ルソーは自己愛のもとに、僕らは他者を対象化し、契約し、社会をつくるのだ、というようなことを言った」

「なんだ、つまらないな。じゃあ評論家にでもなっちまいなよ。肝心なのは、君がどう思うかであって、他者がどう思うかじゃないのさ」

よくもまあ、いっちょまえなことを。

「えい、えい、これでも食らえ」

老いて襤褸くず同然になった崩折れた指たちが、汗で乾ききった汚い『エミリ・ブロンテ』の白く濁った毛先をときほぐした。

くすぐったそうに、身をよじって笑っていた。

嘲弄する悪魔は、僕のことをいつも愛してくれていたのだ。



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