第77話 猫が二足歩行を始めて踊り出した

 旅芸人をしていた横笛使いの猫の被り物を被ったシャザー・トゥリーは、運命を共にする伴侶と巡り会うこともなく、楽団の仲間とともに各地を巡業していた。

 大公の都で行われたオーゾレム始祖神祭りで、ショコラケーキの大食い大会に出場した太鼓叩きのマレデイク・パダードは、ケーキの食いすぎで倒れ、楽団の仲間たちは彼を医者のもとに連れていった。マレデイクに糖尿病の疑いが出てきたと懸念すると、次々と原因不明の症状も併発し、治療や薬が必要になった。『うたたね楽団』は活動の休止を余儀なくされた。シャザーは、失われた右手を義手のかわりにバイオリンをつけた、右手がバイオリンの男、ミトレラ・ピサンドラに、マレデイクの看病をさせて、独りで街路に出た。

 いつも通りに得意の横笛で道往く人々を集め、さらに個別に悩める者に占いを行い、懸命にマレデイクの治療費を稼いだが、医者が要求する金には程遠かった。シャザーの被る猫の仮面の間から汗が滴った。はたから見れば、猫が涙を流して泣いているようにも見えた。

 街の公園の噴水でシャザーと白象のヨーロアミルズは休んでいた。

 隣のベンチに、みすぼらしい襤褸をまとった男が、行きかう人々に物乞いしていた。道草占い師をやめてしまった男だった。

「うるせえ。俺も金がないんだよ」

 そう答えた若者は、白象を間近で見物するために、公園の中に入ってきた。

 アヴェル・ゼーヌハートという名前で、今まで硝子の塔に居候させてもらっていたが、父の友人のオブジェウス・ストーカーに、「もう働ける年齢になっただろう、さっさと出て行け」と追い出されてしまった。父のアヴァロン・ゼーヌハートが都にわずかばかりの土地と、父の死後ずっと空き家になっていた探偵事務所があった。アヴェルは、父の遺産の埃まみれになった探偵事務所を修復し、探偵業で生計を立てるつもりでいた。運転資金の調達として、オゾン国宰相マイユの金貸し屋(マイユは毎日実務に追われて、自分が金貨占い師であることを忘れてしまっていた)から金を借りに向かうところだった。オブジェウスから、アヴェルの身元保証書と委任状を持たされていたので、金を借りることは容易いだろうが、問題はその後の経営次第だろう。ついでにオブジェウスは、箪笥の奥から出てきたアヴェルの母親だったエリーが占い師をやっていたときに使っていた横笛を、母の形見としてアヴェルに渡していた。

「これから金を借りに行くんだよ。花屋で見つけたかわいい女の子、名前をネビアって言ってたっけ。花占いをやって、店の花びらを千切って、花屋に怒られていたな。何て可愛い子なんだと思ったよ。その子を雇って、探偵屋の受け付けにするから、お前に恵んでやる金なんかないからな」

 とアヴェルは物乞いに言い捨てた。アヴェルは水浴びをする白象を感心しながら眺めて、公園の外に出て行った。アヴェルの父親のアヴァロンが、長生きしていれば乗ることができたカツラ取り名人の白象だった。

 物乞いの男は口を尖らせてすねた後、眠たくなったのか、ベンチに横になって寝てしまった。

 公園の中は静かになった。

 ミトレラが心配したのか、シャザーの様子を見に来た。

 ミトレラは、俺の右腕のバイオリンを断ち切って、売り払えば貴族どもは珍しがって高値で買うかもしれない、とシャザーに言った。

「ミトレラ。優しいんだな、お前は。でも案ずることはない。俺が何とかする」

「シャザー。俺の右腕のバイオリンは、あなたの稼いだお金で買って、義手職人に着けてくれたものでしょう。このバイオリンは、本来はあなたのものだ。何も思い煩うことはない。マレデイクの命のほうが大切だよ。俺は何も気にしないよ」

 ミトレラの申し出を聞いて黙っていたシャザーは、漠然と看板を眺めていた。

 ストーカー硝子工房、大公の都を出て、はるか西の山中。可愛らしい硝子の緑の瓶の絵。所々錆びた古びた看板だった。世界を滅ぼした洪水よりも前に立てられた看板かもしれなかった。シャザーはその隣に、牛の印のついた触れ書きがあるのを見つけた。おや、と思い、身を乗り出して注意深く読んだ。オゾン大公妃が占い師を探しているという内容の触書きだった。

「何とかなるよ。ミトレラ」

 シャザーは、噴水にミトレラを残し、早速大公邸へと向かった。


「面白い被り物をしているんだな、そちらは」

 大公妃は悩みを占い師に相談した。

「私の石の子デックスは槍を手に取って出て行ってしまった。あの子を占いで探そうとは思わん。私には結局のところ爆弾しか残らなかった。爆弾とは何だ? この国はいつまで爆弾を作り続ければよいのだ?」と占い師シャザーに訊いた。

 平伏していたシャザーはつと立ち上がって、横笛を口に当て、空気の振動に旋律を与えた。大公妃の前で、氷の上を滑るように踊り始めた。

「おお、猫が二足歩行を始めて踊り出したぞ」

 大公妃は冗談を言って笑うと、静かにシャザーの演奏に聴き入った。

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