第110話 学歴人権

「あ、あの…理人…生きてる?」

「映画観てる時に受ける質問として不適すぎると思うんだけど」

 俺の悪態は完全に無視。自分の放った質問すら意識の埒外からの言葉だったのかもしれない。彼女の状態は端的に言って、疑心暗鬼だった。この映画の特性上、いきなりピエロが出てきてスプラッタな描写があったりする。なので子供たちが戯れているシーンですら息をつく間もない。もうさっきから画面の方はちらちらと見るだけになっており、ほとんど視線は俺の方へ向けられていた。

「…あ、理人。腕、貸しなさい」

 震える声。映画館で声を発するということはそもそもまぁまぁなマナー違反なのだが、それもまぁ致し方ないことであった。

 どうもこの子、信じられない程ホラーが苦手らしい。先ほどから何かがあるたびに大きな悲鳴を上げて飛び跳ねている。いきなり水をぶっかけられた猫みたいな反応をするものだから、俺も連鎖的に驚いてしまう。

 …カップルシートって初めて座ったけど、距離近いな。

 普通の座席と違って、互いの間に仕切りがないんだよ、この席。だからさっきからこいつは俺の腕にとびかかってくるし俺はそれに驚いてしまう。いや、これがカップルと呼ばれる関係の誰かならいいんだよ。エレナとか。よーしよしよしって撫でてあげたりもする。

 でも違うじゃん。結衣ちゃんはそういうのじゃ…ないじゃん。流石にここまでして好意を持たれてないとか抜かすほど俺もバカではないし朴念仁でもない。

 だからこそ困る。好意を向けられるのは嬉しいことだが答えるわけにはいかないのだ。

 というわけでちょっと修行僧の気持ちでいる。あらかじめ言っておくと結衣ちゃんはとっても魅力的だ。勝気そうな表情だけど、黒髪を二つ結びで結っているところはむしろ幼さが出ていてそのギャップに殴られる。そもそも努力家という面は高く評価できる…いや、評価とか上から目線な言葉はアレか。単純に、俺は努力する人が好きだ。

 だからその…無下にはできない。人によってはこれを甘さとか浮ついた心だと捉えるのだろう。心に決めた女性が居ながら他の女の子と映画見に行くだなんて。その相手の女の子が自分に好意を持ってくれていると確信しているなら猶更。

「…でも、結衣ちゃんの頼みだし、断れないよな」

 映画の大音量の中、俺は小さくそうつぶやいた。そう、断れない。人間としての魅力が大きすぎるのだ。彼女には。孤高の狼を気取っているくせに意外と人懐っこいところとか、ほっとけないし。

 そんなことを考えていたら映画が終わった。結局ほとんど内容は覚えていない。

 結衣ちゃんはまだ落ち着けないらしく、ずっと俺の腕にしがみついたまま。シアターを出るとき周囲の人の視線が嫌に注がれているのが分かる。…いいんだけどね。

 結衣ちゃん可愛いし俺に殺意を込められるのもまぁ、わかるんだけどさ。

「あのー、結衣ちゃん?その…腕にしがみついてるのは…」

「何よ、不満なのかしら」

「いや別にそういうわけじゃないけど…」

「…そ、そう。不満じゃないのね。満更でもないのよね理人。他に好きな人がいるのに最低ね」

「もしかしてお前は俺のこと嫌いなのか?」

「そ、そう見える?」

「他にどう見えるんだよ」

「いい?理人。目に見えることだけが真実じゃないの。本当に盲目ね。ちゃんとその二つの眼窩には眼球が埋まってるのかしら。信じられないわ」

 うん、やっぱり嫌われてるよな。

 腕にしがみついたまま俺にえげつない視線をぶつけてくる結衣さんは…ちょっと顔が赤い。

 そんなに怒らせるようなことを言っただろうか。

「悪かった悪かった…俺は盲目で眼窩に眼球を備え付けていない欠陥品でゴミクズだからどういうことか教えていただけませんか?」

「何もそこまで言ってないわよ。なんで理人のこと私より罵倒してるのよ。そもそも理人がそんなにひどい人間じゃないってのは知ってるつもりよ。自信持ちなさい」

「どっちなんだよ」

 どっちなんだよ。上げたり下げたり。

「もういいわよ、行きましょ。ねぇ理人お腹が空いたわ。どこかのお店はいりましょ?」

 つくづくマイペースなやつだった。暴言と罵詈雑言、フォローを振りまくだけ振りまいてサラッと水に流してしまう。案外こいつは生きていくことに困難を感じていないのかもしれない。

「言われてみればもう十二時回ってるのか。そりゃお腹の一つや二つすくか」

「あなたにはお腹が二つあるのかしら」

「比喩だよ、比喩」

「ふぅん、でも女の子にはお腹が二つあるわよ」

「あぁ、甘いものは別腹ってやつか。よくそんなに食べられるよな」

「何よ、男の子だって部活帰りに牛丼食べて帰るんでしょ?それと何が違うのよ」

「だいぶ限定的な情報持ってきたね」

 まぁいないこともないけどさ、そういう人。

「…じゃあ甘いものでも食べに行くか。好きなんだろ?そういうの」

 そういえばさっき玲もそんなこと言ってたしな。

「…ま、まぁそうね。理人がどうしても私と一緒に美味しいお菓子を食べたいというなら付き合ってあげないこともないわ」

「なんでお前はそんなにも偉そうなんだよ。人権は平等に与えられるべきだと思うんだが」

「何よ、まるで自分が人みたいな口ぶりじゃない」

「実際人だろ。当たり前のように家畜扱いするな。今の発言ツイッターなら大炎上間違いなしだぞ」

「大体偏差値に関していっても理人より私の方がはるかに上なのよね。もう負けを認めたほうがいいんじゃないかしら」

「学歴に固執するとロクな人間にならないぞ」

「ロクな人間とみなされるにはまず学歴が必要よ」

 ぐうの音も出なかった。現代社会は学歴社会。人は内面が大事だと言うが、内面を見てもらうためにはまず学歴が必要なのである。

「…そうかよ。じゃあ俺はお前に一生見下され続けることになるのか」

「そ、そうならないように私が勉強を教えてあげるって言ってるじゃない」

「言ってないが」

 言ったか?

「いいから行きましょ。この辺でいいお店ないかしら?…かわいいのがいいわね」


「それならちょうど、心当たりが一つ」

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