第94話 阿賀野は狂人〜ヘドロを添えて〜

「あーさん!うまいっすよこれ!イチゴがしゃりしゃりしててなんかうまいアイス乗ってて、やべーっす!」

 夕方というには早く、昼というにはやや遅い。日は傾きかけてはいるが、まだ沈むには時間がある。窓の外には忙しなく走り抜けていく車があり、信号待ちをしている人たちもまた、何かに急かされているような気がする。

 それはただの気のせいなのか、それともこの三人の間にある空気がやけに緩いからであろうか。

 そう、緩い。俺たちの関係を形容するとすればやはりこの言葉が適切だろう。無論それは俺たちの関係が曖昧であるとか希薄であるとか、ましてや適当であるだとか、そういう意味ではない。どこまでも緩みきった縄の中にいるような心地がするのだ。いざとなったら締まるけど、基本的には万物に寛容な感じ。

 目の前の玲は美味そうにどでかい苺のパフェを頬張り、何故か隣の阿賀野はドリンクバーで全てのジュースをミックスしてにこやかに飲んでいる。

 いや、玲はわかるんだ。むしろ彼女らしいというか女の子らしい。女の子に定義を求めるのはあれかもしれないが、それでも彼女を形容する言葉があるとすれば女の子らしい、だろう。ただこいつには将来絶対食レポをさせない方がいい。語彙力が皆無であり、感動をやたら受けるタイプなので中継ならまだしも文章だけでは一ミリも良さが伝わらん。

 で、隣の男は何だ。なんだこいつは。苦行か?もしくは修行か?何が目的なのか分からない。別に罰ゲームとして飲んでいるわけでも、誰かに唆されたわけでもない。徐にドリンクバーへと向かい、俺の分のカルピスソーダは普通に注いできた。自分のだけ、ヘドロと青汁を混ぜたような色をしている名状しがたい液体を注いでいた。そして何故か満足げだった。

 晴々とした。そんな表現が適切だろう。男らしいとか女らしいというか、そういった概念すらとうに超越した仏像のようなありがたい表情であった。

 その姿はさしもの玲をして「何を考えているのかわからないっす…泥を極上のスープと思わされているみたいっす…」とドン引きさせていた。

 その直後、それを一気飲み。おぞましい色の液体は、ほのかにひきわり納豆のようななんとも言えない臭いを残して阿賀野の喉に消えていく。ごくん、ごくんと何度も喉を鳴らした阿賀野は、飲み終わると、静かにコップを机の上に置いた。酷く満足げだ。そして言った。

「うん、クッソまずいな。なんでこんなもん飲んでんだよ、俺」

 表情がもう聖人であるが故に意味がわからない。意味がわからないままこの液体をにこやかに飲み干したという事実、本当に意味がわからない。もはや表現というか描写が言葉遊びじみてきたがその時の俺たちの混乱と言ったらこの程度ではない。

 玲は動揺して「どうしたんですか阿賀野さん」と綺麗な敬語を話し始め、俺はというと自分の飲んでいるカルピスソーダも実は先ほどのおぞましい液体でしたー…なんてオチが用意されているんじゃないかと疑ったものだ。

「いや、どうしたんだよ阿賀野」

「どうしたもこうしたもあるか」

 いや、あるだろ。

「俺さ、不味いものが嫌いなんだよね」

「大抵の人はそうだと思うっすよー」

 若干引き気味というか混乱した様子の玲が相槌を打つ。何故か真剣な面持ちを見せる阿賀野はそのまま自供する犯人のように呟く。

「でもさ、不味いかどうかってのは、口にしなきゃわからないものじゃないか」

「は?何言ってんすか…意味わかんないっすよー。あーさん翻訳してくださいっすー」

「おい、俺とこいつを同族みたいに扱うんじゃない玲」

「だって意味わかんないっすよー?不味いものは不味いじゃないっすか…」

 わからない。玲の発言に激しく同調する。そもそも阿賀野の発言は支離滅裂だ。不味いと分かっているものを、不味いと確認するために飲んで、不味いと感想を言う。もはや狂気じみた儀式であろう。ひとりかくれんぼとかそういうオカルト的なものの方が遥かに常識的だ。

 こいつがミックスしすぎジュースを飲むのは初めてではない。だがその理由というか根幹にある行動力の源を聞かされるのは初めてのことだった。

 阿賀野は真剣な表情をしている。これがもしスクリーンに映っていたら、何か重大な告白をするワンシーンだと錯覚してしまうくらいに真剣だ。

 彼の視線は俺でも玲でもなく、ましてや空になったコップでもなく、虚空を見ていた。その先にあるテーブルの上とは違う、その空間を見ている阿賀野は、反論を恐れず言ってしまえば病的ですらあった。

「考えてもみろよ。お前らさ、ピーマンとかゴーヤとかナスとか、嫌いなものって小学校とかの頃にあったよな」

「まぁあるっすけどー…それがなんか関係あるんすか?」

「考えてもみろ、苦手なものがいつまでも苦手なわけじゃないだろ、人って。そりゃ例外もあるかも知れねえよ。けどミヤノスケ、若月、お前らが今まで嫌いだった食べ物でも今は食べられるようになったもの、あるんじゃないか?」

「いやあたしは今でもセロリ嫌いっすよー」

「嘘でもあるって言えよ助けてミヤノスケ」

「俺は別に昔から大抵のものは食えたから」

「さいですか…まぁ、ともあれ、俺は決めたわけだよ」

 俺たちの返答に、訊く相手を間違えたなとでも言いたげな様子で首を折った阿賀野は、諦めて話を再開した。若干かわいそうにすらなってくる。

 だが相手は玲、罵倒はやまぬ。

「死を選ぶ覚悟っすかー?」

「なんで攻撃的なんだよ…」

「じょーだんっすー」

 こいつは冗談のようで冗談なこと、そして冗談のようで本気のこと、この二つの判定が非常に厳しい。玲と付き合いの長い相手じゃない俺も、若干判断に苦しむことがある。けれどこちらも阿賀野、彼女の罵倒は慣れ始めて快感すら覚えてきた、と対戦前にこぼしていた。きもちわるい。

「じゃなくて、境界線をだよ。いつ俺が不味いと感じるもんを人並みには食えるようになるのか、検証したいんだよ」

「いや、意味分からんが」

「あ?お前も飲むかミヤノスケ」

「嫌だよ」

 そして自分の謎の理論が通用しなかったこいつはなぜか逆ギレ。

 目にも留まらぬ速さで俺のコップを奪い取ると、ゲテモノをなぜか引き連れて帰ってきた。本当に何故だ。しかも二人分。こいつ、また地獄を味わうつもりでいるらしい。

 そそくさとそれを呷り、「うん、不味いな!」とにこやかに感想を漏らした阿賀野はそのまま俺に絡んでくる。酒入れてるんじゃねえのかこの中に。

「大体お前若月というものがありながらなんであんなに可愛い幼馴染とイチャイチャしてるんだよ」

「別に俺には若月というものはないが?」

「あたしはあーさんのものでいいっすよー。好きなんで、あーさんのこと」

「おい玲、いきなり何を…」

「あー言われてえ!女の子に好きとか普通に言われてえ!なぁ若月、嘘でもいいから、めっちゃ適当でいいから、何も考えなくていいから俺に好きって言ってくれ!」

 徐に身を乗り出す阿賀野。何故か自暴自棄。こいつ勉強したらネジが外れるのか?いやそれはおかしい。だって外れるねじなどもう残っていない。

 迫られた玲はなんだか微妙そうな顔をして露骨にため息をついた。そして窓の外を見ながら、本当に適当に言った。

「えー、嫌いじゃないっすねー」

「嘘でもいいとまで言ったのにそのレベルか…」

「嘘つかなくてもこのレベルっすー。別にあがっちのことが嫌いなわけじゃないっすーほんとっすー。ただ」

「ただ?」

 玲の言葉に少しだけ復活した阿賀野は机に突っ伏したまま玲を見た。

 その玲は何故か俺の方を嬉しそうに見てはにかんだ。とてもかわいい。

「あーさんが特別すぎるだけっすよー、あがっちも、エレちゃんも、せんせーだって嫌いじゃない、それだけっすー」

「おいてめぇミヤノスケ!なんでお前だけ好きー!だの特別ー!だの言われてやがるんだよずりいぞ!」

「俺に言うなよ」

「…つーかうるせえな俺たち」

「ようやく気がついたのか。あと三秒気がつくのが遅かったら友達を辞めていたところだった」

「見捨てないでくれえええ」

 みっともない男だった。

「みっともないっすねー…ただ死ねと言ってるだけじゃないっすかー」

 玲もそう思ったらしい。とはいえこの時間帯のファミレスとなるとある程度人もまばらだ。多少声を出すくらい目を瞑ってもらえる。

 だがこの言葉に心を突き動かされたらしく阿賀野はテーブルの上の食器入れからナイフを取り出して自らに向ける。表情は若干笑っている。わざわざ口にしなくても、この場の誰もがただの冗談だと割り切れている。割り切れているのでこの茶番を止めようとはしない。

「いや言ってないから、ナイフを自分の方に向けるな」

「止めてくれるのか…ミヤノスケ。お前は本当に…」

 目尻を拭う仕草をする阿賀野。

「店の方に迷惑がかかるだろ。自前で用意しろ」

 そしてそいつを蹴落とす俺。

「お前ら本当は俺のこと嫌いなんじゃないだろうな」

「そんなわけないだろ」

「当たり前じゃないっすかー」

「「「あっはっは」」」


 …つくづく仲良いな、俺たち。

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