第93話 やれば出来る子究極系
授業が終わった後の教室は、意外にも閑散としている。そりゃそうだ。受験生とはいえど、そんなに上の高校を目指す気がない生徒は一分一秒でも早く勉強から離れたい。そういうものなのだ。
偏差値の高い高校へ行く組もさっさと自習室へと向かってしまったし、残っているのは俺と阿賀野、そして玲の三人だけだった。エレナがもしかしたら待っているかもしれないと思ったのだが、流石にエレナとて暇ではない。影も形もなかった。
エレナの進路について俺は具体的には知らない。いつもそれとなく訊いてみるのだが、『アヤくんに永久就職するに決まってるじゃないですかー!』といつもの返答。とはいえ彼女もそこまで楽観的ではないし、そもそも勉学の道から外れるにはもったいないほど知性は高いのだ。本気で勉強こそしていないものの、潜在能力は凄まじい。知的好奇心とでも言おうか、単純に興味と言おうか…とまれ、そういったものが刺激されると圧倒的な集中力を発揮する。本気になったエレナが止められない、そう俺が感じているのはそこが原因だ。
だからこそエレナはもう少し勉強をしっかりしてくれればそれでいいんだが…とも思うわけだが、その辺はどうなのだろうか。
「あーさん、考え事っすかー?聞いてないっすよねあたしの話」
「…?」
「いいっすよー、別にまた一から話すんでー。つか何考えてたんすか?あたしにも教えてくださいっすー」
結局エレナは中学卒業後にどういった進路を取るのだろうか。そう考えていた俺は、不思議そうな表情の玲の声で現実へと引き戻される。エレナのように天使じみた、ある種暴力的な可憐さとは異なる別ベクトルの愛らしさが俺を見つめていた。
俺はこれでも男子なので普通に心臓を高鳴らせつつ顔を上げる。
「いやちょっと進路のことをな…」
「進路っすかー、あたしはまぁあーさんとおんなじ高校っすけどー…」
俺の言葉につられて一緒に考え始める玲。こいつの愛らしさはエレナとは対極に位置している。西洋の絵画から飛び出してきたような美麗な顔立ちのエレナとは違って、究極的に身近な可愛らしさを兼ね備えているのだ。人懐っこい犬なんかを想像すれば分かりやすいのだが、距離が非常に近いのだ。
だからまぁ、拒もうという発想がそもそも浮かばない。
例えば玲が近寄ってくるとする。
普通はここで「近いな」とか「照れるな」とか何かしらの感情が挟まるわけだが、もうこいつの場合そういうのがない。
お、玲が来た。
よしよし。
もう連続しているのだ、動作が。
だからこの塾内で玲に惚れてる奴は少なくない。人懐っこく誰にでも絡みに行く上にこのルックスだ。モテない方が不自然である。
…っていうか今更だけどこいつなんて言った?俺の高校についてくるって言った?
同じタイミングで違和感を感じた阿賀野と顔を見合わせる。アイコンタクトで『だよな、おかしいよな』と意思疎通。こういうところで波長があうのは友人として楽でいい。
「いや、ちょっと待て若月。お前ミヤノスケと同じ高校に行くって言ったか?」
「そっすよー。あたし偏差値一応60はあるんでー、人並みには勉強できるっすー」
「…え?玲ってこの前まで全教科50割ってたよな。偏差値」
「はあ!?それで今60!?適当なこと言うのも大概にしろよおいおい若月さんよぉ」
阿賀野の絡みが若干だるめになっているのはまぁそれとして。こいつの発言、さらりと意味不明だ。もちろん不可能ではない。点数が伸びていなかったということはすなわちそれだけ伸び代があるということであり、必死に勉強すれば一つの模試の間で飛躍的に点数を上げることはまぁ、可能だ。
だがこいつ、本当に驚くべきことに、最低限しかしていない。面談室で俺と会った時、教科書をめくりながらしたみたいな話はしていたが、したとしてもそんくらいだ。決して机にかじりつきながら、血が滲む思いをして勉強したというわけではない。
「いやなんであーさんも驚いてんすかー…今日話したっすよねー?あたし『教科書見た』って」
「あぁ…課題のことだろ?殊勝な心がけだとは思うぞ。面倒くさがって答え写すよりは遥かに」
「すげえな。俺めんどくさくて写したわ。チェックも雑だし」
ちなみに俺は真面目に解いた。とはいえ阿賀野が特別不真面目というわけではない。彼が言うようにここの先生の宿題チェックは究極的に雑なのだ。もちろんたまには真面目にチェックするだろうが、基本的にはざっと見て「はいOKですね」とかそういう感じ。なので大半の生徒はそうやって乗り切っている。
だからこそ殊勝な心がけなのだ。真面目に取り組むことがあるべき理想の姿であり、当たり前のことで大前提だとしても、それは殊勝なことなのだ。平たく言えば頑張っていることなのだ。そこを履き違えてはならない。
「…?違うっすよあーさん」
だが感心する俺たちを見て、心底不思議そうに玲は首を傾げた。本当に意味がわからないというか、理解できないといったそんな表情で。
「あたしが見たっていうのは五教科の教科書全部っすよー?まだ一回だけなんで八割くらいしか覚えられてないっすけどー…あとは大体覚えたっす」
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