第69話 闇鍋スペクタクル

 真っ暗な部屋。夜の帳が下りた明川の別荘で、なぜか俺たちは鍋を囲んでいた。青色に光を放つガスコンロの光が心もとなく俺たちの顔を照らしている。

 真夏にも関わらず鍋を囲んで――しかも部屋を真っ暗にして――いるのはそこはかとない事情があって。

 話は数時間前に遡る。


 ――


「夏と言えば…闇鍋だよな!」

『おかしい』

 本当に、頭がおかしいのだろうか。いや、明川の頭がおかしいのは今に始まったことではないのだが、それでも頭の異常を心配したくなるくらいには異常な発言だった。夏。夏と言えば北半球において暑さを体現する季節である。それがどうして闇鍋などという言葉に結び付くのか、小一時間ほど問い詰めたい。

「いやだって、みんな集まってるし。折角ならなんか面白い事したいっしょ」

「そうはいっても他になんかあるんじゃないですか?暑いときにお鍋…というのもまた趣もあるのかもしれませんけど」

 エレナはそう言って助け舟を出すが、それでも懐疑的な視線を送っている。当然だ。百歩譲って鍋を食べるというのはまだわからなくもない。冬の寒い日に食うアイスはそれはそれでうまいもんだしな。姉さんもその主張自体はたまにするし、間違っているということは無い。

 だがそれでも鍋の接頭語が気になって仕方がない。闇といったか。この世界には闇鍋でデュエルをする猛者すらいるらしいが、それほどまでに危険な遊戯なのである。

 俺も実際にやったことがあるわけでは無いが、それにしたって危険性は手に取るようにわかるのだ。

 まず実際にメンツがメンツだ。俺は割とまともな食材を用意するとして。

 明川が何を持ってくるかと言われれば間違いなく食べ物ではないものだ。そして近衛とエレナに関しては未知数。意外と突拍子もないこと思いつきそうで恐ろしさがぬぐえない。灯と暁那は割と常識的なセンスをしているにちがいない…そう願いたいのだが、如何せん育ってきた環境が環境だ。常人とはけた違いの感性を持っている可能性も大アリで。

 唯一まともなものが期待できそうなのは恵くらいだろうか。こいつの場合は度肝を抜かれる発想はしてこないだろうし、大丈夫と考えていい。

 …って何真面目に開催する方向で考えてるんだよ俺は。やらねえぞ。そんな食べ物で遊ぶような…でも、ちょっと楽しいかも…いやいや、いかんいかん。

 どうにも思考が遊びの方向に引っ張られる。でもそれもまた仕方のないことで。だって俺はこいつらと過ごす時間が最高に楽しくて仕方が無いのだ。

 こうして前向きに面白そうなことを提案されると思わず乗りたくなってしまうもので。

 そして周りのみんなも概ね同じような様子だった。エレナは目を少し輝かせてむむむ、と唸っているし、近衛に至っては『闇鍋、やばいやつ』で検索をかけている。

「…やるか」

「えっ」

「いや、なんで乗り気なんだよ。冗談だって…いや、やってみたいけどさ!」

「いいんじゃないですか?アヤくん、楽しそうですし私も気になります。ね、みなさんはどうですか?」

 振り返って皆に目配せすると、皆一様に頷く。なんだかんだで皆こういうのに興味あったみたいだ。

「あー…でも俺からいくつか条件があって。決めさせてもらってもいいか。そうでもしないとやべえ門が開く」

 絶対ゲテモノいれるじゃん。特に明川とか。その辺の草とか食わせそう。

「いいよいいよぉ、流石になんでもありだとやばくなりそうだしな」

「まず大前提として全部食えよ。そして責任は全員で等分な」

「とうぜん。たべもの、そまつだめ。たべれるのは、しあわせだから。たべれるはんいで、あそぶ」

「なんか一番灯ちゃんが精神年齢高い。おかしくない?」

「でもほら、灯ちゃんですし」

「そうだな」

「そうですね」

「そうでござるなぁ」

 順番に同意を示す明川、暁那、近衛。ただ事実として精神年齢が張り合っているのは暁那位のものだろう。たまに彼女の言葉に俺も感心させられることもあるくらいだしな。

「んでもう一つは、食いものにすること。間違ってもその辺で摘んできた草とか、消費期限切れのやつとかやめろよ」

「体調崩すものとかも困りますね。薬とかそういうのも危険かもです。皆さんはアレルギーありませんか?」

 暁那の言葉に互いに顔を見合わせる。この様子を見ると誰もアレルギーは持っていないようだ。

「あと、スープは何にする」

『キムチ』

「なんでさ、いいけど」

 灯だけがきょとんとした顔で首を傾げていた。皆のキムチ愛についていけないのは俺も同じだからな。安心しろよ。

「んじゃ各自一品だけ持ち寄って夜また集合な。ほんで、店は全員バラバラにしような」

 こうして始まった闇鍋大会。

 我先にと飛び出していく皆の後を追うように俺も買出しに出かけるのであった。


 ――


 さて、どうしたものか。確かにまともなものを入れることにしている。そこは譲れない。貴重なまとも枠である自分が変わり種を用意する必要などどこにもないのだ。

「かといって普通に豆腐とか肉とか、白菜とか用意すると負けな気がするんだよなぁ」

 せっかく闇鍋をするのだ。多少は変化球を投げたい。だが決してそれはワイルドピッチではなくあくまでストライクゾーンでのカーブやスライダー。暴投ではない。

 だからこそ難しいのだ。

 スーパーを物色しているといろいろなものが目に入る。セオリーは勿論外すとして、選ぶならなんだろうか。魚介類もいいかもしれない。石狩鍋というものがあるくらいだし、変化球としては理想的な範囲内だろう。

 けれどそこには先客の暁那の姿が見えて。

 期せずして相手の手札を知ってしまったような気持になる俺だが、せめて知ってしまったからには被らないようにしなければならない。

 本当にどうしようか。そう考えながら歩き回り。

 気が付くと俺はお菓子売り場の真ん中に居た。

「あぁ…こういうのも、面白いのか?」

 映画や料理本などで、お菓子を食感のアクセントとして使っているのを目にすることがある。あながちそれは間違いでもないようで、自分でやってみると食感が楽しい。卵焼きに桜エビを混ぜるような、そんな感覚だ。

 よし、これにしよう。安いしいっぱい買っていくか。

 ベビースターラーメンを手に取ってレジへ向かう。


 ――


 そうして行われたこの闇鍋。形式としてはそれぞれが真っ暗な部屋の中、一人で順番に鍋に材料を落としていくというもの。こうすれば自分の前に誰が何を入れたか分からなくなるって寸法だ。誰が何入れたか論争するのもまた面白みの一つだしな。

 ぐつぐつと煮える鍋。影も形も分からず、頼りになるのは匂いだけ。

「誰から行く」

「お前から行けよ、言い出しっぺだろ」

「えぇ…ここはどう、灯ちゃんとか」

「うっわ、クズですな。それでしたら我がいきましょうぞ。毒見は任されよ」

 そのまま鍋の蓋をとって、おたまで思いっきり中身を掬う。発言とかあれだけど、普通にいいやつだよな。近衛って。

 立ち上る匂いを嗅いでみたが…別段異臭はしない。最悪シュールストレミングとか覚悟してたんだが、案外まともな選択だったのかもな。

「ではいただきます…ん…?なんでしょうなこれ、なんかぐにゅぐにゅしてる…?」

 そのままもぐもぐと咀嚼して飲み込む音が聞こえる。

「あ、多分それ私の。でも何かは秘密」

「え、怖いんだけど」

「じゃあ次オレが行きますよ。…な、なんですかこれ…ねばねばして、それでいて独特の臭みが…」

「明川」

「明川氏」

「俺が何したってんだよ!?別に変なもん入れてない!無罪を主張します!」

「ごろごろしてる…多分これ納豆ですかね?」

「なんだよ、焦らすなよ明川」

「怖いですなぁ、明川氏」

「完全に濡れ衣が過ぎるし何を想像したんだお前ら!」

 こんな調子でみんな自分のターンで鍋の中身を掬っていく。気が付けば全員の器に鍋の中身がつぎわけられていく。

 こうなるとやはり気になるのが答え合わせというか、電気をつけての確認というか。

「つけていいかな」

「ぜひお願いしますアヤくん!私自分が今何を食べているのか丁度気になっていて」

「アタシも気になる。でも味の感じからして多分期待しているほど変に放っていない気がする」

「うむ、我のやつ、あたり。おいしかった!」

「そうですね、オレもやっぱり気になります」

「そうだな、つけてくれよ宮野。そんで一人ずつ自己申告しよう」

 そんな感じでみんなが了承し…部屋の隅のスイッチをぱちっという子気味いい音と共にオンにする。

 すると各自の手もとの容器に入ったものが可視化されて。

 いきなり明るくなった世界に目をしばたかせながら覗き込んだ鍋の中には、地獄が広がっていた。

 俺が想像していたのはちょっと変わり種があるにしても、納豆とか、そういうレベルの話かと思っていた。

「なんだよ、これ」

 まず目を引くのは色。ベースのスープはキムチ鍋の素だったのにも関わらず、今目の前にさらされているそれはなぜか鮮烈な青色をしていた。そしてその中に浮かぶ納豆とタピオカ、レーズン、絡み合って髪の毛にしか見えないもずくと微妙に浮遊しているベビースター。そして極めつけは異常な存在感を放つ豚の鼻。

 控えめにいって意味不明であった。

「色、おかしくない?」

「ていうか、誰だよ豚持ってきた奴、どこで手に入るんだこんなん」

「それ、われ。おにくやさんみてたら、くれた」

「粒率の多さ異常ではないですか…?いや、確かにオレがもずく入れたのも間違いだったかもですけど」

「間違いだったかもというかそれもう普通に間違いだろ、ネタとして微妙にいい線いってるのが腹立たしい限りだが!んで!なんでこんなに青いんだよ!」

「あ、それ我でござる」

「何入れたんですか、近衛くん」

「青一号」

「何をどう間違えたら闇鍋で着色料持ってくるんだよ意味分かんねえだろ!?」

「いや、ベビースターラーメンもどうかと思いますよ、オレ」

「もずく野郎に言われたかねぇ!」

「ふふ、みんな争ってはいけない。やはりレーズンは大正解」

「…?おかしなひと。正解なわけない」

「本当にな!つーことは最初に近衛が言ってたぐにょぐにょしたやつってレーズンかよ!こわっ!鍋からレーズン出てくるとかもう異常でしかねえよ!」

「そ、そんなこと言ったらタピオカだっておかしい!青色の液体の中、髪の毛みたいなもずくに絡まるタピオカとかもう地獄以外の何物でもない」

「私が入れました!どうですか、やるでしょう!」

「本当にな!やりやがったな!」

 なんだろう。姿を見る前は気持ちが悪いながらもある程度口にできていたのに、いざ不明瞭な鍋の中身が実像を表すと怖気しかなかった。

「なんていうか…本当に気持ち悪いですねこれ。戦犯は誰ですか?」

「まぁ間違いなく近衛だろうなぁ」

「確かにベビースターよりは罪重いかもしれませぬが!ほら、最初に、最初にみんな平等に責任って!」

「あぁ、あれか、近衛お前、割り勘って言われて高いもん注文するタイプか」

「…違いますぞ」

 反論に力が無い。だがまぁ、この状況においては如何に饒舌を振るったところでなんの説得力も持たないと言われてしまえばそれまでなのである。




 ちなみにこの後、男性陣でこのゲテモノを完食した。

 二度とこの面子で闇鍋はしまい。今回ばかりは、皆でそう誓い合った。

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