第45話 母、来たれり

「ぴんぽーん!ママだよー!」

 チャイムが鳴ったことに気が付き、応答した俺の前に飛び出してきた音声はそれだった。インターホンのディスプレイにはエレナの方がお姉さんに見えてしまうほどの童顔美女と、その脇に佇むスーツを着こなした寡黙そうな少年が映りこんでいる。

「…主、ご機嫌なのはお察ししますが夜中ですので」

「はいはい、わかってるわかってる。緊張しすぎよ主の家に行くくらいで」

「そうは言ってもですね…!オレまでくる予定じゃなかったですよね…確かに急ではありましたがオレも了承しました。ですがその、あんまり情を抱かせるような相手はい少ない方が…」

 声は男子にしては高めの良く通りそうな声。若干アニメ声っぽいところや、端正に整った容貌も相まって中性的な印象を抱かせる美少年と言ったところか。雰囲気としては近衛に近い。あいつは背丈も高くて声も低めのイケメンタイプだから微妙に違うかもしれないが、概ね属性としては同じだろう。

 どちらも女性が好きそうな男性像といったところ。近衛は中身がアレ――だからこそ親しみやすい部分もあるんだが――だがこの子は中身もイケメンだろう。切れ長の瞳は獲物を狙う鷹の様に研ぎ澄まされている。だがそれでいて不快な印象は無い。それは偏に彼が主たる母のことを信用しているからであり、母もまたそれに応えているように感じられた。目指すべき主従関係と呼んでも過言ではないだろう。

「あの…さっさと入ってきなよ。母さんも、秘書さんも。麦茶冷えてるぞ」

 ぶっきらぼうにそう言って玄関まで移動し、ドアを開ける。生ぬるい風が頬を撫で、換気扇を回していたためか重くなっていた扉の先が開かれる。

 そこには先ほどと同じく美女と美少年が居た。

「ドラマみたいな画が取れそうだな、母さん」

「やぁねぇ、私がそんなに美女だからってぇ!」

「主」

「静かにしようね、母さん」

「はい」

 二人がかりでツッコミを入れ、居間へ二人を上げる。長旅で死ぬほど疲れているはずだ。冷蔵庫からだした麦茶に氷を入れながら、この先二人に聞いておくべきことを考える。

「ほい、どーぞ。冷たいの大丈夫かな、秘書さんは。もしだめそうだったらあったかいの持ってくるよ。いつも母さんがお世話になってます」

 席に着くように促しながら自分も腰掛ける。母さんは早くも脱力し始めているが、大して秘書の子のほうは毅然として油断がない。主人と従者でここまで差が出るのも不思議なものだが、秘書がこれくらいしないと主人はダメダメになっていくのかもしれない。原稿やりたくないあそびたいとかのたまっている母さんにダメ出しをする姿が浮かんで思わずくすり、と笑みがこぼれた。

 そんな俺の姿を見て警戒を少し緩めたのか、先ほどよりは柔らかいオーラに切替て俺に返答する。

「あっ、どうも。オレは別にどういった飲み物でも構いませんので、泥水とかでも…」

「え?泥水飲むんすか?お腹壊しますよせめて白湯飲んでください。あと俺には敬語とかいらないんで。可能ならタメでお願いします。同い年ですよね?」

 俺の提案に目を丸くする様子が少し可愛らしかった。だがすぐに目つきを再び険しいものにして静かに目を伏せ、首を横に振る。

「お気持ちは嬉しいですが、オレはその、人見知りというか…」

 目をあちこちに泳がせ、ぱくぱくと金魚が呼吸を求めるように早口でもごもごとしゃべっている。その様子からほんとに人見知りなんだろうな、と思った。秘書の業務は電話などを通した連絡などもあるはずだが、また顔を合わせて話をするというのは少し違ったものなのかもしれない。ともあれ無理に距離を詰める必要もあるまい。適度の距離感というのも人間関係においては重要だ。ヤマアラシのジレンマと言う話ではないがいきなり距離を詰め過ぎても困るだろう。焦ってはできることもできなくなってしまう。この子はいい人そうだし母さんもお世話になってる。ツッコミ役もできそうだしできれば仲良くなっておきたい。急がば回れ、である。

「そかそか、俺はタメでいいかな」

「ええ、それは。…自分からため口で人と話したことが無いものですから、お許しください」

「いいよー。気が向いたら仲良くしてくれ、そうだ君、名前は?」

暁那あきなです。宮野暁那。暁那で構いません」

「おーそかそか。よろしくな、暁那」

 …と、こんなところで会話を切り上げる。

 あまり疲れてるところに人づきあいを優先させるわけにもいかない。どれくらい滞在していくのか分からないが少なくとも心が安らぐ場所でありたい。母がお世話になっているからな。頑張らなくては。

「もー!ママにはそういう気配りとかないのぉ?ママ疲れてるんだけどぉ!」

「あぁ、悪い悪い。納豆でも食うか?」

「いやなんでなっとう!ヨーグルトにして!」

「あ、食うんか。持ってくるわ。酒は?」

「酒!あとつまみ!十分で支度しな!」

「無茶言ってくれるぜ。簡単な物でいいなら用意する」

 なんだか今日はご機嫌みたいだ。いつもの母さんなら疲れてる時机に突っ伏して寝てるのにな。久しぶりに息子の顔が見れたのがそんなにうれしかったのかよ、母さん。

 そんな母の気分を盛り下げるのは良くないことだ。息子なりに役に立つところを見せないと。ともあれ本当に今日は生ハムくらいしかないのだ。マジで。冗談抜きで。姉さん曰く、出かける前だから結構食べておきたかったということらしい。理に適ってはいるがこのタイミングにおいてはどうしたものか、と頭を抱える原因になるのだがいったところでどうしようもない。

 ぱっと冷蔵庫を見た感じで目に入ったのは生ハムとチーズくらいだったのでもうそれでいいや。簡素でいいや簡素で。

 まずは生ハムを皿の上に広げる。多少なら丸まってもいいよ。そしてそのうえに小指くらいの太さで切ったチーズを乗せて胡椒を振る。クリーミーなチーズのほうがいいかな。kiriとか。ピクルスとか玉ねぎとかいれても美味しいんだけど今回はこれだけ。何せ在庫が無いからね。チーズの代わりにマヨネーズとか使って玉ねぎ巻いてもいいぞ。

 そんなこんなで出来上がった生ハム巻をビールと共に謙譲。

「うむ。ごくろうであった息子よ」

「お納めください母上…って茶番好きだなほんと」

「ノリいいじゃねえかボーイ。ママお風呂どうしようかな、暁那に先にはいってもらおっか」

「オレですか?では先にいただきます。すみません、案内してもらっても…?」















「荷物は持ってきてるんだっけ」

「一応トランクケースに入ってますが…あんまり見られると恥ずかしいです」

「お、おう。そりゃわるかった。脱いだやつはそこの緑の籠に入れといてくれればあとは洗濯しとくよ」

 脱衣所に案内した俺がそのままぼーっと彼のことを眺めていると、僅かに頬を染め、俯きがちに文句を言われた。我が家では新鮮過ぎる反応だった故に僅かに硬直してしまった。こういうまともな子が一人いてくれるとほんとに俺の負担っていうのは大きく減るのかもしれない。

「んじゃごゆっくりー…って思ったんだけどもしアレだったら湯船は入らないほうがいいかも。一応綺麗にはしてるつもりだけど俺が入った後だったりするから。そういうの気にするんだったら気を付けてね」

「あっ、ハイ…大丈夫です、ありがとうございます」

 その声を背中で聞き、脱衣所のドアを閉める。彼が風呂場に入ったら洗濯機を回そう。人が増えたからこれからは一日に何回か回さないといけないかもしれない。賑やかなのはいいことなんだがな。

























「…イケメンだった。あと、めっちゃいいやつだった。情は持たないって決めてるはずなのに、あの男の子、主が言うには理人、だったか。かっこよかったな…あの子が入ったお風呂…ふへへ」


 純粋に触れ合った初めての、加えてイケメンの男の子に優しくされて変な感情を持ってしまうのは、イケナイことだろうか。

 …オレらしくない。

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